第6話「聖騎士の亡霊」
ほのかに明るく照らされた洞窟に二人分の足音が響く。
一つは固いブーツのもの、他方は柔らかく鞣された革の靴のもの。
「ムラサキヒカリゴケの採集も終わったし、本格的に帰るとしよう」
「うん。だいぶ疲れちゃったしね」
カリュが地図を取り出して現在地を確認する。
前回地図を確認した地点から通ったルートを思いかえし、現在地を特定するのは、探索者にとっては必須の技能である。
“活発”な迷宮では頻繁に内部構造が変化するため、多くの
「よし、こっちだね」
上層へと続く石扉の位置を特定して、そこまでのルートを割り出すと、カリュは迷いなく進み始めた。
ルカも水筒の水を少しだけ口に含み、それに続く。
「結局第四階層で出会ったのは小鬼の群れだけかー」
「手に負えない相手と出会うより万倍マシでしょ」
歩きながら、そんな軽口を叩く。
程よい緊張感は意識を高揚させ、普段よりも少しだけ饒舌になる。
もちろん周囲への警戒も怠ることなく。
今日、初めての第四階層で二人は数度の交戦を経験した。
そのどれもが単独、もしくは三匹程度で行動する小鬼の群れだった。
初戦こそ思いもよらぬ小鬼たちの行動に虚を突かれた二人だったが、それ以降は安定して戦うことができていた。
また、そうして数回の戦闘を経て、彼女たちは自信も付けていた。
自分たちの力がこの第四階層でも通用するのだと。
――聞き慣れぬ音が響く。
「ルカ」
「うん」
カリュが双剣を引き抜き、前方へ視線を向ける。
ルカが白杖を構え、いつでも詠唱へと移行できるように準備する。
カシャン、カシャン、と金属質な音が響く。
それは足音だ。
数は一人分。
一定のテンポで、ゆっくりとそれは近づいてくる。
「最後の最後に出てきちゃったか」
「……初心者の壁か」
苦虫を食い潰したように表情をゆがめるルカ。
油断なく双剣を構えるカリュもまた、難しい表情である。
「来るよ」
暗がりから、それが現れる。
一見するとそれはただの人間のようにも見えた。
鋼鉄製の甲冑を着こみ、錆びた幅広のロングソードを引きずっている。
フルフェイスの兜によってその表情はうかがい知れず、ただ暗い眼窩から覗く赤黒い光だけがしっかりと二人を射抜いている。
「〈
無念の死を遂げ、後悔の中で憎悪を膨らませ、やがて
第四階層の他の魔獣とは一線を画す力を持ち、ただあてもなく歩き続ける災害。
そして何より、この魔獣が探索者に恐れられている理由があった。
「ルカ、あいつに魔法は効かない。援護に専念して」
「分かってるよ。頑張ってね」
魔法の無効化。
およそ初心者向けの迷宮に似つかわしくない絶大な能力の元に、多くの探索者たちが平伏してきた。
「いくっ」
未だゆっくりと近づく騎士に、カリュが迅速で肉薄する。
先手必勝。
装具の隙間を狙い、鋭く差し込んだ刃。
「なっ」
しかしそれはたやすく阻まれる。
一瞬で反応した騎士の剣が刃を受け止める。火花が散り、金属が衝撃する甲高い音が洞窟内に反響する。
カリュはすぐさま後方へ跳躍し、立て直す。
意志を反映しない眼光が、しかし明確な殺意を持ってカリュを射抜いた。
「〈
声が響き、迷宮を形作る地面がカリュと騎士の間へせり上がる。
土の精霊の力によってつくられた硬い土の壁はカリュの思考を落ち着かせるだけの時間を稼ぐ。
だが、それも長くは持たない。
剣戟が走り、壁は無数の瓦礫となって崩れ落ちる。
土煙に紛れ、カリュは再度接近する。
人間の視界の範囲外。低い姿勢からの、瞬撃。
「これも反応するの!?」
死角から襲う双剣に、騎士は軽く対応する。姿形こそ人間のものとそう変わらないが、その感知範囲はかなり広がっているようだ。
騎士は僅かに身を翻し、皮一枚の幅で避ける。
行き先を失った勢いに負け、カリュの体勢が崩れる。
「しまっ」
鈍い音が響く。
「かふっ!?」
「カリュッ」
脇腹を鋼鉄の膝で蹴り上げられる。
固い革の鎧越しに感じる、ハンマーの強打のような衝撃に、カリュの息が詰まる。
勢いを殺さず、蹴り上げられた勢いでカリュは距離を取る。
「大丈夫!?」
ルカの悲鳴のような声が届く。
応える代わりに、カリュは一度尻尾を振る。
再度の突撃。
騎士の俊敏性は、カリュの予想を超えるものだった。
その為、彼女は考えを修正。
更なる速さで向かう。
騎士のロングソードが迫る。
一瞬足を止め、それを避ける。
いける。
騎士の速度は予想を超えたが、追いつけないほどではない。
微かながら自信が芽生え、カリュの黒い瞳が輝く。
振り上げられる剣を避け、甲冑の隙間に攻撃をねじこむ。
鋭敏に動く彼女を補助するように、周囲に小さな土壁がいくつも隆起する。
それは時にカリュの足場となり、また騎士を拘束する障壁となる。
金属のひしゃげる音が洞窟内に反響する。
「取った!!」
聖騎士のフルフェイスヘルメットが外れ、中がまるだしになる。
そこにあるのは、腐り果てた肉の成れ果て。
虚ろに光る赤い眼以外に生気を宿すものは無く、ただどろりと表面の溶けかけた哀れな聖職者の末路があるのみである。
絶好の機会を前に、隆起した土が騎士の足を絡めとる。
助走をつけ、肉薄し、カリュの刃が頭部を貫く。
ぐじゅりと腐った果実が破裂したような音と共に、ヘドロのような臭気が立ち込める。
初心者の壁とも称される存在を乗り越えたことで、二人は心地よい高揚感を味わっていた。
だが、
「ぐぷっ!?」
「……カリュ?」
カリュの背中から、錆びたロングソードが生える。
後方で笑顔を浮かべていたルカのオレンジ色の瞳に、困惑が浮かぶ。
聖騎士の亡霊が死に際の力をもって突き上げた剣が、カリュを刺し貫いていた。
「カリュッ!!!!」
ルカが駆け寄りカリュを抱きかかえる。
騎士を見れば、すでに腐敗が始まっている。
相打ち。
首を取った一瞬の油断を突いた一撃だった。
「カリュ、カリュ!」
親愛する相棒の名前を、ルカは何度も呼ぶ。
虚ろな目のカリュは口元に笑みを浮かべ、ルカの細い手を握る。
「ごめ、ん……」
「そ、そうだ〈治癒の秘薬〉が」
ベルトから瓶を引き抜き、彼女の口元へ運ぶ。
止めどなく流れていた血が、次第に少なくなる。
「はやく、地上に戻らないと」
ルカはローブを引き裂き、傷口に巻く。
自分よりも身長の高いカリュの脇に頭を入れて、引きずるようにして歩く。
「はやく、はやく」
瞳に雫を湛えながら、速足で迷宮を歩く。
敵に見つかれば、そこで終わりだ。
石扉までへの最短経路をルカは突き進む。
そして、曲がり角を曲がった先に。
「ひっ」
錆びたロングソードを持つ騎士が、立っていた。
幸いにして、それは背中を向けている。
「だ、だめ……。逃げないと」
ルカはゆっくりと後ろに下がる。
気付かれないように、慎重に。
そして、路傍に転がる小さな石に足を取られた。
「いやっ」
カリュを抱えて身動きが取れないせいで、あっけなく背中を打ち付ける。
音が響く。
ゆっくりと、騎士が振り向いた。
幾度もの殴打によって拉げた鎧がこちらを向く。真っ黒な影の中に光る赤い眼孔が、二人を捉える。
「だ、だめ。逃げ、ないと……」
カリュを抱き、ルカは必死に下がろうとする。
カシャン、カシャン、と金属質な音を立て亡霊が近づいてきていた。
その時、
『なぁん』
場違いなほどにのんびりとした、猫の声が迷宮に響いた。
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