第5話「第四階層」

「さあ、いよいよね」

「……うん!」


 〈翡翠の奈落〉第三階層の最奥、装飾も何もないただ頑強であれと作られた重厚な石扉の前に、二人は立っていた。

 これより先は、彼女たちにとって未知の領域。

 初心者の壁ともされる強力な魔獣が生息する魔境である。


「ルカ、魔力は大丈夫?」

「うん、まだ余裕あるよ」

「道具は」

「大丈夫」


 手早く装備を点検。

 三階層までは順調に進んでいたため、それほど消耗している物もなかった。

 虎の子の〈治癒の秘薬〉も、まだ無傷である。


「じゃ、行くわよ」


 ルカが頷く。

 カリュはそっと扉に手を突いて、ゆっくりと押し開けた。

 岩が擦れる音が響き、扉が口を開く。

 第三階層よりも更に明るい翡翠石の光が、果てしなく奥まで伸びる穴を照らしていた。


 二人は慎重に歩みを進める。

 ブーツ越しに地面の凹凸を感じながら、それに足を取られないように意識する。


「あ、依頼のムラサキヒカリゴケも集めないとね」

「そうだねー」


 時折、翡翠色の光の中に混じるようにして淡い紫色の輝きが見える。

 近づき注視すれば、それが風に揺れる小さな苔の一種であることが分かった。

 ムラサキヒカリゴケは、眠り猪の牙と同じく魔法薬の素材として幅広く使われる植物だ。


「全部剥がしちゃだめだからね」

「分かってるってー」


 周囲を警戒するカリュの小言に、ルカはうんざりといった様子でなおざりに応える。

 この種類の植物は生命力が高く、多少切断して採取したところでまたすぐに成長して元の大きさに戻る。

 しかし、全て取りつくしてしまえば、また新たに根付くのに長い時間がかかるため、採集するときは全てを取り去らず三割ほどを残しておくのが定石であった。


 ムラサキヒカリゴケはこの四階層では比較的珍しくない品種らしく、割合頻繁に見つけることができた。

 だが、採集できるほどに育っているものは中々見つからず、一時間歩き回ってようやく依頼にあった半分の八株を採集できていた。


「中々大変ねぇ」

「ちっちゃいのだったらたくさんあるんだけど……」


 壁にもたれ、小休憩を取りつつ二人はため息をつく。

 慣れない新しい環境ということもあり、次第に疲れが蓄積していた。


「まだ魔獣に遭遇していないのは、幸か不幸か……」


 迷宮における誤解の一つとして、魔獣の数が挙げられる。

 市井の人々が思い描くような、連戦に次ぐ連戦といった事態は、迷宮において殆どあり得ない。

 おおよその魔獣は単独、もしくは小鬼たちのように二、三匹の小さな群れで行動しており、迷宮の広さも相まって遭遇する確率はかなり低い。

 同じ魔獣同士でも種族が違えば敵対関係となるため、殺し合いが行われていることも一因である。

 それゆえ、一度も魔獣と交戦することなく素材のみを採集して帰ってくる、という日もそう珍しくはなかった。


「それじゃあ来た道と違う順路で戻りつつ、残りも集めて帰ろっか」


 “初心者の壁”に遭遇できなかったのは、少し心残りだが、疲労をためた状態で相対するのも危険が伴う。

 ぎゅっと四肢を伸ばして緊張をほぐしながら、カリュが帰還を提案する。

 ルカもまた白杖を使って体を動かしながら同意した。

 だが、


「……ッ! 何か来るっ」


 カリュの鋭敏な聴覚が風の音を捕らえる。

 一瞬で雰囲気が切り替わり、双剣を引き抜く音と、白杖を構える音が共鳴した。


「小鬼ね。両手剣二匹、あれは……弓が一匹いるっ」

「なっ!? ルカが弓を狙うから前二匹よろしくっ」


 言葉を交わし、カリュが頭を低くして飛びだす。


「ギャギッ」

「ガッ!!!」

「チッ、気付かれたか」


 前方に見据えていた小鬼が耳障りな声を放つ。

 上層の小鬼よりも手練れと判断し、カリュは一層精神を研ぎ澄ませる。


「ふぅっ!」


 接近し、小鬼の首元へ刃を向ける。


「くっ!?」


 しかしそれは、顔が映るほどに研がれた鋼鉄の剣によって阻まれる。

 油断なく自分を見据える敵の視線は、数時間前に相対した物と同じ種族とは思えない切れ味を持っていた。


「ルカ、結構強い!」

「かもねっ」


 忠告を飛ばし、カリュは瞬時に離脱した。

 小鬼も深追いはせず、油断なく両手剣を構えている。


「〈爆炎の稲妻フレイム・ランス〉!!!!」


 そこへ、一条の赤い光の槍が風を切り裂いて飛びだす。

 後方に佇む弓を持った小鬼へ迷うことなく向かう槍は、


「ガァグッ!!!」


 しかしそれを貫くことは叶わない。


「こいつ、肉壁になった!?」


 ルカの悲鳴じみた声が上がる。

 弓持ちを狙っていた炎の槍は、飛び出してきた両手剣を持つ小鬼に突き刺さり、爆発したのだ。

 命を捨て、身を挺してかばう狂気の行為に戦慄が走る。


「はああっ!」


 土煙を切り裂き、カリュが再度突入する。

 残ったもう一方の剣持ちがその刃を受け止める。

 だが、


「悪いけど、もう一本あるの」


 あえて受け止められた剣を持つ腕を弛緩させ、受け流す。


「ギャッ!?」


 困惑の声が小鬼の口から漏れ出す。

 拮抗していた力関係が崩れ、つられるようにして小鬼の体勢が崩れる。

 カリュが身を翻し、上位を取る。


「終わりっ」


 片手に握られた双剣の片割れが、小鬼の首を貫く。

 鮮血が壁を赤く染めた。


「さ、盾は無くなったよ」


 鋭牙のような槍が、弓持ちへと飛びかかる。

 仲間を失った小鬼は思い出したように弓を構え、矢を番えようとするが、


「ギャッ」


 顔面を貫かれ、爆砕され、あっけなくその生涯に幕を下ろした。


 静寂が戻る。

 じゅくじゅくと腐敗を始める死体を見ながら、二人は呆然と立っていた。


「苦戦はしなかったね」

「でも、一階層の小鬼とは、技術が桁違いだった」

「知能が高くなってる?」

「経験を積んで、学習しているのかもしれない」


 初撃を見切られ、受け止められた。

 そして、己の命を省みず同族をかばっていた。

 ただの低能な獣としか認識していなかった存在が、この第四階層では明確な敵として意識せざるを得なかった。


「帰り道も、気を引き締めていこう」

「そうだね」


 しみじみとこぼれ出た言葉に、ルカもまた白杖を握りしめて頷いた。

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