第4話「迷宮に棲むものたち」
万物には全て名前の由来というものが存在する。
ハーナライナの地下に広がる小迷宮〈翡翠の奈落〉にもまた、その名を称されるに至った根拠というものが存在した。
カリュとルカが縦列となって進む、ごつごつとした岩肌の洞の道。
全体的に見れば薄暗いその壁には時折、僅かに輝く深緑が見える。
顔を近づけるとすぐにわかる、小さな透き通った石の欠片である。
これはただ単に〈翡翠石〉と呼ばれることもあれば、〈奈落の光〉といささか詩的に呼称されることもある、この迷宮では普遍的に見られるものだった。
第一階層ではちらほらと、第二階層では少し煩わしい程度に、翡翠石は岩肌に対する割合と密度を次第に増していく。
「ねえカリュ、翡翠石って売ってもお金にならないのかな」
ふと、カリュの五歩ほど後方を歩いていたルカが口を開いた。
カリュは灰色の前髪から黒い瞳をのぞかせ、
「基本的に、質の悪い低級魔石と同じものらしいよ。こんなにたくさんあるし、袋一杯で銅貨一枚が関の山ってところじゃないの」
油断なく周囲を警戒しながらも、軽い口調で言い飛ばす。
その言葉に、ルカは少しだけ残念そうに翡翠石へと視線をやった。
「こうして迷宮に置いておいて照明代わりにするほうが、よっぽど有意義な使い道だと思うけどね」
本来ならば漆黒の闇に塗りつぶされている筈の迷宮内部は、翡翠石の放つわずかな深緑色の光によって照らされていた。
そのため、不必要にランタンや松明などの照明で片手を制限する必要もなくなっている。カリュも一応ランタンを腰に下げてはいるものの、それを使ったことはほとんどなかった。
このこともまた、〈翡翠の奈落〉が初心者向けの迷宮だと判断される要因の一つであった。
「ん、ルカ。前方から足音」
「……聞こえた」
少しばかり和らいだ空気が、唐突に引き締まる。
カリュの敏感な聴覚が、異物の存在を感知したのだ。灰狼族の特徴として五感に優れる彼女は、前衛と同時に斥候としての役割も担っていた。
彼女は背中の双剣を手に握り、いつでも対応できるように臨戦態勢を整える。
「〈
「分かった。詠唱始めるね」
カリュが聴覚、嗅覚、視覚を元に情報を分析し、近づく敵を予想。
その報告を元に、ルカは白杖を構え最適な魔法を構築し始める。
「猛き魂の精霊よ、我が請求に応え顕現せよ――〈
白杖を中心に紅蓮の煌めきが収束する。
ルカの魔力を帯びた声に呼び起こされた炎の精霊たちが、彼女の魔力を糧に力を解放する。
白杖の前方に形作られたのは、揺らめく炎の槍。
「疾ッ!!」
詠唱の完了と共に、剣を逆手に構えたカリュが疾走する。蹴り込まれた路傍の石が飛び跳ね、翡翠の壁を打つ。
一条の矢となったカリュの後ろを、赤い槍が猛然と追いかける。
洞窟の暗がりから、二体の小鬼が現れた。
普通の人間の腰ほどの小さな鬼だ。
禍々しい醜悪な顔に、ボロボロの牙。
泥に汚れ、フケに塗れた朱色の髪の間から、小指程の小さく細い角が出ている。
「ギャギッ!!」
「ギャギャ!!」
彼らは眼前に現れた若い少女二人を見て驚喜する。
獣にも劣る拙い知性では、彼我の力量すら比較することはできない。
小鬼の一匹が手に持った幅広の両手剣を持ち上げる前に、その胴腹へルカの魔法の槍が突き刺さる。
「爆発するよっ」
「知ってる!」
爆炎が洞窟を照らし、爆音が地面を揺らす。
数秒前まで小鬼を形作っていた肉片が壁に飛び散る。
曲がりなりにも武器として扱われる金属の塊を巻き込んで、槍は一匹の小鬼を意志無き肉塊へと変えた。
「ギャッ!??」
隣に立っていた片手剣を握る小鬼は、唐突な事態に硬直していた。
突然現れた赤い光によって、先ほどまで隣を歩いていた同族が消えた。
焦げた肉の臭いを感じ、小鬼は前方へと視線を戻す。彼女たちが獲物ではないことを、その時になってようやく判断したらしい。
ほの暗い眼窩に憎悪の炎が吹き上がり、
「遅い」
片手に握った刃を振り上げることもなく、小鬼が最期に目にしたのは、きらめく二つの刃と真っ赤な血だった。
「カリュ、こいつらどうする?」
「放っておこう。あんまりいいお金になるわけでもないし」
岩の道に伏した二つの死体を一瞥して、二人はまた歩きだす。
その後、残された二つの肉は異常な速度で腐敗を始める。
じゅわじゅわと音を立て、濁った色の泡を吹きだしながら、それらは乾いたスポンジに水を垂らしたように、迷宮の硬い岩肌へと吸い込まれていった。
迷宮の内部を隔てる階層。
それを示すものは迷宮によって千差万別だが、〈翡翠の奈落〉については傾斜になった洞窟の中ほどに設けられた、石の扉であった。
これはギルドや探索者が設置したものではなく、迷宮に元々存在する数少ない建造物の一つである。
それを抜けると、生息する魔獣の種類や数、それどころか場合に依れば迷宮自体の環境すらもがらりと変わる。
カリュとルカは時折先ほどのような小鬼や一角兎などの魔獣と交戦しながらも、危なげなくそれらを撃破して順調に歩を進めていた。
ここは第三階層。
壁面に光る翡翠石の数もそれなりに増え、ただの岩よりも面積を占めている。
「ここで眠り猪を五体狩ればいいのね」
「そゆことー」
依頼書の内容を確認しつつ、カリュは穴の奥へと目をこらす。
洞窟の幅や高さは、奥の階層へ進むほどに大きくなっていった。
当初四人ほどの幅しかなかった洞窟は、上下左右ともに倍ほどに広がっている。
植物も少ないながらに見られるようになり、様相はかなり変化していた。
「四階層の扉までに集められるかな」
「帰りにもまた集められるでしょ」
そんな会話を交わしつつ、二人は歩く。
第三階層は、今まで彼女たちが主な稼ぎ場所として活動していた場所だ。
地形も全て頭に入っており、過度に緊張して力がこもることもない。
「あ、そんなこと言ってたら一匹見つけた」
カリュが視界に、白い体毛の丸いシルエットをした猪を捉える。
まんまるとしたボールのような印象を受けるあの獣が、眠り猪だった。
「必要なのは牙だけど、できれば毛皮も持って帰りたいな」
「了解。じゃあ〈爆炎の稲妻〉はやめとこう」
彼らの牙は魔法薬の原料に、柔らかな毛皮は上質な衣服として重宝されている。
持って帰れば多少の副収入になるだろうと、カリュは頭の中で硬貨を数え始めた。
こういった素材を採集することを目的とした狩りの場合、あまりカリュの双剣で傷をつけることは望ましくない。
そのため、緊急の事態を除いて、こういった場合はルカの精霊術任せになっていた。
「行くよー。気高き魂の精霊よ、害なす獣を拘束せよ――〈
白杖が光り、眠り猪を包む。
異変に気が付いた猪が顔を上げるが、その動きは鈍く、やがて硬化する。
「精霊術って案外えげつないよね。全身の血流を停止させるとか……」
「なによー、これが一番外傷が付かない魔法なんだから仕方ないでしょ」
しっかりと魔法が掛かったことを確認して、カリュはゆっくりと猪へと近づく。
黒い瞳に映る怯えと恨みを無視して、彼女は獣の喉元に刃を当てた。
「いいよー」
「ん、わかったー」
カリュの合図で魔法が解ける。
同時に、眠り猪の傷口から大量の血液が吹き出し、やがて絶命した。
「よしよし、それじゃー持って帰ろう」
腰に差した双剣とはまた別の特別な剥ぎ取り用のナイフで大ざっぱに解体して、毛皮と牙を持ってきた頭陀袋に仕舞いこむ。
「じゃ、先に進もうかね」
「おー!」
そうして二人はまた、翡翠色に光る迷宮の奥へと足を進めた。
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