第3話「探索者の日常」
〈影猫堂〉を後にしたカリュは、白草通りを速足で進む。
太陽は空の中ほどにまでに顔を出し、往来も騒がしくなっていた。
「ちょっとのんびりしすぎたかな」
白草通りを真っ直ぐ走り抜けると、ハーナライナの中心にある広場へと出る。
同心円状に並べられた白い石畳の美しい、迷宮広場と呼ばれる場所だった。
外縁には色とりどりの飾り布を垂らした露店が立ち並び、カリュと同じような武装を纏った様々な種族の男女が三々五々肩を並べて歩いている。
そして、なによりも人の目を惹く物の存在。
広場の中央には陽光を受けて輝く白い尖塔、〈白亜の塔〉が悠然とそびえ立っていた。
それはハーナライナの地下に広がる小迷宮〈翡翠の奈落〉に蠢く百魔を封じる門であり、迷宮へと人々を誘う扉。
露店の前を歩いていた探索者たちは、皆一様にその塔の内部へと吸い込まれていく。
カリュは塔の根元まで歩き、そこに開かれた背の高いアーチの中へと足を踏み入れた。
橙色に淡く照らされた内部は広く、天井が高い。
壁際には巨大な掲示板がいくつも取り付けられ、そこに形も大きさも様々な紙が乱雑に張り出されている。
全て探索者を取りまとめる探索者互助組合、通称〈ギルド〉が探索者たちに斡旋する一般市民からの依頼書である。
その内容の多くは迷宮の内部にしか生息しない魔獣や魔法植物を採集し、納品するといったものだ。
迷宮には外界にはない特殊な環境が広がり、そこでしか生きることの許されない希少な動植物が跳梁跋扈している。
報酬と引き換えに、危険を冒してそれらを持ち帰るのが探索者の主な仕事の一つだった。
「カリュ! 遅いじゃない」
カリュが大きな掲示板の一つに近づくと、不意に声がかかる。
振り返れば、カリュよりもさらに軽装、紫紺色のローブを纏い細い白杖を抱えた少女が立っていた。
透き通るような長い薄緑色の髪に、溌剌な雰囲気を醸すオレンジ色の瞳。そして何よりも目を惹く、髪の間から伸びる細長い耳。
カリュよりも少しだけ背の低い彼女は、グリーンエルフ族だった。
「ごめん、ちょっと寄り道してた」
「むぅ、ルカは三十分も前に来てたのに!」
ルカと自分を呼んだ少女は、頬を膨らませて首に掛けた金鎖の懐中時計を開いた。
「あれ、でも待ち合わせには間に合って……」
「なにか?」
「いえ、ごめんなさい」
ギロリとオレンジの眼光に射抜かれ、カリュの耳がしょんぼりと垂れる。
カリュとルカは共に行動する探索者仲間だった。
これはギルドが推奨するパーティと呼ばれる制度を利用したものだ。
幼い頃から共に育った二人は、同じように探索者を目指し、当然のようにパーティを組んでいた。
カリュは素早い動きで敵を翻弄する〈
「そうだ、今日仕事が終わったら一緒にお茶しようよ。いいお店を見つけたんだ」
カリュは背中の双剣を確かめつつ、ルカに向かってそう言った。
その脳裏には、爽やかなハーブティーと甘いクッキーの至福の感覚が思い出されている。
「いいよ。……カリュのおごりね」
「え゛っ」
ぼそりと小さく付け加えられた条件を、灰狼族の鋭い聴覚は嫌でも拾ってしまう。
カリュはポーチの道具類と魔法薬、そして新たに首に提げた護符を確認して、掲示板に向かった。
「今日は何しよっか?」
「うーん……、そろそろ次の階層に行ってみたいよね」
塔の下に広がる〈翡翠の奈落〉は、隅々まで探索しつくされ精巧な地図まで用意された、全十五階層の小さな迷宮である。
一般的な迷宮の例に漏れず、階層を進む毎に敵は強く環境は過酷なものになる。
だがあらゆる要素を精査されつくされたこの迷宮では、自分の力量と相談して無理せず探索することができる。
カリュとルカが今まで主な活動場所としていたのは第三階層。
第四階層には初心者の壁とでも言うべき魔獣が生息しており、今まで彼女たちは進出を控えていた。
「〈治癒の秘薬〉も買ったし、そろそろ行ってもいいかな。それに武器も新調したいし」
顎に手を当て思案にふけるカリュに、ルカも髪を揺らして頷いた。
「よし、それじゃあ今日は第四階層の依頼を受けてみよう。ついでに三階層のも受けておくけどね」
「りょーかい! それじゃあルカは三階層の依頼取ってくるね!」
カリュの言葉に、ルカは放たれた仔馬のように駆けだした。
塔の内部に並べられた掲示板は依頼の内容に沿って、それぞれの階層に分かれている。
そのため、各掲示板の前に立つ探索者の様相も、段階を追うように高級で技巧の凝らされた上質なものへと変わっていく。
二人が立っていたのは第四階層の依頼をまとめた掲示板で、その隣が第三階層の掲示板である。
「ん~、あれがいいかな。おじいさん、ちょっといいかしら」
「あいよ。どれがいいんだい?」
カリュは掲示板を物色し、〈ムラサキヒカリゴケ十五株の採集〉という依頼書を見つけると、掲示板のすぐ下にいた小人族の老人に頼んで取ってもらう。
掲示板は彼女たちの背丈の何倍もの高さがあるため、依頼書を取るには側で長い棒を片手に控えているギルド職員に取ってもらう必要があった。
「ほい、おまたせ」
「ありがとう」
カリュは棒の先端に引っ掛けられた依頼書を受け取り、老人に幾枚かの銅貨を渡す。
そうして、依頼書に書かれた採集物の内容と届け先を確認し、それをポーチに仕舞いこんだ。
「カリュー、これでいいかな?」
ほどなくしてルカも依頼書を持って戻ってくる。
依頼の内容は〈眠り猪の牙十本の採集〉である。
「ん、大丈夫でしょ」
一応カリュも内容を確認し、頷く。
基本的に探索者が一度に受けることのできる依頼は一つのみ。
そのため、パーティを組んだ方が効率的に依頼をこなすことができる。
「それじゃ、行こうか」
「うん!」
依頼書を仕舞いこみ、二人は塔の中央に歩きだす。
そこには鋼鉄の柵で囲われた、円形の穴が穿たれていた。
穴の壁面に沿ってグルグルと長く続く螺旋の階段が取り付けられ、壁には等間隔で設置された魔導ランプがぼんやりと奥を照らしている。
この穴が〈翡翠の奈落〉へと通じる唯一の通路だった。
「許可証を」
「はい」「どうぞ~」
「うむ、入ってよし」
二人が柵の前に立つ小人族の老人に探索者の証を見せると、柵に設けられたゲートを開けてもらえるようになっていた。
階段を一段、また一段と降りていくうちに、カリュは頭の中の温度が急激に下がっていくのを感じる。
地上で暮らす時の和気藹々とした思考が、命を賭して業火の中へと巡る研ぎ澄まされた物へとすげ代わる。
薄い刃を研ぐように、カリュの黒い瞳に鋭い光が宿る。
すぐ後ろを歩くルカもまた、先ほどまでの幼い印象は全て消え去る。
背丈ほどの白杖を握り、オレンジ色の瞳には静かな知性が垣間見える。
これから赴く場所は、いつ落命しても不思議ではない、人智の及ばない場所。
たとえ隅々まで調べつくされたからと言って、精神を弛緩させる場所ではない。
螺旋階段の終着点、〈翡翠の奈落〉の第一階層にたどり着いたころ、そこに立っていたのは二人の探索者たちであった。
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