第24話 帰り道 其の二
「そういえば......菜音ちゃんって今、どうしてるか知ってるか?」
圭太が口にしたその言葉が、また逃げようとしていた私を引き止めてくれた。
「あ、うん。元気だよ......。その前に......少し、話いいかな?......」
「いいけど、何?」
何て言おうか、なんて切り出せばいいか、私が暫く考えていると、そんな私の様子を察したのか、圭太が一旦話を変えてくれた。
「そこのサービスエリアで休憩しようか。優奈が運転して二時間近くたっただろ?」
「うん......」
私はサービスエリアに車を進め、比較的空いている駐車場の端っこに停車した。
換気の為に少し窓を開けると、山の中のパーキングエリアにも拘わらず、夏特有のむわっとした蒸し暑い空気が車内に侵入してくる。
「で、話ってなに?」
ここまで来たらもういつもの様に誤魔化すなんて出来ない。
助手席に座る圭太の方には向かないで、ただ前を見つめたまま、私は少し深呼吸して蒸し暑い空気と一緒に七年間言えなかった事を口にした。
「あのね......私、今日までずっと言いたくて、でも言えなくて、圭太や菜音ちゃんに嘘をついて、隠してたことがあるの。」
覚悟を決めた私の口からは、中学から今までの私の気持ちが堰を切ったように溢れ出してきた。
中学の時に何故圭太から離れたのか、先輩と付き合った理由、そして菜音ちゃんを応援するようになってしまった馬鹿な自分も、あの時私が何を考え、何であんなことを言ったのかも何もかも全てを圭太にぶつけた。
そして最後に一番言いたくて一番言えなかった気持ちを圭太に告げた。
「出会ってから今日まで、私は......ずっと......ずっと圭太が好きだったの。」
私が無我夢中で言い切ると、車内に静寂が訪れた。
静かに響くエンジン音と、時々通り過ぎる車の音以外は聞こえない中で、ずっと黙って私の話を聞いていた圭太が口を開いた。
「俺も一緒だよ。お前に好きな人が出来たって聞かされて、俺も一度はお前からも自分からも逃げたんだ。お互いがほんの少しだけ勇気を出せなかったんだ。だから......お前だけのせいじゃないさ。」
圭太は当時の気持ち、私の事を好きになったのにその一言が言えなかった事や、私の嘘で一旦は私を諦めて、菜音ちゃんに逃げた事を淡々と告白してきた。
「圭太......私......ごめんなさい。」
私の口から出た謝罪は何に対しての謝罪なんだろう。
今更なのに受け止めてくれた圭太への謝罪なのか、当時の圭太と菜音ちゃんへの謝罪なのか、それともずっとだまし続けてきた自分への謝罪なのか。
「お互い様だよ。ごめんな、優奈。」
これで......これでやっと全てが終わったんだ。
圭太の言葉を聞いて、全てが終わった私は自然と涙を零していた。
「運転、変わるよ。」
運転を変わってくれた圭太が静かに車を発進させた。
助手席に移った私は、今までの緊張から解放された事や、やっと言えた安心感と達成感から、急に瞼が重くなってくる。
「優奈、また今度三人で海行かないか?」
「......今度って、今年?」
「ああ、来週か、再来週か。」
「うん......私も行きたい。」
不意に圭太が言った言葉は、またこれから私達が一からやり直せるという事の、圭太なりの意思表示なのかもしれない。
七年間、一人だけ立ち止まってた私の気持ちを、今更こんな話を持ち出した私を正面から受け止めてくれた圭太に、私は最近圭太にばかり言わせていた言葉を告げた。
「圭太。ありがとう......」
私は圭太とのその約束に安心すると、そのまま眠りに落ちていった。
♢♢♢
優奈の家に着いた時には午後九時を回っていた。
「紗江ちゃんにもよろしく言っておいて。じゃあ、おやすみなさい。」
あれから優奈も家に着くまで寝てしまい、一人寂しく黙々と運転を続けた俺は、手を振る優奈に見送られながら自分の家に向けて車を出した。
そう言えば結局菜音の事を聞くのを忘れていたな......
まあ、次に会った時にでも聞けばいいかと思いつつ、俺は後部座席の紗江に声を掛けた。
「おい、紗江......起きてるんだろ。分かってるんだぞ。」
ルームミラー越しに、恐る恐る目を開いた紗江のバツの悪そうな顔が目に入る。
「あははっ......すみません、つい......」
そうなのだ。サービスエリアで優奈と運転を変わった時に何気なく後部座席を見ると、いつの間にか起きて俺達の話を聞いていた紗江とルームミラー越しに目が合ったのだ。
慌てて寝たふりをした紗江は、あれからも時々目を開けていたので、たぶんずっと起きていたのだろう。
「優奈の話、聞いてたのか?」
「すみません......車が止まったので目を覚ましてしまって。盗み聞きするつもりはなかったのですが......」
「いや、別にいいさ。寝たふりさせるような事になって悪かったな。」
逃げ場のない車内であんな話をした俺達が悪いのであって、紗江はある意味被害者だろう。
「それより圭太殿!また海に連れて行って下さる話は本当ですか?」
「ああ、お盆前だったらな。お盆を過ぎたらクラゲも出るだろうし、海は難しいかも知れないからプールになるかも知れないけど、どっか連れてってやるよ。」
プールが何か知らないなりに海の様に面白い所だと思ったのか、紗江は嬉しそうにプールについて色々聞いてきた。
そのまま暫くはしゃいでいた紗江だったけど、あと十分程で家に着くという時に、暫く黙った後にポツリと呟いた。
「圭太殿は幸せで御座いますね。」
死んだ爺さんの遺産のお陰で働かないでも生活できる俺は、他人から見れば十分幸せで、恵まれている生活を送れているだろう。
何が幸せなのかなんて人それぞれだけど、ただ、今紗江が言った幸せはそのことを指しているんじゃない事は分かる。
「幸せ?俺がか?」
「はい。私は圭太殿や優奈さん、この時代の方が仰る恋愛というものをしたことがありませんし、良く分かりません。そんな私でも先程の優奈さんの顔を見ると、多分この先もずっと圭太殿には優奈さんが居てくれるように思えたのです。」
この先、俺と優奈がどうなるのかなんて俺にも分からない。
優奈もいつかは結婚するだろうし、俺は一生独身かも知れない。
いや、その可能性が一番高いだろう。
だけど、紗江のその言葉は不思議なほど俺の心にストンと嵌った。
「まあ、そうかも知れないな。」
車は山本の爺さんの家の前を通り過ぎた。
いろいろあって長かった一日もやっと終わりを迎える。
「そうですよ。私が言うのですから間違いありません。だから私は優奈さんが......羨ましいです。」
最後に紗江が呟いた言葉の意味を、その時の俺はまだ分からなかった。
♢♢♢
私は帰りの車中で寝たふりをしながら、涙を流していた優奈さんの顔を思い出していた。
私は恋と言うものをしたことが無い。
一人っ子だった私は、婿を取って水無瀬の家を継ぐ為に、八つの時に家格の似た旗本の次男が許嫁に決まったのだけど、私が十の時に跡取りとなる弟が生まれた事でその婚約は破談となった。
それから八年、弟が無事成長出来るまではいつでも私が婿を取って水無瀬の家を継げるようにと、この歳まで嫁にも行けなかったし、親族以外の殿方とお会いする機会も無かったから、殿方を好きになる。などという経験が無いのが当然だし、それが当たり前だと思っていた。
だから、あんなに嬉しそうに泣きながら、あんなに綺麗な涙を流す優奈さんの顔がいつまでも頭から離れなかった。
だって、優奈さんの口にした圭太殿への気持ちが、だんだん私の中で大きくなってゆく気持ちと同じものだって分かってしまったから。
今の私も優奈さんのように自分の想いを口に出して、叶うならずっと圭太殿の傍に居たいと思ってしまう。
だけど、そう思えば思うほど、父上や母上、そして”はる”の顔が頭をよぎる。
父上や母上は未だに嘆いておられるだろうか。
もし”はる”が責任を感じて自害などしていたら。
私が帰らなければ、皆は死ぬまで私の事で一生悲しむことになりはしないだろうか。
このまま圭太殿とずっと暮らしていくのか。いつかは皆の元に戻るのか。
私はポケットの中に手を入れてあの石に指を伸ばす。
いつか......いつか私は決断をしなければいけない日が来る―――
指先に触れた石がそう言っているような気がした。
だから......私は優奈さんが羨ましい。
どんな関係であっても、ずっと圭太殿の近くに居られる優奈さんが羨ましい。
これからも圭太殿を幸せにしてあげられる優奈さんが......私は羨ましい。
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