第22話 圭太と優奈 中学編

私、白浜優奈が吉野圭太と出会ったのは、中学一年、十二歳の時だ。

中学に入ってテニス部に入部した私は四月下旬のある日、コートの隅でボール拾いに精を出していると、先輩が打ったボールがテニスコートを囲っているネットを大きく超えてグラウンドの方に飛んでいった。


「一年!」


その声に、コートの出入り口の一番近くにいた私は、ボールを追いかけてグラウンドに走った。

転々と転がって行くボールは、サッカー部の一年生が練習をしている所まで転がって行き、私が練習の邪魔になると思ってボールを拾いに行くのを躊躇っていると、一人の生徒がボールに気付いて拾い上げた。

周りにいる他の一年生のサッカー部員の中でも一番小さいその生徒は、拾い上げたボールを持ち、少し周りを見廻した後に私に気付くとボールを高く掲げた。


同じクラスの......確か吉野君。


それが、私と圭太の、正確には初めてではなかったかも知れないが、私の中で圭太の事を認識した出会いだった。

漫画や小説のように劇的な出来事があった訳じゃないけど、たぶん私達は馬が合ったのだろう。

それまでは話どころか挨拶さえもしたことが無かったけど、この事をきっかけに少しずつ挨拶から会話をするようになっていった。


私は、引っ込み思案の自分の性格が災いして、小学生の時の私は殆ど友達が居なかった。

だから中学からは明るく楽しい自分を演じることにした私だけど、それでも時々本当の私が顔を出してしまう。

だけど、圭太だけはそんな私に対してもいつも通りに接してくれて、それが私には嬉しくって、一学期が終わる頃には、私は毎日圭太と一緒にいるようになっていた。


その頃の私は、小さい私よりさらに少し小さい圭太の事を気の合う友達、悪く言えば弟のような存在だと思っていて、周りからどう見られるかなんて考えていなかったけど、二年生になると周りのクラスメイト達は私達が付き合ってるんじゃないかと邪推してくるようになった。


吉野君とはただの友達だよ―――


そういう話に興味津々な友達に聞かれる度に本当の事を言うのだけど、彼女たちは私が照れているのだと思って話半分にしか聞いてくれないし、バカな男子達は、どこまでヤッたのか、なんて下卑た笑いを浮かべて揶揄ってきた。


だけど、皮肉にも周りからそういう視線を向けられる度に、私は圭太を急に異性として意識するようになっていった。

いつの間にか声変わりをして、身長も私より十センチ以上高くなっている圭太は、私がそう意識せざるをえない程、男の子から男に変わっていた。

また、そんな風に揶揄われても、周りの目を気にする事も無く、今までと変わらず飄々と私に接してくる圭太に少し腹が立った事もあり、私は噂から逃れる為に圭太から少しづつ距離を取る様になっていった。


そして、そんなバカな私が犯した中学最大の間違い。


中二の冬に男子テニス部の部長だった一つ上の先輩に告白され、その告白を受けてしまった事だ。

女子生徒の中では、かっこよくて運動もできる事でかなり人気のあった先輩だったけど、私は先輩の事も良く知らないし別に好きでも無かったので、呼び出された私は彼の告白を聞いて咄嗟に断ろうとした。


「やっぱり、吉野って奴と付き合ってるのか?」


今まで散々揶揄われてきたその言葉を口にする先輩。

その瞬間、まだ自分の本当の気持ちに気付けていなかった私は、その言葉を聞いて先輩の告白を受け入れてしまった。


圭太とは付き合ってない事を周りに知らせて、これ以上揶揄われないように。

そして、私が離れて行っても今まで通り飄々と過ごしている圭太への......多分......当てつけの為に。


私が先輩と付き合い出したという噂は、あっという間に学年中に広まった。

次の日から先輩は毎日私の教室まで来るようになり、お昼を一緒に食べよう。私の部活がない日には、一緒に帰ろうと誘ってくるようになったからだ。

そんな時、私は一瞬だけ圭太の様子を見てしまう。

そして私の事を気にする素振りも見せず、いつもの様に飄々としている圭太を確認すると、先輩の誘いに乗って教室を後にする。


当然、圭太の時と同じように皆から揶揄われる事になったけど、圭太の時とは違い、揶揄われることに嫌悪感はなく、どうでもいいやと、他人事の様に聞いていた。

先輩と付き合っている事は事実だし、いくら揶揄われても何故か私の心に響かない。

周りの反応も、最初は色々言われたけど、事実に対しては急速に興味がなくなるらしく、私と先輩の事はあっという間に誰の口にも上らなくなっていった。


そして、私が先輩と付き合った翌日から、圭太は私に一切話しかけてこなくなった。

挨拶や業務連絡などは今まで通り普通に話しかけて来るし、そんな時の圭太の態度も全く変わらない。

ただ、必要な事以外は話しかけて来ないし、私と一緒に行動することは一切しなくなった。

友達に、お前白浜に振られたな。なんて言われても、今迄と同じように淡々と受け答えする圭太を見ていると何故か心が苦しくなってくる。


そして、先輩の卒業まで後一週間となったあの日、いつもの様に先輩に誘われて、誰も居ない視聴覚室で二人だけでお弁当を食べて居た時だった。

合格した高校に来年は私にも来て欲しい事や、春休みの予定などを嬉々として話す先輩に何気なく相槌を打っていた時に、何の前触れもなく私は突然自覚してしまった。


先輩との事は揶揄われても何とも思わなかったのに、圭太との事を揶揄われた時は何であんなに腹が立ったのか。


それは、私が無自覚に一番大切にしていた圭太への想いを、他人に土足で踏み荒らされた気がしたからだ。

私の初恋を、圭太との事を揶揄われる事だけは許せなかったんだ。

そして、子供だった私は自分の気持ちに気が付かず、開き直って圭太に向き合う事も出来なかった。


人より奥手な私には、時期も悪かったんだと思う。

もう一年早ければ素直に受け入れられたかもしれないし、もう一年遅ければ自分の気持ちにちゃんと向き合えたかもしれない。


今更......本当に今更自分の気持ちに気づいた私は、オロオロする先輩の前で、いつの間にか涙を流していた。



♢♢♢



それから二か月後、中三のゴールデンウィークに私は先輩と別れた。

先輩は凄く優しい人で、無理に私に迫ってくる事もしなかったし、こんな私をいつも気遣ってくれていた。

一緒にお昼を食べて、途中まで一緒に帰る。

休みの日には時々映画を見に行ったり、一緒にショッピングをするだけの中学生らしい交際だった。

だけど、圭太への気持ちを自覚したあの日から先輩への無関心は罪悪感に変わってしまい、先輩に本当の事を言って別れて貰いたいと思えば思うほど、優しい先輩を傷つけるのが怖くなってしまい、いつまでも言い出せなかった。


だから、ずるい私は圭太の時と同じように先輩から距離を取った。

幸い先輩が卒業してからは毎日会う事がなくなり、電話も私からは掛けない。

先輩からの電話も必要最小限の話で済まして、直接会うような事も色々理由を付けて極力断った。

そうしているうちに、高校に入学した先輩は中学と同じテニス部に入った事で忙しくなり、いつの間にか先輩からも連絡が来なくなっていった。

私の気持ちが先輩に無い事を、先輩は気づいていたのだろう。

そして、どうしても会いたいと言われて会ったゴールデンウィーク最終日、高校で他に好きな人が出来たから。と告げられて別れを切り出された。

結局いつまでたっても別れを切り出せなかった私に、最後まで優しさを見せてくれた先輩。

そんな先輩を散々傷つけたわたしは本当に最低の女だ。

立ち去って行く先輩の背中を見て、私はまた涙を流した。



♢♢♢



先輩と別れた事は私から言いふらす事はしなかったけど、友達に先輩との仲を聞かれた時にちゃんと答えた。

みんなは勿体ないと言ってたけど、私には勿体ない人だったのは本当だし、振られたのも私だ。私が振られたと言う事実は私の罪悪感を少しだけ軽くしてくれた。


私が先輩と別れたという話はあっという間に広がったのだろう。

それから、一、二ヶ月に一回くらいは誰かから告白されるようになった。

当然全て断っていたし、他の誰かを好きになる事も無かった。


三年生では圭太とは同じクラスになれなかった。

ときどき廊下ですれ違う時に、今までと変わらず挨拶してくる圭太に、目も合わせず小さく挨拶を返す事しか出来なかった。

今も昔も変わらない圭太の態度に、初めから圭太は私の事を何とも思ってないのではないかと思う様になり、それを考えて臆病になった私は何の行動も出来なかった。

そして私が壊した圭太との関係は何の進展もなく、圭太との接点も無くなった中学最後の一年間はあっという間に過ぎていった。


もう圭太の事は諦めよう―――


そう思い始めていた中三の冬。私は人伝にある話を聞いた。

圭太が受験する高校が私と同じ高校らしい。という話。

その話は、未だに諦めきれなかった私の思いに再び小さな火を付けた。


同じ高校に入れば、また圭太とやり直せるかもしれない―――


私の友達が、圭太の友達がそんな話をしているのを聞いた。というかなり曖昧な話だったけど、圭太に直接聞けるはずもない私はその話を信じるしかなかった。

圭太の友達に直接聞くか、私の友達に圭太に聞いてもらえれば、もっと確実に分かったのだろうけど、その時はそんな行動も起こせない程、私は圭太から距離をとっていた。


別に圭太と違う高校でもいいや。もともと私も受けようと思っていた高校だから。


また自分に嘘をついて、毎日そんな言い訳をしながらひたすら受験勉強に励んだ。


ここまで思い返してみても、今も昔も自分の性格が全く変わっていない事にビックリしてしまう。

表面上は明るく誰にでもフレンドリーに振舞って、皆からは取っつきやすくてサバサバした性格だと言われるけど、本当の私は臆病でずるくて、嘘つきで、誰かに嫌われないようにいつも人の顔色を窺っている小賢しい人間だ。

そして、そんな私を初めて受け入れてくれたのが圭太だった。

いつも飄々として、どんな私を見せてもいつも笑って受け入れてくれた圭太。


だからもう一度圭太とやり直したい。

今すぐは無理かもしないけど、高校の三年間という時間があればもう一度やり直せるかもしれない。

中学の最後の一年間、結局何の行動も起こせなかった自分に、高校から急に変われるかは疑問だったけど、高校の合格発表で圭太の姿を見付けた事が最後に私の背中を押してくれた。


♢♢♢


高校入学式の翌日。

かなり早起きした私は、駅の近くの駐輪場の影から圭太がやって来るのを緊張しながら待っていた。

そして三十分程待っていると、中学の時とは違う新しい自転車に、真新しい高校の制服を着た圭太がやってきた。

駐輪場に自転車を停めた圭太が駅の改札に向かって歩き出すのを見て、私はこれまでの人生の中で一番の勇気を振り絞って圭太の背中を追いかける。


圭太なら一年半前と同じようにいつもの飄々とした態度で接してくれるはず。


ホームに降りるエスカレータに乗った圭太の後ろに立つと、心臓が飛び出しそうにドキドキしているのが自分でも分かった。


神様!今だけ私に力を下さい!―――


私は心の中でそう念じつつ、ぎゅっと握り締めた震える手を圭太の肩に伸ばした。


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