第20話 わがまま

今日は八月第二週。

天気は快晴で朝七時時点での気温はすでに三十度近くまで上がっていた。

俺は紗江を助手席に乗せて家を出ると、優奈の家であるビューティーサロン晴美の前に車を停めた。

そう、今日は例の海水浴に行く日だ。


「優奈さん、お早うございます!」

「おはよう紗江ちゃん。圭太もおはよう。」

「あぁ、おはよ......」

「ん?どしたの圭太?せっかく海に行くのにずいぶんテンション低くない?」


紗江がもうすぐ優奈の家に着くことを連絡していたため、既に店の前で大きなバックを抱えて待っていた優奈が、車に荷物を乗せながら俺を気にしてくる。


「圭太は今日海に行くのが楽しみで、昨日は余り眠れなかったから少し疲れているんです。」

「は?何言ってんだ。お前が―――」

「そうですよね?け・い・た?」


くそっ!紗江の奴調子に乗りやがって!

楽しみで眠れなくて、朝の四時に俺を起こしやがったのはお前だろうが!

朝の四時に起こされて、海水浴に連れていかれる俺のテンションが低いのは当然だ。


「ああ......楽しみで......眠れなくってな。」


だけど、ここまで言われても俺には今日一日紗江に逆らえない理由がある。


「はは......良く分かんないけど、今日はよろしくね。」

「よろしくお願いします!さあ、圭太!それでは海に向かって出発です!」


♢♢♢


「何かどうしたの?二人とも今日は変だよ?」


車の中でも、命令する紗江と命令されるままに言う事を聞く俺の態度に、さすがに優奈もおかしいと思ったのだろう。後部座席から不思議そうな顔で尋ねてきた。


「優奈さん、今日一日、圭太は私の下僕なのです。」

「下僕って......何がどうして?」

「圭太はこともあろうに、私のいない間に私の部屋に無断で立ち入り、何やらいかがわしい―――」

「おいっ!」


二日前、紗江を部屋まで呼びに行ったときに、紗江の部屋に入って写真を見てしまった事を夕飯の時に紗江に言ったら、紗江は顔を真っ赤にして怒り出した。

確かに勝手に部屋に入った事は俺が悪い。

ただ、あの写真が良く撮れていたので紗江を褒めたかっただけなのに。だ。

結局紗江の怒りはシュークリームでも収まらず、海水浴に行く日の、丸一日、俺が紗江の言う事を何でも聞くという事で紗江の怒りは何とか鎮まった。


「だから優奈さん。今日の圭太は紗江のカラクリ人形、ケイタ一号なのです。優奈さんも圭太に頼みがあれば紗江に何でも行ってください。紗江がケイタ一号に命じますので!」

「そうなんだ......確かに圭太が悪いわね......じゃあ、何かあったらお願いね紗江ちゃん。」

「はい!お任せ下さい。」


そんな会話が車内で繰り広げられつつ、ケイタ一号と名付けられた俺は、海に向かって黙々と車を走らせた。



♢♢♢



「うわー!海ですぅ!海、海!圭太、早く!早く!」


車を走らせること三時間。俺達は西伊豆にある静かな海水浴場に到着した。

湘南の海だったら一時間もかからず行けるのだけど、大勢の若者で混雑していて海が汚い湘南よりは、海水浴客も家族連れ中心で比較的空いていて、のんびりとした雰囲気で、何より海が綺麗な西伊豆が好きだ。


今朝起きた時から高かった紗江のテンションは最高潮に達していて、車から降りると、服を着たまま海に飛び込みそうな勢いで走り出した。


「紗江!着替えてからだ!あとその前にトイレ行っとけよ。じゃないとまた漏ら―――グアァーー!」


そう言いかけた瞬間、真っ赤な顔をして戻ってきた紗江の肘が、俺のみぞおちにクリーンヒットする。


「ケイタ一号、早く荷物を運ぶのです!運び終わったら紗江の浮き輪を膨らましておくのです!」


紗江め、調子に乗りやがって!帰ったら覚えてろよ!

崩れ落ちる俺を尻目に、優奈と一緒に着替えに行く紗江の後ろ姿に復讐を誓った。


その後、紗江と優奈が着替えに行っている間に荷物を運び、パラソルを立て、シートを敷いて、無駄にでっかいシャチの浮き輪を膨らませていると、水着に着替えた二人がやってきた。

因みに俺は家から水着のままで来た。車だし、帰りだけ着替えれば済むからだ。


「おまたせ圭太!全部お願いしちゃって悪いわね。」


白いビキニを着た優奈は俺にそう声を掛けると、どうだとばかりに俺に水着姿を見せつけてくる。

客観的に見ても優奈はかなり美人だ。中学、高校と、俺が知っているだけでも十人以上から告白をされていた。

顔も小さくてスタイルも良いので少し離れて見ると身長の低さを感じさせない。


「圭太......どうです?似合ってますでしょうか?」


水色のビキニに腰に青いパレオを巻いた紗江は、夏の海では水着を着るものだと分かっているのだろうが、初めての水着で人前に立つのは少し恥ずかしいのか、さっきまでの傍若無人ぶりはなりを潜めて、少し紅潮した顔で水着姿を褒めろと言ってきた。


紗江に関しては言うことは無いだろう。

家に来た頃は少し痩せすぎだった身体も、甘い物の食い過ぎか分からないが、だいぶ健康的に見えるまでになっていた。

スタイルに関しても、唯一の弱点だった胸部もパットのお陰で完璧だ。

紗江を湘南の海に連れて行ったら大変な事になっていたに違いない。


だが、どんな相手でもこんな時に俺が言うセリフは一つだ。

カラクリ人形ケイタ一号は、市役所の職員になった気持ちで、唯一インストールされている定型文を口にする。


「あぁ、二人ともかわいいな。凄く似合っている!」


ただ、棒読みではいけない。

相手の目を見て、感情を込めたように口にする。これが大事だ。

例え心の中でどう思っていようと、こうしておけばこの話はここで終わるからだ。


俺がそう口にした途端、二人とも顔を赤くしてスッっと目線を逸らす。


「あ、ありがとう......紗江ちゃん、日焼け止め塗ってあげる。」


そう言って、真っ赤になった紗江の手を引っ張り、パラソルの下に向かう優奈。

紗江は俯いたまま何も言わず、優奈のされるがまま連れていかれる。


今日の俺はカラクリ人形ケイタ一号だ。

二人に仕返し出来て、少し留飲を下げた。


♢♢♢


「圭太!もっと早く進むのです!」

「圭太、頑張れ~!」


シャチの浮き輪に跨った紗江は最高の笑顔で俺に命令を下す。

紗江と、何故か優奈も跨っているシャチを引っ張っている俺は、命令に従って波に逆らいながら少しスピードを上げた。


「わっはっはー!私は暴れん坊主将軍!頭が高ーい!」


いや、お前は旗本の娘だろ?お父さんの主君の将軍様を茶化して良いのか?

黒いシャチを白馬に見立てて、颯爽と砂浜を駆け抜けている気分なのか、紗江は片手を離してブンブンと振り回している。


「紗江!手を離すと落ちるぞ!」

「そこの悪代官!この私に意見するのか?つべこべ言わずに今度はあっちに進むのだ!」


カラクリ人形ケイタ一号から悪代官になった俺は、その後も一時間近く紗江と優奈を乗せたシャチを引いて歩き回った。

その後も休憩を挟みつつ、砂遊びだったり、スイカ割だったり、またシャチに乗って俺に引かせたりと、紗江は夏の海を満喫していた。



♢♢♢



「はい、圭太。お疲れ様。」


疲れ切って一人休憩していた俺の頬に冷たい感触がしたので振り向くと、俺の後ろからスポーツドリンクを差し出す優奈が立っていた。


「あー、ありがと。」


俺が礼を言って差し出されたスポーツドリンクを受け取ると、優奈は俺の横に並んで座った。

太陽はだいぶ傾いて来ていて、黄色く光る海に入っている人の姿も少なくなっていた。

暫く優奈と二人で、少し離れた波打ち際で砂で山を作って遊んでいる紗江を見ていると、優奈がポツリと言った。


「圭太って何か、紗江ちゃんのお兄ちゃん?みたいだね。」


「お兄ちゃん?バカ言うなよ......あんな我儘な妹はこっちから願い下げだ。」


「私もビックリしちゃった。初めて会った時は大人しそうで見た目よりしっかりした子だなって思ってたけど、会うたびに意外と元気で活発な子になっていって、今日の紗江ちゃんはいつも以上に我儘っていうか......」


「最近は少し我儘になってきたけど、今日は特別だな。」


「そうなの?やっぱりあの約束のせいで?」


「そうだろうな。ちょっと調子に乗りすぎだけどな。」


「そっか......でも、私は紗江ちゃんが羨ましいな。」


「何だ?お前も俺にケイタ一号になって欲しいのか?」


貰ったスポーツドリンクを一口飲んで優奈にそう尋ねると、優奈もお茶を飲んだ後に笑いながら小さく手を振って、違う違うと答えた。


「あれだけ我儘が言える相手が居るのっていいなって思ったの。私があんな我儘を言ったのは、多分小学生の時にお父さんやお母さん相手が最後だもん。」


確かに今日の紗江はとても十八歳とは思えない程子供っぽかったな。


「だからね。そんな紗江ちゃんを見てると、圭太の事を信頼......好きなんだろうって思ったの。」


「好き?紗江が?俺を?」


「うん。あの位の歳の子って異性の前ではどうしても良い面だけを見せたがるじゃない?自分の悪い面やダメな部分を見せられるって言うのは、その人に嫌われてもどうでも良いような相手か、心から信頼している相手だと思う。」


「じゃあ、俺の事を異性として見てないか、どうでも良いと思ってるからだろ?」


「あはは!そうかもね。本当の所は紗江ちゃん自身も分かってないかも知れないけど......でも......紗江ちゃんが圭太に見せていた我儘な部分は、圭太に甘えていたからだと思うな。」


優奈は一人で砂遊びをしている紗江を見つめたまま話を続ける。


「圭太なら自分の悪い部分を見せても嫌いにならないでいてくれる、本当に悪い事をしたら、ちゃんと叱って見捨てないでいてくれる。あの年で肉親以外の異性にそんな気持ちを持つとしたら、本当に好きだから、自分も好かれているって感じてるから、こんな自分も見て欲しいと思っているからだと思うな。恋愛的なうわべだけの好きっていうより、もっと深い所で。」


「考えすぎだろ......」


「かも知れないね。けど、私には今の紗江ちゃんの気持ちが分かる気がするな。......だって私にも一人だけ......」


優奈が何か言いかけた時、紗江が大きな声で俺を呼んだ。


「圭太~!波でお山が崩されてしまいます。波を防ぐためにお山の前で横になって下さい!」

「だめだ紗江、もう夕方になるから終わりだ。」

「ええっ~、最後ですから!ケイタ一号なら文句を言わずに言う事を聞きなさい!」


紗江の我儘を聞いて、優奈がフフッと小さく笑った。


「ほら、可愛い紗江ちゃんのお願いなんだから聞いてあげなさいよ。お兄ちゃん!」

「ハァ~、......何が可愛い紗江ちゃんの為、だよ。」


「そんな紗江ちゃんを受け入れている圭太も......」


優奈が何か小さい声で呟いたが、よく聞き取れなかった俺は渋々重い腰を上げて紗江のもとに向かった。


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