第19話 スマホと麦わら帽子

三日前に梅雨が明けてからは連日真夏日が続いている。

そして今日は七月の第三週。火曜日、らしい。

らしい、というのは、今日は優奈が家に来ているからだ。

最近は美容院の定休日の火曜日には必ず家に来ている。


「ねえ、八月になったらみんなで海行かない?」


いつもの様に雑談をしている最中、畑で採れた茹でたてのトウモロコシをかじりながら、優奈が突然そんなことを言い出した。


「わぁ~、海ですか!私、海大好きなので行きたいです!」


リスの様に一心不乱にトウモロコシをかじっていた紗江は、海というキーワードに素早く反応し、優奈の提案に乗っかった。

だが、もちろん俺は反対だ。


「やだよ......暑いし、混んでるし、潮でベタベタするし、疲れるし。」


当たり前だ。何を好き好んで真夏の炎天下の下、一日中海にいなきゃいけないのだ。

同じボーっとするならエアコンの聞いた部屋でゴロゴロしていたい。


「え~っ!圭太、紗江は海に行きたいです!」

「そうだよ圭太。毎日こんな山ん中に籠ってたら、脳みそおかしくなっちゃうよ?あんたはどうでも良いけど紗江ちゃんがかわいそうだよ。」


優奈は卑怯にも紗江の事を持ち出してきた。

そんなに水遊びしたきゃビニールプールでも買ってやるから、二人で庭で水遊びでもすればいいだろう。


「い・や・だ!帰りの渋滞の中、ずっと運転する気はない!」


「ふ~ん......じゃあ、紗江ちゃんと私の二人で行こっかな?こんなに可愛い女の子が二人だけで海に行ったら、色々大変な事になっちゃいそうだけど~」

「ぐっ......」


トウモロコシをほっぺにペタペタと付けたまま、優奈はそう言ってニヤリと俺を見てきた。

別に優奈がどうなろうがどうでも良いが、紗江は不味い。

紗江のような容姿の女の子が男連れじゃなかったら、大変な事になるのは目に見えている。


「紗江はダメだ。健康上の理由で―――」

「大丈夫です!紗江はぜんぜん元気ですから。」


このバカ!たかが海如きで今までの設定を全部棒に振るつもりか!

俺は、急にポンコツになった紗江を睨みつつ、咄嗟に別の理由を探して口にする。


「そ、そうだ!紗江、海って言っても泳ぐんだぞ!大勢の人前でこんな恰好しなきゃいけないんだぞ!」


そしてスマホを取り出して、なるべくきわどい水着の画像を素早く検索すると、紗江に突き付けた。

俺が見せた水着の画像を覗き込んだ紗江は、キョトンとした顔でその画像を見ていたが、あぁ、と納得したように頷いた。


「大丈夫です。だって今も―――」


紗江はいきなりストリッパーの本領を発揮して、おもむろに着ていたTシャツを脱ぎだそうとした。


「紗江っ!ストップ、ストップ!」


咄嗟に紗江を制止して何とかストリップを止めさせたが、水着作戦は失敗だ。

そうなのだ。紗江の羞恥心は現代人とはどこかズレている。

そもそも、紗江には下着と水着の区別がついていないのだろう。

夏の海では水着になる。と理解した紗江は多分下着姿のまま浜辺を闊歩出来るだろう。

江戸にいた頃は混浴の銭湯に普通に入ってたらしいしな。

もっとも、お母さんやはるさんが見えないようにガードしていたらしいが。


「前から思ってたけど......紗江ちゃん......あんたたちってちょっと変わってるね。」


俺達のやり取りを呆れた様子で見ていた優奈が俺に胡乱臭そうな目を向けて来る。

最近の優奈は、時々出る紗江の言葉遣いだったり、女子高生なのにスマホどころか携帯も持っていない事だったりを知って、何かおかしいと感づいてきたのかも知れない。


「まあいいわ。じゃあ、決まりね!紗江ちゃん水着持ってる?持ってなかったら来週あたりに買いに行こうよ。圭太のお金で!」

「やりました~!海ですね!楽しみです!」


ほっぺにトウモロコシの粒をつけたままの優奈が強引に話を纏めると、いつの間にか綺麗に食べ終えたトウモロコシの芯をブンブン振って喜ぶ紗江。カスが飛ぶから止めて欲しい。


「圭太も良いでしょ?運転も変わってあげるし......私達の水着姿が見られんだから~」


ニヤニヤした顔で見つめてくる優奈の言葉を聞いて、俺の行く気がさらにガリガリと削られていった。


♢♢♢


翌週の火曜日、紗江と優奈と一緒に隣の市にある大型ショッピングモールに行き、二人に一日中連れまわされて海に行くために必要な物を買った。

水着、洋服、日焼け止め、化粧品、泳げない紗江の為に、でっかいシャチの浮き輪の様なもの。

勿論紗江の分は全て俺が支払った。


そして最後に紗江にスマホを買ってやった。

紗江は少し前から、優奈とメッセージのやり取りや、俺が一人で出かけた時も連絡が取れるようにしたいと言う理由でスマホを欲しがっていて、今回紗江の初めての遠出ということもあり、迷子になっても大丈夫なようにスマホを買ってやることにした。

勿論名義は俺で、支払も俺だ。

優奈は、何故紗江のスマホを俺が買うのか疑問に思ったみたいだが、紗江の親が金を払うと説明すると、一応は納得したみたいだ。


そして開通後、紗江は優奈に教わりながら、店内のWi-Fiで早速メッセージアプリをダウンロードして、優奈とIDを交換していた。


「圭太もIDを交換しましょう!」


優奈といくつかのメッセージをやり取りした後、嬉しい時の紗江の癖でぴょんぴょん飛び跳ねながら俺ともIDの交換をした。


ピコン!


―――圭太殿、有難うございます!大切に致します!


すぐに俺のスマホに紗江からの初めてのメッセージが届いた。



♢♢♢



スマホを手に入れた翌日から、紗江は常にスマホを持ち歩いていて、そこら中をカメラに収めていた。

家から見える景色や花や木や草、家の中といい、外にある物といい、ありとあらゆるものを片っ端からカメラに収めて行く。

動画も撮っていたが、紗江いわく、「その瞬間だけを切り取れる写真の方が好き」らしい。

俺も何枚か撮られたが、あの様子だと早めにメモリーカードを買ってやらないといけないかも知れない。


そんな風に紗江が写真中毒になって数日経ったある日の昼食後の事だった。


「圭太殿、スマホで撮った写真を雑誌の様に紙などに写し取る事は出来ますでしょうか?」

「ん?あぁ、写真を印刷したいのか?できるけど?」

「あっ!本当で御座いますか?いったいどのようにすれば―――」


紗江はパッと顔を輝かせて、印刷したい写真がある事を告げてきた。

コンビニでもネットプリントでも可能だけど、家にはプリンターも写真用の用紙もある。

俺は紗江に、スマホからプリンターへ写真を送って印刷する方法を教えてやった。


「ありがとうございます!後は紗江が自分で印刷しますので。圭太殿は畑仕事でも。」


わざわざプリントまでしたい写真が撮れたのだろうか?

俺を追い立てるようにそう言った紗江は真剣な表情でスマホと睨めっこを始めて写真を選び始めた。


♢♢♢



カシャ!


画面のボタンを押すだけで、簡単に目の前の風景や物が一瞬にして写真に残る。


私がスマホを欲しがった理由―――


圭太殿や優奈さんと遠く離れていてもお話しやメッセージのやり取りが出来るから、というのも理由の一つだけど、一番の理由は写真が撮りたいという事だった。


初めて優奈さんの美容院に行った日、優奈さんに見せてもらった圭太殿の写真を見た時から私は写真が欲しくなった。

スマホがあれば写真が撮れる。

圭太殿のスマホをお借りすればすぐにでも撮れただろうけど、私が撮りたいと思った光景をすぐに撮れて、好きな時にいつでも見られるためには、自分のスマホが必要だった。

そして、撮った写真を紙に写す事も出来るのは嬉しい誤算だ。

印刷したい写真も既に決まっている。

私は画面をスクロールして、同時に写した同じ構図の写真数枚をじっくりと吟味する。


(これにしましょう!)


数枚の中から一番気に入った写真をプリンターに送信して印刷を開始した。印刷枚数は二枚。

プリンターから出てきた紙に映し出されている写真を見て、思わず顔がほころんでしまう。

この世に来て、圭太殿に逢えた今の私の気持ちが全て詰まっているこの一枚。

我ながら優奈さんの写真のように上手く撮れていると思う。


一枚は部屋に飾ろう。そしてもう一枚は肌身離さず持ち歩こう。

これで、私がいつどこにいてもずっと圭太殿に逢えるだろう。



♢♢♢



「おーい!紗江、居るか?」


その日、午後から紗江を連れて買い物に行こうと思っていた俺は、日用品で不足がある物を紗江に確認してもらおうとして紗江の部屋の前まで来て声を掛けたが、中から返事は無い。


「おーい!午後からの買い物だけどさ―――」


扉を開けて紗江の部屋に入るが、中に紗江はいなかった。


(ったくアイツ、どこ行きやがった?)


昼食後のこの時間は大抵部屋で何かしていると思ってきたのだけど、どうやらどこか別の場所にいるらしい。

再び紗江を探そうと部屋から出ようとしたその時、紗江の為に買ってあげた小さな白い洋服タンスの上に置いてある物に目が留まった。


この前、水着やスマホを買いに行ったときに、紗江に似合うと思って俺が選んだツバの大きな麦わら帽子と、その横に置いてある写真立て。


(そういえば、アイツ、この前写真を印刷してたな......)


写真立てもその後100均で買ってあげた奴だ。

一体、どんな写真を印刷したんだろうと思い、俺はその写真立てを手に取った。


(あぁ、あの時の。確かこんな写真撮ったな。)


「圭太殿!優奈さんのように自撮りが上手くなるための練習に付き合って下さい。」


その写真は、紗江にスマホを買ってあげた翌日、午後から畑仕事に行こうとした時に、庭で紗江に呼び止められて、自撮りの練習だと無理やり撮らされた写真だった。


例の白いワンピースを着て、頭にかぶった麦わら帽子が風で飛ばないように片手で押さえている紗江は、お互いの頬が触れるくらい俺に密着しながら、満面の笑顔を浮かべてカメラを見つめていて、作業着姿の俺は驚いた間抜けな顔で紗江を見ている。

俺達の背後には向日葵が大輪の花を咲かせていて、青い海まで続く街並みと、空には大きな入道雲が夏の太陽に照らされて白く輝いている。


向日葵と海と入道雲。そして麦わら帽子と白いワンピースが似合う少女。


周りの山々からうるさい位に聞こえてくるセミの声や、ときどき木々を抜けて行く風の音、そして、はしゃいでいた紗江の明るい笑い声が今にも聞こえて来そうな、とある夏を切り取った一枚。


その瞬間だけを切り取れる写真の方が好き―――


紗江の言葉を思い出し、彼女の言いたい事が何となく分かる気がした。

写真の良し悪しはさっぱり分からない俺だけど、いつかこの写真を見て、この時の事を鮮明に思い出す日が来るかもしれない。



♢♢♢



「きゃぁー、け、圭太殿!」


すると突然、庭の方から紗江の叫び声が聞こえてきた。


(あいつ......また何かやらかしたのか?)


写真立てを元に戻した俺は、ため息を付きながら紗江の下に急いで向かった。

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