第16話 白浜優奈と海
「はぁ~、とうとうやっちゃったな、私......」
お風呂から出て、髪を乾かした後にベットに寝転がった私の口から、ついそんな独り言が漏れていた。
私はスマホに手を伸ばして、昼間、圭太に見せてしまった写真見てまた溜息を付く。
自分の気持ちを誤魔化すように、満面の笑みでピースをしている自分。
不機嫌そうな顔でカメラを見つめている圭太。
恥ずかしそうに、それでも勇気を出して圭太に寄り添うようにして微笑む菜音ちゃん。
この写真の時にはまだ始まったばかりの、いや、圭太にとっては始まりですらないこの一枚の写真は、この後の三人に起こる出来事を予言するかの様に三者三様の表情を見事に映し出していた。
全部私のせい。
臆病で素直になれなくて、自分に酔っていたバカな私のせいで迎えた最悪の結末。
結局全員が傷ついて、誰も幸せになれなかった高三の夏。
多分、圭太や菜音ちゃんにとっては、今では記憶の片隅に残る苦い思い出かもしれない。
だけど私にとっては七年経った今でもズキズキと痛みを訴えてくる、あの日からずっと残って消えない心の痣だ。
今日圭太が連れてきた紗江ちゃんっていう子。
私はあの子に嫉妬してしまったのかもしれない。
あの子が圭太に見せた表情、圭太があの子に向けていた眼差し。
この写真を撮るまでは私に向けられていたあの眼差しが、他の誰かに向けられているのを直接見たのは初めてだった。
そんな圭太の眼差しが私の心の痣を強く押して、その途端に痛み出したんだ。
自分の気持ちに正直に向き合った圭太と菜音ちゃんに対して、自分の気持ちに向き合えなかった私だけが、一人あの時の気持ちを引きずったままこうして取り残されている事で。
だから私はあの夏から封印していたあの写真を圭太に見せた。
今更圭太を傷つける気なんて無いけど、未だに引きずっている気持ちに決着を付けるって決めた私の決意表明だった。
「はぁ......」
もう一度大きくため息をついた私は、それでも圭太にあの写真を見せた事は後悔していない。
このままずっと一人取り残されたままの自分に決別する為の最初の一歩。
結果がどう転ぶかは分からないけど、それを乗り越えない限り本当の私と圭太の関係には戻れない。
自分勝手な考えに今更圭太を巻き込んでしまう事になるのは分かっているけど、もう一度だけ圭太の優しさに甘えさせてもらおう。
圭太、ごめんなさい―――
私はスマホから手を離し、部屋の電気を消してベットに潜り込んだ。
♢♢♢
ビューティーサロン晴美を後にした俺達は、車で三十分程の隣の市にある大型ショッピングモールに行って、紗江の下着のサイズを測ったり、シュシュやヘアピン、ブラシなどの小物、食料品などを買い込んで家に帰った。
そして翌々日の朝、俺と紗江は車で紗江が住んでいた東京の代々木に向かった。
だが、結論から言うと結局何の成果も無く帰って来た。
八幡様は簡単に見つかったが、周りの景観の変わりようが激しすぎたため、祠のあった場所も紗江の屋敷があった場所も、痕跡すら見つけられなかった。
東京に行ってから二日が経った今日。
紗江もそんなに都合よく元の時代に戻れるとは思っていなかっただろうけど、東京に行けば自分の記憶の中に結び付く何かが一つくらい発見できると思っていた期待が裏切られたことで未だに落ち込んでいる。
それでも紗江は、あれからも暇があれば祠の前に立って一生懸命祈ったりしていた。
俺もネットで色々調べてはいるが、タイムスリップする方法など当然見つかる訳もなく、進展は全くなかった。
俺は縁側に座って煙草をくゆらせながら、今も祠の前で祈っている紗江を見る。
焦っても仕方がない。とは自分の事じゃないから言えるのであって、紗江としてはじっとしていられないのも当然だろう。
とは言え、そんなに根を詰めても紗江が持たないだろう。
俺は紗江から目の前に広がる見慣れた景色に視線を戻した。
ここ数日は風も無い暖かな春らしい陽気が続いていて、遠く眼下に広がる海が日の光を浴びてキラキラと輝いていた。
海か......もうだいぶ行ってないな。
紗江の気分転換も兼ねて久しぶりに海まで行ってみるか。
「紗江、今から海まで行ってみないか?」
祠の前にしゃがんで一生懸命祈っていた紗江に後ろから声を掛けると、振り向いた紗江はキョトンとした顔で俺を見た。
「海......ですか?」
こんなにいい陽気だし、久しぶりに海に行くのも悪くないだろう。
♢♢♢
「わぁー!これが海ですか!近くで見るととても広いですね。キラキラ光ってとても美しいです!」
自宅から三十分程車を走らせて海沿いの国道まで出た俺は、助手席側に海が来るように西に向けて車を走らせた。
紗江は車の窓を開けて潮風を身体全体で受けながら、陽光を受けてキラキラ光る海を見て楽しそうに笑っている。
「危ないから窓からあまり顔を出すなよ!」
「圭太殿!ほら、あそこにお船が!あ、あそこにも!」
そんな紗江を見て苦笑しつつ、海沿いの駐車場に車を停める。
景色と潮風が気分転換になったのか、車酔いもせず、紗江もすっかり普段の元気を取り戻していた。
車を降りた俺達は少し歩いて砂浜に降りた。
風が少し強いけど、快晴の空から降り注ぐ日差しは少し暑いくらいだ。
「わぁ~!広いです!圭太殿!波打ち際まで行っても良いですか?」
紗江は俺の返事が待ちきれないとばかりに、サンダルを脱ぎつつ早口で尋ねて来る。
「良いけどまだ水は冷たいから気を付け―――」
俺の返事を最後まで聞くことも無く裸足で海に向かって元気よく砂浜を走り出した紗江を横目に、俺は近くの橋の下の日陰に腰を下ろすと、一人遊びする紗江を眺めていた。
普段、甘い物を食べている時以外―――は年齢よりだいぶ大人びた言動が多い紗江だけど、波打ち際まで行って足を水につけたり、波と追いかけっこをしたりしてる無邪気な姿はごく普通の十代の女の子だ。
タイムスリップなんかに巻き込まれなければ毎日あんな笑顔で過ごせていたはずだろう。
引いた波を追いかけていた紗江が、急に打ち寄せてきた波に慌てて逃げる。
逃げ切れたと安心したのか、次の瞬間、ベチャ!っと音が聞こえそうな勢いで転んだ。
(あーあ、あの馬鹿。びしょ濡れじゃねーか......)
おろしたての真っ白なブラウスもサーモンピンクのフレアスカートもびしょ濡れにして立ち上がった紗江は、半泣きでこっちを見てきた。
「紗江!風邪ひくから戻って来い!」
俺がタオルを準備しつつ大声で呼びかけると、今度は照れ笑いを浮かべてこっちに向かって走り出す。
そんな紗江の笑顔を見て改めて思う。
(あいつが毎日あんな笑顔で過ごせる時代に早く戻れるように、俺も頑張んなきゃな。)
俺には何も出来ないかも知れない。それでも―――
♢♢♢
「紗江、そろそろ昼にするか。」
時計を見ると既に午後一時を過ぎていたので、戻ってきた紗江の頭をタオルでゴシゴシ拭きながら、昼にしようと声を掛ける。
「水は冷たいですけど、とても気持ちが良いです!後で圭太殿も一緒に足を付けてみましょう!」
「まあ、足だけならな。お前みたいに泳ぐ気はないからな!」
「くっ!あれは少しばかり油断しただけです。今度こそ逃げ切って見せます!」
戻って来て開口一番、俺に頭を拭かれながらそんな事を言う紗江に、まだ遊び足りないのかと思いつつも、近くの公園の屋根付きのベンチに座ってコンビニで買っていたおにぎりやサンドウィッチで昼食を摂った。
イチゴと生クリームのサンドイッチを頬張りながら、この前優奈に少し飲ませて貰って気に入ったらしいミルクティーを飲む紗江。
見ているこっちが胸やけを起こしそうな甘さ100%の昼食を摂りながら、紗江は興奮してしゃべり続けた。
生まれて初めて海に来たこと。
海の匂い。潮風の心地よさ。波の音。砂浜の感触。
「そんなに気に入ったんならまた連れてきてやるよ。」
「本当ですか?是非お願いします。圭太殿、約束ですよ!」
「ああ、分かった。約束だ。」
昼飯を食べ終えた俺達はもう一度砂浜に降りると、今度は俺も遊びに付き合わされて、結局海を後にして車を出した頃には午後三時を廻っていた。
「家までまだ三十分以上掛かるから、疲れてたら寝ていいぞ。」
「いえ、大丈夫で御座います。それより今日はありがとうございました。とても楽しかったです。」
紗江は余程海が気に入ったらしい。
「......そういえば、東京は残念だったな。」
「いえ、私も少し望みを大きく持ちすぎていました。ここが百五十六年後の世だとは分かっていても、御府内に戻れば帰れるのではないかと。」
「俺も力になれなくて......悪かったな。」
「そのような......そのような事は御座いません!圭太殿には本当に感謝しております。もし圭太殿にお会いできなければ今頃私はどのような目に合っていたかと思うと。......だからこの世に来て、けっ、圭太殿に......巡り合えて、紗江は幸せで御座います。」
彼女に振られて逃げ帰って、何もしないで無気力な生活を送っていた俺でも、少しでも誰かの、紗江の支えになれていたのだろうか。
俺は紗江に何も答えずに、ただ黙々とハンドルを握って車を走らせた。
余程遊び疲れたのだろう。助手席の紗江は暫くするとぐっすり眠りに落ちていた。
今紗江はどんな夢を見ているのだろう。
もとの時代で過ごす楽しい夢でも見ているのだろうか。
そして、夢から覚めて現実に絶望するのだろうか。
やっぱり俺には何も出来ないかも知れない。
ただ、現実に戻された紗江が少しでも多く、今日の様な笑顔が出来るように。
ただ、それだけでも。
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