第13話 洗髪

モニターの右下に表示されている時計に目を移すと、時刻は『16:45』と表示されている。

昼食後にパソコンを立ち上げてから、かれこれ四時間近く経った計算だ。

今俺は、時代が違えどファッションに対する女の執念は変わらない事を思い知らされていた。


「なあ紗江、そろそろ......」

「圭太殿!次はこれ!これを見せてください!」

「俺はそろそろ買い出しに―――」

「これもまた良い柄でございますね!」

「おい、紗江!」


痺れを切らした俺に、紗江はモニターを見つめていた顔を上げ、慈愛に満ちた表情で俺に微笑みかける。


「圭太殿?圭太殿も浪人とは言え武士の端くれで御座いましょう?仮にも武士である圭太殿が私にお掃除をさせている間に昼間から一人でコソコソとあのような―――」


完全に俺の失敗だった。

ブラジャーを選んでいる所を紗江に見つかった気まずさを誤魔化す為とは言え、俺はあの後、洋服や靴を一緒に選んでくれるように紗江にお願いしたのだ。

その結果、紗江に見つかってから三時間近くこうやって紗江の買い物に付き合わされている。

靴を二足選ぶのに一時間、パジャマや靴下を選ぶのに一時間、そして洋服を選び始めて既に一時間。

これが現代人だったら何も問題なかった。

だけど今ここに居るのは紗江だ。当然パソコンなんか操作できるはずもなく、俺はあれからずっと紗江の操り人形になり、一度トイレに行かせて貰っただけで、後は紗江の言うがままパソコンの操作をさせられていた。

そして痺れを切らした俺が切り上げようとすると、さっきのセリフを口にする。

あの件については何度も説明したし、紗江も本気で言っているんじゃないと分かっていたので、甘いと思いつつもここまで付き合っていたけど、そろそろ本気で買い出しに行かないと天気が心配だ。


「さ!え!もう終わりだ!じゃあ、これで良いな?」


「むぅ......仕方ありませぬ。それで最後にいたします。」


今度こそ俺が本気で終わらせようとした雰囲気を感じたのか、紗江はプゥっと頬を膨らませると、しょうがないといった感じで買い物を終わらせる事に同意した。


(こいつ、こういう所は勘が良いんだよな......しかし、この服をみて本気で「良い柄ですね。」なんて思ってんのか?)


紗江が最後に選んだ、ピンクの熊のバケモノみたいなプリントが入った白いパーカーをカートに入れてから支払に進むと、商品合計点数25点、合計金額78,000円と表示されていた。


ななまんはっせんえん!

俺が清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入した愛機「プチ子」でも税込み七万円だったのに、こいつの服で七万八千円だと!

せめて、三千五百円と表示されたピンクの熊のバケモノをカートから削除しようと、俺がマウスを動かしかけたその時、モニターを見つめていた紗江が鋭い目つきで俺を睨んできた。


(ホントにこいつ、こういう所は勘が良いんだよな......)


そして、紗江はニコニコと笑顔のまま無言で「注文確定」ボタンを指で指した。

ボタンの意味が分からなくても、漢字の雰囲気で理解してやがる。


(ネットでもリアルでも女の買い物に付き合う恐ろしさは同じだな......)


紗江の操り人形と化した俺はそんな事を思いながら、力なく「注文確定」ボタンを押した。



♢♢♢



ネットショッピングから解放された俺は、紗江の操り人形と化している間に大きく崩れた天気の中を車でスーパーに向かい、数日分の食糧と、殆どを紗江に食べられてしまったデザートを買ってすぐに家に戻った。

そして、買ってきた食品を冷蔵庫に仕舞いつつ、紗江の分のデザートには自分で名前を書かせた。

紗江はシュークリームやプリンは勿論、初めて見るデザートにも興奮し、いそいそと名前を書き込んだ後に冷蔵庫の片隅にまとめて仕舞った。


「これは紗江の物で御座いますから。」

「分かったから夕飯の準備を手伝ってくれ。」


俺に向かって笑顔でそう宣言する紗江に、内心苦笑しながら夕飯の準備に取り掛かり、一時間程で塩サバをメインに数品作ると、紗江と向かい合って夕食を摂る。

そして食後は恒例の打ち合わせだ。

俺はフルーツが沢山入ったゼリーを頬張る紗江の姿を眺める。

服も買ったし、残る議題は......


「紗江、その髪型なんだけどな。」

「はい?髪型で御座いますか?やはりおかしいでしょうか?枕が低くて少し潰れてしまったのですが。」

「いや、その髪型じゃ目立って、東京に行くのは難しいんだ。」

「難しいとは、やはり......切らなければ駄目......でしょうか?」


やっぱり紗江も分かっていたんだろう。

さっきまで散々モデルさんの髪型を見て、日本髪のモデルさんが居なかった意味が。


「いや、切るかどうかは取りあえず髪を解いてから考えよう。」


俺も日本髪を解いた状態がどうなっているのか分からないので、解いた状態で今の時代に町を歩いても違和感がないか確認する必要があった。


「分かりました。帰るためには仕方ありませぬ。」


紗江は髪の毛を少し抑える様に触りながら、少し俯いてボソッと呟く。


「まあ、今日風呂で頭を洗った後に、どのくらいの長さか見て判断しよう。」

「髪を洗うのですか?」


紗江のその質問に俺は嫌な予感がした。

これは多分あれだ、風呂と同じパターンだ。


「あ、ああ、今解かなくても洗った後で......大丈夫だろ?」

「そうでございますね。あの様に捻るだけでいとも簡単にお湯が出るのでありますれば。」

「......紗江、因みに最後に髪を洗ったのはいつだ?」

「近頃は陽気も良かったゆえ......」

「ゆえ?」

「十日程前で御座いましょうか。」

「紗江!風呂だ!今すぐ風呂に入って頭を洗ってこい!」


その後、”ふのり”だ”うどん粉”だと訳の分からない事を言う紗江を無理やり風呂まで連れていき、シャンプーとコンディショナーの使い方を実演して見せてから、着替えのジャージを渡して風呂に押し込めた。



♢♢♢



「どう......で御座いますか?」


濡羽色とはまさにこのような色を言うのだろう。

腰下まで伸びた漆黒の髪は、磨かれた黒曜石の様な光沢を発していて、湯上りでほんのりピンクに染まった首筋の白い肌とのコントラストがその美しさをより一層際立たせていた。

俺も東京で生活していたころは、偶に腰まで髪を伸ばした女性を見かける事もあったが、たいていは毛先が痛んでボロボロで、長すぎる髪にはあまり綺麗な印象は無かったが、紗江の髪は毛先まで痛みも無く、ツヤツヤと輝いている。

髪は女の命とはよく言ったものだ。

これなら紗江が髪を切るのを躊躇う気持ちも分かる。


「あぁ......凄く綺麗だな。」

「あ、ありがとう......ございます。」


自慢の髪を褒められて嬉しかったのか、紗江は湯上りでピンクに染まった肌を一層赤くさせて俯いた。

ただ、これで町を歩くのはどうだろう。

紗江は顔が良いからまだ見られるが、髪型だけ見ればテレビから這い出てくる某ホラー映画の○子と大して変わらない。

こんな女に暗がりでばったり出会ったら俺も腰を抜かす自信がある。

シュシュとかで髪を纏めたりすれば大丈夫だろうか?


「見た感じ、少し纏めたりすれば大丈夫だと思うんだけど......」


俺がそう言った瞬間、紗江の顔がパァーっと明るくなる。

だけど、俺には女の髪をどう纏めたらいいのかなんて知識は一切ない。


(やっぱりここはプロに相談してみるか。)


幸い、と言うべきか、俺の数少ない地元の友達に美容師になった奴がいる。

人に会わせるのは少し危険だけど、あいつに相談したほうが良いかもしれない。


「紗江、切る切らないは別にして、一度プロにアドバイスをしてもらわないか?」

「ぷろ?あどばいす?」

「あー、髪の毛を整える仕事をしている人に見てもらった方が良いんじゃないかと思うんだ。」

「あ、女髪結いでございますね。分かりました。」


良く分かんないけど、紗江がそう言うのならそうなのだろう。

結局、注文した洋服が届いたら、そいつの所に紗江を連れて行ってアドバイスしてもらう事で話は落ち着いた。


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