第12話 ネットショッピングの偉大さと危険
プリンの件は一旦保留とし、俺は紗江を連れて桜の木まで戻ると、紗江に見えやすいように周りの雑草を少し引き抜いてその祠を紗江に見せる。
「紗江、これに見覚えがあるか?」
「これ......は......あっ!これ、これで御座います!この祠で御座います!」
「やっぱりそうか!」
「はい!昨日見かけた時より多少古びておりますが、この丸が重なった文様はハッキリと覚えております。」
東京まで行ってひたすら歩き回る事も覚悟していただけに、まさかこんな所であっさり見つかるなんて。
「圭太殿、御府内にあったこの祠が何故このような場所に?」
「さあ?俺が子供の頃からここにあったから俺にも分かんないな。爺さんが生きていれば何か知っていたかもしれないが。」
「左様で御座いますか。......でも!」
「ああ、もしかしたら......」
そう、紗江が見た祠がここに、紗江が現れた場所にあるという事は、タイムスリップの原因にこの祠が絡んでいることはほぼ間違いないだろう。
紗江もそれが分かったのか、満面の笑みで小さくピョンピョンと飛び跳ねている。
「紗江、この祠を見て自分自身に何か変わった事は無いか?」
「えーっと、特に変わった事は......無いように思います。」
「そっか、じゃあ、あの石を持っているか?」
紗江はジャージのズボンのポケットをゴソゴソと漁り、例の青い石を取り出すと、手のひらに載せて俺にも見せてきた。
「この石も......特に変わった様子は御座いません。」
紗江の言う通り、彼女の手のひらに載っている薄い青色をした石は、昨日見せてもらった時と比べて特に変わった様子はない。
石も祠も変化なしか。何か他の条件があるのか?
日付?時間?天気?紗江がここに来た時と何かが違うのか?祠も石も関係ないのか?
「紗江、お前がその石を拾った時と今で、何か違う事はあるか?」
首をコテンと傾げ、少し考える素振りを見せる紗江。
何かヒントを思い出してくれれば。
「変わった事と言えば......この石は昨日拾った時にはもっと明るく青く光っておりました。なので私も祠の前に落ちていたこの石に気が付いたので御座います。」
「もっと光っていた......か。」
祠の前で石が光っている状態じゃないとダメって事なのか?
とすると、石が光る、光らせる条件、それが分からないとタイムスリップ出来ないのか?
「他に昨日と違う点はあるか?」
「他に、......この祠があったのは八幡様の近くの林の所で御座いました。」
「他には?」
「”はる”が一緒におりました。あと、ジャージではなく着物を着ておりました。」
「他は?」
「他には......済みません、他には思い当たりません。」
場所、日時、天気は変えられないから、今試せるのは着物だけか。
「紗江、着物に着替えてきてくれないか?」
「着物にですか?」
「まだ乾いてないと思うけど......悪いな。」
「いいえ、大丈夫で御座います。それでは急いで着替えを済ませて参ります。」
何か他の条件はないか。大事な事を忘れてないか。
俺は母屋に向かって小走りに走って行く紗江を見ながら考えていた。
♢
麓の市街から正午を知らせる鐘の音が風に乗って聞こえてきた。
「紗江、雨も降りそうだし、そろそろ昼にしよう。」
朝から吹いていた西風が、二時間くらい前から生暖かく強い南風に変わり始め、空は重く垂れこめるグレーの雲に覆われていた。
「......はい......分かりました。」
タイムスリップした時の様子を一生懸命再現するように演技していた紗江は、そう力無く呟いた。
紗江の額には、四月になったばかりだというのに薄っすらと汗が滲んでいる。
あの後、着物に着替えた紗江は祠の前でポーズを取ったり、石を握ってひたすら祈り続けたりしていたが一向にタイムスリップする気配は無かった。
最初の三十分くらいは俺もその様子を眺めながら色々アドバイスをしていたけど、俺の存在が邪魔をしているのかもと思い、俺は洗濯したり自分の部屋やリビングの掃除をしたりしながら時々紗江の様子を確認するだけにしていた。
結局これだけやってもタイムスリップ出来ないって事は、何か条件が足りないのだろう。
「何がいけないので御座いましょう?」
母屋に向かって歩きながら寂しそうな声で誰ともなく呟く紗江。
「さあな。でも、見つけるのが困難だと思っていた祠があっさりと、しかもこんな近くに見つかっただけでもかなり幸運じゃないか。ここに祠があるんだからこれから好きなだけ色々試す事が出来るしな。」
本当は祠が見つかったのは幸運でも何でもなく、ただこの時代の祠があった場所に飛ばされてきただけだと思うが、今の紗江にわざわざそんな事を言う事も無いだろう。
「そうで御座いますね。こんなにすぐ見つかるなんて、それだけでもすごい事で御座いますものね。」
「そう言う事だ。さあ、飯にするから紗江も手伝ってくれ。うどんでいいよな?」
「うどんですか!はいっ!」
うどんと聞いた紗江は途端に元気を取り戻していた。やっぱチョロいな。
♢
うどんは紗江の大好物らしい。
つゆの素を適量の水で割って、沸騰させてから冷凍うどんをぶち込むだけ。
後は刻んだネギと市販の味の付いたお揚げを乗せたら出来上がり。
そんなうどんでも紗江にはとても美味しかったらしく、汁まで残さず食べていた。
食後は恒例となった打ち合わせを行う。
まずは東京に行く件については当初の予定通り行くことになった。
祠は発見したけど、タイムスリップ出来ない原因のヒントが、もしかしたら東京の紗江が居た場所にあるのではないかという期待もあるし、紗江も自分の家がどうなったのか確認したいらしい。
その後の事はおいおいと考えて行くことにする。
紗江にとっては祠が見つかったのに歯がゆいかも知れないけど、時間を掛けて色々試すしかなさそうだ。
後は今日の予定。
紗江には母が使っていた六畳の和室を使ってもらう事にした。
あの部屋だったら日当たりも良く、母が使っていたドレッサーもあるし丁度良いだろう。
その為、紗江には午後から部屋の掃除をしてもらうことにして、俺はその間に紗江の下着や服などを買うことにした。
「最後に、紗江。食べたい物があれば常識の範囲で買ってやるから、俺の物は勝手に食べない事。いいな?」
「はい......申し訳ありませんでした。」
「分かれば良し。しょうがないからプリンは紗江が食べていいぞ。」
「えっ!私が食べて宜しいのですか?」
「ああ、紗江もプリンが気になって掃除に身が入らないだろ?」
「有難うございます!」
「箸じゃ食べにくいからスプーン......匙を使いな。」
紗江はすぐに冷蔵庫からプリンを取り出して戻ってきたので、俺は開け方......とはいっても蓋代わりの包装のはがし方を教えてやった。
「プリンとやらも、とても美味しゅうございます!」
俺は美味しそうにプリンを頬張る紗江を見て、苦笑いが出る。
(結局プリンも紗江に食われちまったな。)
まあ、紗江も午前中は頑張ってたし、俺の分は後で買い物に行くから、その時に買えば良いだろう。
♢
俺は今、自室のノートパソコンから大手ショッピングサイトのトップページを開いている。
昼食後に紗江にこれから使う部屋の掃除をお願いして、彼女が居ないうちにやるべきことがあったからだ。
いつもだったら新刊の小説や漫画をチェックするサイトなのだが、今日は俺にとって未知の領域である『女性ファッション』のカテゴリーを恐る恐る選択する。
すると、女性物の靴やアクセサリー、ワンピースや下着の画像が一斉に表示され、俺の前に立ち塞がった。
始めて踏み込む領域にドキドキしながら、サイドメニューから『インナーウェア』のカテゴリーを選択すると、見慣れたパソコンのモニター上に大量の女性用下着や下着を着用してポーズを取るモデルさんの画像が表示され、俺は謎の背徳感から意味もなく後ろを振り返った。
いつもみている健全なショッピングサイトにこんなページがあるとは。
いや、全くもって健全なページなのだが、エロサイトを見るよりもいけない事をしている感覚に襲われる。
そう、例えるならデパートでエスカレータに乗るために仕方なく女性下着売り場に一人で足を踏み入れた時と同じ感覚。
だが、こんな事で怯んでるわけにはいかない。
俺にはこれからこの中の下着をいくつか選び、購入するというミッションが待ち構えているのだ。
まず最初のミッションはパンツだ。
サブカテゴリーから『ショーツ』を選択する。
画面上にこれでもかと現れるパンツの画像に怯んだ俺は、一瞬、掃除中であろう紗江を呼んで自分で選ばせる事にしようかと考えたが、何も知らないあいつに下着について一から説明したって時間が掛かるだけだし、下手をしたらパソコンについての説明から始めなきゃいけなくなるだろう。
腹を括った俺は、適当に若い女の子向けと思われるデザインの五枚で1500円のパンツを二組選んで素早くカートに入れると、『インナーウェア』のページに戻り、『ブラジャー』のカテゴリーに飛んだ。
(俺の見立てではあいつのサイズはB組、B65だろう。俺の目に狂いはない。)
サイドメニューからBカップを選択して、これまた若い子向けと思われるデザインのブラジャーを適当に三つ程選んでカートに入れたのだが、これが意外と難しく時間が掛かってしまった。
パンツと違って同じようなデザインに見えても値段がピンキリなのだ。
たぶんメーカーや機能性により価格差があるのだろうけど、男の俺にはその違いが全く分からない。
その為、選ぶのに時間が掛かってしまい、最終的には多少サイズや機能性に問題があったとしても、最低限1回外出出来ればいいだろうと考えた。
その外出時に本人を直接店舗に連れていき、採寸をしてもらって正しいサイズのブラジャーを購入することにすればいいだろうと、下の上の値段の奴を選んだ。
「ふぅ~」
選んだブラジャーをカートに入れた俺は大きなため息をついた。
まだこれから靴や洋服、ストッキングや靴下、パジャマなども購入する必要があるが、取りあえず最大の関門は越えただろう。
ネットで物が買えることがこんなにありがたい事だと感じたのは初めてだ。
こんな事、実店舗でではとてもじゃないが不可能だ。
と、その時―――
「圭太殿、お掃除が終わりました!」
ガチャリとドアが開き、ニコニコとした笑顔の紗江が、扉を背に座っている俺の背後に立った。
いや、紗江には未だにモニターに映っている大量のブラジャーの画像が何かは分からないだろうし、俺だって別に悪い事をしている訳じゃない。
紗江の為に羞恥心と背徳感に堪え、ミッションをクリアして来たのだから。
ただ、下着を選んでいるのを、その下着を着用する本人に見られてしまった恥ずかしさで、暫く紗江と見つめあっていたが、紗江の視線が俺から外れると、モニターの中の画像を捉えたようだ。
「圭太殿。なにやら裸の
モニターに視線を移した紗江は相変わらずニコニコした笑顔で呟く。
ただ.....ハイライトを失くしたその瞳は一切笑っていなかった。
今の俺は......デパートの女性下着売り場を一人で通り過ぎようとして、同じクラスの女子にばったり鉢合わせしてしまい、「い、いや、ここを通らないとエスカレーターに行けないから......」と聞かれてもいない事を口走る男子中学生、そんな気分だ。
そして無事にエスカレーターまでたどり着くことに失敗した俺は、紗江にこう言うのが精一杯だった。
「紗江......
男子中学生も俺も正論を言っているのに、言い訳にしか聞こえないのは何故だろうか。
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