第4話 風呂って知ってる?

流石に俺もびしょ濡れのまま駅に放り出せるほど人でなしじゃない。

ポタポタと水滴が落ちる着物の裾を見て俺はとうとう諦めた。


「はぁ......今晩だけだからな。」


俺がそう言った途端、俺を睨みつけていた彼女の顔がパッと笑顔になった。


「泊めて頂けるのでしょうか?」

「明日には必ず帰ってもらうからな。」

「それは無論です。ありがとうございます!」


彼女は今までのおかしな言動を忘れさせるような、あどけなさの残る笑顔で深々と頭を下げてお礼を言う。

そんな笑顔を見せられてしまうと、俺の中にある後悔が少しだけ軽くなってくる。


「まずは着替えだな。俺の服を貸してやるからちょっとここで待ってろ。」


俺は部屋に戻ってタンスからジャージとTシャツを引っ張り出す。


小柄な彼女、多分150センチも無いだろう―――


彼女にはかなり大きいが、彼女でも着られそうな服といえばこれぐらいしか持っていないし、どうせ一晩だけだからこれで我慢してもらうしかない。


俺は着替えを持ってすぐさまトイレに戻り、彼女に風呂場に行くように伝えて、風呂場まで案内する。


「風呂?ですか?この屋敷には風呂があるのですか!?」

「お前バカにしてんのか?こんなボロ屋だって普通に風呂ぐらいあるわ!しかもリフォームしたての最新式のユニットバスだからな。見て驚け。」

「?......よく分かりませぬが、このような鄙びた山里で風呂など......一体あなたは...?」

「こんな山奥でも風呂くらいあるわ!」


彼女を風呂場まで連れてきて、俺はすぐにお湯張りを開始する。

20分もあれば満水にできるけど、満水にしなくても半分程溜まれば十分入れるだろう。


「おい、10分位で半分くらいお湯が溜まるから風邪を引く前に風呂に入れ。あと、風呂から出たらこれに着替えな。少しおっきいけど我慢してくれ。って、聞いてるか?」


俺の後ろから呆然とした顔で風呂場を見渡していた彼女は、俺の声でハッとしたように我に返ると、震える声で尋ねてきた。


「吉野殿、この屋敷はいったい......。この木でも石でもない壁や床といい、蝋燭や行燈とも違うお日様のような眩しい灯りが一瞬で灯るカラクリといい、勝手にお湯が出る湯舟といい......見慣れぬものが沢山......。」


こいつ、相変わらず芝居を続けて―――


と思ったが、彼女の言動、そして目を見れば、決して頭が弱い子じゃない事はさっきから何となく気がついていた。


(まさか本当にタイムスリップ?)


映画や小説ではありふれた話だけど、現実にそんなことが起こるとは俄かには信じられない。

だが、それは後でゆっくりと聞くとして、今はびしょ濡れのこいつを何とかする方が先だ。


「......お前、風呂......の入り方は分かるか?」


そんなことはあり得ないと思っていても、もし本当に彼女が旗本の、江戸時代の人間だったらと考えてしまい、ついそんなことを聞いてしまった。


「ふっ、風呂くらい何度も入ったことが御座います。」


怯えた表情で風呂場を見渡していた彼女はまた俺を睨むが、さっきのような怒り一辺倒というような感じはなく、その表情にはどこか動揺したような色が浮かんでいた。

そして動揺を悟られないようにか、少し得意げな表情を作ってとんでもない事を口にした。


「十日程前にも風呂に入りましたから。」

「......へっ?」

「ですから、十日程前にも風呂に入っておりまする。」


おいおい!十日も風呂に入ってないのかよ。

普通、このくらいの年の女の子だったらそんな事恥ずかしくて言えないだろう。

だけど自信満々に答えた彼女を見ると、いやでもタイムスリップが頭をよぎる。


「そ、そうか。じゃあ、大丈夫......だな?」

「と、当然です!」


そう言い切った彼女に、またしても嫌な予感がした俺は一応、本当に念のために風呂の説明をした。決してタイムスリップなんて信じたわけじゃない。


シャンプー、リンス、ボディーソープ。そして俺がいつも使っているスポンジで身体を洗うのは嫌だろうから、タオルを渡して体を洗うように言う。


「じゃあ、よく身体を洗ってから湯舟に浸かれよ。」

「わ、分かっておりまする。」


俺の話を聞いていなかったのか、また呆然とした顔をして風呂場を眺めていた彼女は、それでも強気な返事を寄こす。


「それと、着替えとバスタオルはここに置いておくから。風呂から出たらバスタオルでよく体を拭くんだぞ。」


俺は着替えのジャージとバスタオルを脱衣所の洗濯機の上に置いた。


「じゃあ、何かあったらすぐに呼べよ。」

「大丈夫です。お心遣い痛み入ります。」


本当に大丈夫か心配だけど、まさか一緒に入る訳にはいかないだろう。

幼稚園児じゃあるまいし、風呂の使い方が分からないなんて事は無いはず......。

まあ、十日前にも入ったって言ってたしな。大丈夫だ、たぶん。


俺は脱衣所の扉を閉めて大きなため息をついた。


(トイレを片付けなきゃな......)


そのとき、雑巾とバケツ持ってトイレに向かった俺は、忘れていた大事な何かを思い出した。


「あっ!プチ子!」



「プチ子ごめんな、悪いが洗車は明日だ。」


こう真っ暗では洗車もできない。

トイレ掃除をして、放置していたプチ子をそのまま納屋にしまった後に一旦リビングに戻ったが、彼女はまだ入浴中のようだ。

幸い悲鳴も聞こえてこないので、ちゃんと風呂に入れているんだろう。


「プチ子は泥だらけだってのに......」


呑気に風呂に入っているあいつを考えると何故か腹が立ってくるが仕方がない。


時計を見ると午後6時半を指していた。


(夕飯の準備をしなきゃな。)


昨日、隣、とは言っても500メートルは離れているが―――に住んでいる俺の爺さんの同級生だった山本の爺さんが、でかいタケノコを3本も持ってきてくれたんで、1本だけ茹でておいたのを思い出した。


タケノコご飯にタケノコのお澄まし、タケノコの煮物と、たしか豚肉とピーマンがあったはずだから、メインはチンジャオロースにしよう。


母さんが亡くなってからずっと爺さんと交代で自炊をしてきたので、こう見えても料理は得意だ。

得意とは言っても、いつもは自分の分だけ作れば良いだけだから結構手抜きをしているが、今日は二人分作らなきゃならない。

人の為に料理をするのも久しぶりだ。

穂香に作ってあげて一緒に食べたのが最後だったか。


嫌な事を思い出してしまったが、それでも誰かの為に料理をすることが少し楽しいと思ってしまっている自分がいる。


「まあ、あんな奴でも......な。」


俺は素早く料理を済ませ、ご飯が炊きあがったのとほぼ同時に全て作り終えた。


(そういえば、あいつはまだ風呂に入ってるのか?)


夕飯の支度を始めてすでに40分が経っていた。

あいつが風呂に入ったのはもう1時間半も前だ。

俺からすれば長風呂だけど、年頃の女の子には普通なのか?


その時だった。


「キャーーーッ!!!」


風呂場の方からドカッ!という音と共に盛大な悲鳴が上がった。


「......またか。」


今度は何なんだよ。と独り言を呟きつつ、俺は急いで風呂場に向かった。

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