第3話 トイレはキケン

―――足を洗いたいので桶に水を張って持ってきて下さい。


普通の女の子だったら、見ず知らずの男の家に泊まるか、駅まで車で送ってもらうか、どちらかを選べと言われたら間違いなく後者を選ぶだろう。


送ってもらうのを拒否してまで泊まりたい理由は一つ―――


大人な俺はこんなガキには興味はない。けど、もし家出娘を泊めた事がバレたら面倒くさい事になるのは確実だろう。


頭の弱い子だと思って優しくしてたけど、本気でお引き取り願うしかない。

が、流石に暗くなった山道を一人で歩いて行けとは言えない。


そのためにどうやって車に乗せるかを考えていると、そんな俺をよそに彼女は縁側から立ち上がると、意外としっかりした足取りで玄関に向かっていく。


あいつ足が痛いんじゃねーのかよ。と思いつつも、家に上げるわけにはいかない。

俺は彼女の前に回り込み、家に上げないように行く手を阻んだ。


「いやいや、勝手に人んちに入ろうとしちゃ駄目だろ?」

「しかし、このような山の中で既に日が暮れてはどうしようもございません。」

「だから俺が車で駅まで送ってやるから。」

「車?......私を大八車に乗せて荷物のように運ぼうというのですか!」

「大八車?......いいからちょっとここで待ってろ!」


俺は大急ぎで自室に戻り車のキーを取ると、すぐに玄関まで戻ったが、すでに彼女は勝手に玄関の中に入って腰を下ろしていた。


「あっ!勝手に入るなよ!」

「......あの」


玄関に座った彼女からは何故かさっきまでの威勢は消えていて、急にモジモジして上目遣いで見つめてくる。


「ほら、早く立てよ。送って行ってやるよ。」

「......」

「どうした?家に帰りたくない理由でもあるのか?」

「あの......かっ......に......」


顔を赤くして小さな声で何か呟いたが、何を言っているのか聞き取れない。

家に帰りたくないそんなに恥ずかしい理由があるのだろうか。


「何だ?人に言いたくない理由なら......」

「お屋敷には戻りたく思っています。ですが.....その、か、厠に......」

「厠?......あぁ、トイレか。」

「と......いれ?あの......先に厠をお借りしたいのですが......」


彼女は一層顔を赤くして俯き、体をモジモジさせている。


「トイレ......厠だっけ?本当か?本当に行きたいのか?」


だがここで油断しちゃいけない。

もしかしたら家に上がり込むための演技の可能性も十分ありえる。

現に、焦っている割にはトイレの事を厠と言う演技はまだ続けているしな。


「あ、あのっ!お願い致しまする。」

「......」

「早く......厠っ......を!」

「う~ん......」


膝の上に揃えられた両手は小刻みに震え、唇を噛みしめ上目遣いで哀願するように見つめてくる。

ヤバイ!そんな趣味はなかったはずだけど、可愛い顔を歪めて我慢している彼女を見ていると、新たな趣味に目覚めてしまいそうだ。


だけどトイレに行きたいのは本当らしい。もう少し焦らしたい気持ちもあるが、こんな所で漏らされたらそれこそ大変だ。


「はぁ.....しょうがないな。......トイレだけだからな。トイレが済んだら車で駅まで送って行くから。」


渋々だけど、俺は彼女を家に上げるために暗くなった玄関と廊下の電気を付ける。


「ひっ!」


電気を付けた途端、彼女はビックリしたように背筋を伸ばして声を上げた。


「なっ!と、突然灯りが......」

「あーはいはい。いいからトイレ、厠だっけ?貸してやるから上がれよ。」

「あっ!お貸し頂けるのですか!で、ですが足を拭っていませんので......」

「足はそのままでいいから。」

「はっ、はい。では失礼いたします。」


彼女は頭上から照らす玄関の明かりを驚いた顔で見つめたまま、いそいそと草履を脱ぐと恐る恐る玄関に上がった。


「足が汚れたままで申し訳ありませぬ。」

「あーいいから。ほら、こっちだ。」


俺は彼女を先導してトイレにまで行き、トイレの電気を付ける。

彼女は再び小さく「ひっ!」と声を上げるが、そんな演技は当然無視だ。


「ほら、ここだ。」


トイレのドアを開けて、漏らす前に早く済ますように促す。


「で、では......失礼いたします。」


俺の後ろから恐る恐るトイレを覗き込んだ彼女は驚いた顔のままトイレを見つめていたが、さすがに尿意には勝てなかったらしく、俺が再び促すとソロリとトイレに足を踏み入れてドアを閉めた。


「はぁ、疲れるわ......」


玄関に戻り、靴を履いて彼女が出てくるのを待っていると、水色の鼻緒をした彼女の草履が目に入った。

綺麗な草履だけどかなり使い込まれた様に見える。

昨日今日卸して使い始めたようには見えない。


(あいつ、旗本の娘って言ってたけど......まさか、な。)


怪我をした時も、トイレがヤバい時も、あの言動を頑なに崩さない姿を思い出し、一瞬冗談みたいな話が頭をよぎる。


「まさかな......タイムスリップなんて......あるはずねーだろ。」


そんな事を考えていると―――


「ひゃぁぁぁーーーー!!」


突然、トイレから悲鳴が上がった。


「ったく!何なんだよ。」


俺は急いでトイレの前まで戻る。


―――ドンドンドン!

「おい!どうした?......まさかやっちまったのか?」

「ひっ!ひっ!やぁぁーーーー!!」


いや、たぶん漏らしただけじゃこんな悲鳴は上げないだろう。

なにか大変な事になったのかも知れない。


「どうした!おい!」

「ひゃっ!あっ!あっーー!!」


何度かドアを叩いて声を掛けるが、中から帰って来るのはさっきから続く悲鳴だけだ。

家のトイレは年寄りが住んでいたため、中で何かあった場合に外からでも鍵を開けられるようにドアノブに鍵を回す溝が付いている。

俺はポケットの財布から十円玉を取り出してドアノブに手を掛ける。


「おい!悪いが開けるぞ!」


中で何があったのかは分からないけど、まさか若い女の子が入っているトイレを無理やり開ける日が来るとは―――

だが、今は非常事態だからしょうがない。

俺だってこんな事はしたくない......はずだ。


(訴えられませんように!)


未だに悲鳴が続く中、俺はドアノブの鍵溝に十円玉を当てがい、深呼吸する。


「開けるからな!!」


最後に声を掛けて、十円玉で鍵溝を回そうとした時、左手に握っていたドアノブがスッーっと下がった。


「......あれ?鍵が?掛かってない?」


ゆっくりとトイレのドアを開けた俺が見たものは―――




「ひっーーーー!いやぁー!」


トイレの給水タンクを両腕で掴み、便座の上に足を乗せて中腰で座ったまま俺に尻を向けて絶叫している女。


「えっ!......」


ギリギリ尻が見えない辺りまで端折った着物の裾から、細く真っ白い太ももが覗いている。

そして、太もものあいだ、勢いよく噴射されているウオシュレットの水が彼女の股間に直撃していて、びっしょりと濡れた着物の裾や股間からボタボタと水滴を垂らしていた。


「ひゃい!こ、このような!誰が......このような!......あっ!」


ゆっくりとこっちに振り向いた彼女は薄っすらと涙を浮かべ、恐怖と羞恥で真っ赤に染まった頬はプルプルと震えている。


「......は?......お前、何やってんだ?」


えーっと、ウオシュレットってこうやって使うんだっけ?

人がウオシュレットを使っている所なんて見た事ない俺は、今まで普通に便座に腰掛けて使っていた自分の使用方法が間違っているじゃないかと錯覚してしまう。


いやいやいや、この使い方は尻を洗う普通の使い方じゃない。

たぶん、男には出来ない使い方だろうな。


(ウオシュレットってこんな使い方もあるんだ......)


俺は感心して暫くその様子を眺めていたが、びしょびしょになっている床を見て現実に戻される。


「おい、ふざけるなよ!人んち入ってすぐにトイレでオナ―――」


玄関開けたら2分で―――

子供の頃に見た、懐かしいご飯のCMが頭の中でリフレインされる。


「あぁっー!あのっ!この者を止めて......」

「はぁ?」


止めろって言われても......

まあ、お楽しみの所悪いが、俺だって床がこれ以上びしょびしょにされるのは御免こうむりたい。

俺が彼女の左足に目を向けると、彼女の足の親指が操作パネルの洗浄ボタンを押しているのが目に入った。


(器用なもんだな......)


などと呑気なことを思いつつ、なるべく彼女の太ももを見ないようにトイレに入り、スイッチから彼女の足をどかして停止スイッチを押した。


―――ウィィーーン。


「ああぁぁっーー......」


びしょびしょになった着物の裾からボタボタと垂れる水滴が未だに床を濡らす中、彼女の股間を狙い続けていたウオシュレットのノズルが機械音と共に引っ込むと同時に、彼女は大きなため息をついて給水タンクに突っ伏した。


「おい......お前わざとか?」

「はぁ......はぁ......。これは......この仕業は、あなたの差し金でしょうか?!」


変質者の容疑を掛けられないように、冷静を装いつつも怒りを込めて問いただすが、荒い息遣いをして再びこっちに振り向いた彼女の顔は、羞恥と怒りでさっきよりさらに赤くなっていた。


「差し金って......ふざけるなよ。お前が自分でスイッチを押したんだろうが。」

「すいっち?その者がこのような無礼な真似を......」


相変わらずふざけた小芝居を続ける彼女に改めて怒りが湧いてくるが、今は後始末が先だろう。


「早くそこから降りろよ......。」


いつの間にか、端折っていた着物の裾を戻していた彼女は、のっそりと便座から降りるなり、キッっと俺を睨みつけてきた。


本当だったら床をびしょびしょにされた俺の方が睨みつけたいのに、彼女の雰囲気に押されてしまった小心者の俺は、変質者扱いされないように慌てて話を逸らす事にする。


「俺が拭いておくから......車で送るから先に玄関に行ってろよ―――」

「はっ?」


俺を睨み続けている彼女は、俺の言う事が信じられないという様に怒りの籠った声で問い返してきた。


「だから、車で送るから―――」

「すいっちなる者......いえ、あなたの仕業でこの様なざまに!」


彼女は俺に向けていた怒りの視線をゆっくりと下に下ろす。

彼女が落とした視線の先には股から下がびっしょりと濡れた着物―――


「......あ!」


「これでは外には出られませぬ!」


あぁーーー、ヤバイ予感はこれだったのか。

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