第2話 ヤバイ奴

―――ガシャーーン!!


転げ落ちた女の子と横倒しになった相棒。


「プチ子ーーー!」

俺は咄嗟に相棒の名前を叫んでいた。


(あれ?......プチ子?)


俺の中の相棒のイメージは一人荒野を行く、荒くれたひげ面の男だったのに、咄嗟に叫んだ名前は荒くれ者のイメージとは程遠い、なんか弱っちい垢抜けない名前だった。


(だけど今はそれどころじゃない!正式名称は後でゆっくり考えよう。)


俺は荒くれひげ面のプチ子(仮)を助けるために急いで駆け寄る。


「大丈夫か!プチ子(仮)!」


横倒しになったプチ子(仮)を急いで引き起こし、傷がついていないか確認した。

幸いプチ子(仮)が倒れた場所は砂利を引いただけの地面だったので、ハンドルのグリップ端に少し土が付いただけで他に傷はついて無さそうだ。


「あぁー良かった......お前に何かあったら俺は生きていけないところだったぜ。」


俺はズボンのポケットからタオルを取り出して、プチ子(仮)のハンドルに着いた土を丁寧に拭ってやる。すると、


「うぅー、痛たたっ。」


その声で、プチ子(仮)をこんな目に合わせた張本人が倒れている事に仕方なく気づいてあげた俺は、その女に目を向けた。


日本髪に結われた、濡れたようなつややかな黒髪と同じ色をした大きな瞳。

シャープな顎のラインの先にはピンク色の小ぶりな唇。

着物のえりから覗く透き通る様な白いうなじは、薄暗い中でさらに白さを際立たせている。


あと数年もすればかなりの美人になることを保証された、まだ少し幼さの残る横顔を俺に向けているコスプレは、右足首を抑えて唇を少し歪めた。


「っつ―――」


プチ子(仮)をこんな目に合わせた奴とは言え、もし怪我をしたなら放って置くわけにもいかないな。


「おい......大丈夫か?」


声を掛けると、俺の存在に改めて気づいたのか、「ひっ!」と小さく声を上げ、足を庇いながら座ったままで後ずさりしようとする。


「ろ、狼藉は許しませぬ......」

「狼藉って......そういう小芝居はいいから。どっか痛くしたんじゃないのか?」


小芝居を続けられるなら大した怪我はしていないだろうと思いながらも、一応確認の言葉を掛けると、俺の視線が着物の裾から覗く、白く細いふくらはぎにあることに気付いたのか、慌てて裾を合わせる。


「あ、あの......大丈夫でございます。」


慌てたような素振りでよろよろと立ち上がったコスプレは、少し右足を庇いながらも背筋を伸ばして俺に頭を下げた。


「足を痛めたのか?ちょっと見せてみろ。」


まあ、見たところで医者でもない俺が何か分かる訳でもないんだけど、一応こういう時はこういう言葉を掛けるべきだろう。

決して足を撫でまわしたいとか、そういうつもりはない―――たぶん......。


そんな俺の心の声が聞こえたのか、怪訝そうな顔をして後ずさりしようとしたコスプレがよろめいたので、俺は咄嗟に手を伸ばしてコスプレの腕を掴んで支えた。


「ひっ!ら、ら、ろうぜきは......」

「......」


(こいつ面倒くせーな......)


まあでも、薄暗くなった山の中で男と二人きりじゃ身の危険を感じるのも無理ないか。

逆に何の危機感も持たれないと俺自身が心配になってしまう。

まだ引きこもって半年程度だから俺もそこまで枯れてはいない―――はずだ。


「乱暴なんてしねーよ。」

「あの......や、.....申し訳ありません。」

まだ警戒を解いていない顔だけど、ちょっとした拍子に右足を気にする素振りをする。


「座ったほうがいいな。あそこまで歩けるか?」


10メートル先の母屋の縁側を指でさした俺にコクンと頷くコスプレ。

俺の手に掴まりながら縁側までたどり着き、腰を下ろした。


「ちょっと見せてみな。......大丈夫だ、何にもしねーから。」


俺は恐る恐る前に出された右足の前に屈むと、足首を手に取って着物と同じ水色の鼻緒をした草履を脱がす。


見た感じ、出血するような傷はない。

少し足首を動かしてみる。


「どうだ?痛いか?」

「少々......だけど歩けぬ程の痛みはございません。」


捻挫するほどの怪我じゃないようだ。ここまで歩いて来れたんだし、軽く捻った程度だろう。


「ちょっと待ってな。」


ここに越してきたときに買っていた救急セットに包帯があったはずだ。

居間に置いてあった救急セットを開けて包帯を取り出し、冷蔵庫からペットボトルのお茶を2本取り出して縁側に戻ると、コスプレの前に屈んで包帯を巻いてやる。

少しは俺に対しての警戒を解いたのか、コスプレは大人しく、されるがままにしていた。


「よし!取りあえずこれで良いだろう。」


大した効果は無いかも知れないけど、少しキツく巻いたので何もしないよりはましだろう。


「あの......ありがとうございます。」


警戒も大分薄れ、少し微笑むような笑顔を向けてきた。

どっと疲れが出た俺も、コスプレから少し離れて縁側に腰を下ろす。


「ほら......」


冷蔵庫から持ってきたお茶を差し出すと、彼女はキョトンとした顔でお茶を見つめる。


「これは?......」

「飲めよ。別に金は取らねーから。......ほら。」


不思議そうな顔でお茶を見つめたまま手を出そうとしないコスプレに、面倒くさくなった俺はコスプレの横にお茶を置き、自分のお茶を開けて飲む。


「ぷっはー、美味い!」

相棒と共に一日中戦った体に冷たいお茶が染み渡る。


身体を動かしたせいか、久しぶりにおいしく感じるお茶を飲んでいると、コスプレからの強い視線を感じたのでチラッと横目で見ると、何故か驚愕した顔で俺を見ている。


(え?俺なんかした?お茶ってヤバイ飲み物?)

自分ちでお茶を飲んでるだけなのに、罪悪感が生まれてきたのはなぜだろう。

もしかしたら彼女は個人的な理由でお茶を飲めない人なのかも知れない。

急に悪くなった居心地を誤魔化す為に俺は話を変える。


「ところで、こんな所で何やってたんだ?」


するとコスプレは大事なことを思い出したようにハッとした顔をして、慌てて口を開いた。


「そ、そうです!申し訳御座いませんが、ここはどこでございましょう?」

「どこでございましょう?」


普通だったら道に迷った登山者に丁寧にバス停までの道を教えてあげるんだけど、コスプレの姿はどうみても登山者じゃないだろう。


「どこって言われても......逆に聞きたいんだけど、どうやってここに来たんだ?」

「私にも分からないのです。下女の"はる"と八幡様の祭礼を見に行った帰り道で......気が付いたらこのような場所に......」


下女?祭礼?

まだ時代劇の人物になり切っているコスプレに対して急にむかっ腹が立ってくる。

そういえばこいつはプチ子(仮)の上に立って、しかもぶっ倒しやがったんだ!


......もう面倒くさいからプチ子でいいかな。


「つーか、もうそういうのはいいから......真面目に聞いてるんだけど?」


少し強くなった俺の語気に、コスプレの可愛らしい顔が険しくなっていく。


「た、助けて頂いた事は感謝しております!だけど私にも分からないのです。決して嘘をついているつもりはございませぬ。」

「......」


少し拗ねたような口調で同じ事を繰り返すコスプレ。

だけど彼女の目は至って真剣で、俺には嘘をついているようには見えなかった。


(あっ!もしかしたらこれ、ヤバい事案かも......)


真剣な眼差しでふざけた事を抜かすコスプレ。

たぶん彼女は夢の世界の住人なのだろう。

そうと分かったらのんびりお茶なんて飲んでいる場合じゃない。ここはすぐにお帰り頂いた方が賢明だ。


「そっか、君も大変だったね。あっ!もうこんな時間だ!駅まで車で送るからそろそろ......」

「所で私の問いにお答え下さいますでしょうか?ここはどこなのでしょう。」


俺は彼女を無駄に刺激しないように極めて優しく帰りを促したのだけど、彼女は俺の言葉に被せる様に話を蒸し返す。


「あ、あぁ......ここはK県のA市だよ。じゃあ、駅まで送って行くから......。」

「K県?K県とは何なのです?私はどちらの国かと伺っているのです。」

「さ、相模国だよ。」


こう見えても日本史は得意だった俺は彼女に言っている意味をすぐ理解し、旧国名で答える。


「相模国?まことに?......でも、たしかにこの鄙びた景色は......」


急に不安そうな表情を浮かべて辺りをキョロキョロと見廻し始めるコスプレ。

急に怒ったと思えば、今度は泣きそうな表情を浮かべるコスプレを見ていると、とても演技だとは思えない。

やっぱりそういう人だと確信した俺は、茶番に付き合いつつ、どうやって帰ってもらうかだけを必死に考える。


「君、高校生?お家の人も心配するだろうし―――」

「なぜ突然相模国などに......ご禁制に触れ、江戸府内を出てしまった事が知られれば......」

「ははっ、東京......江戸から来たんだ。じゃあそろそろ―――」


するとコスプレは改めて俺の姿を上から下まで舐めるように見てきた。


「卒爾ながらあなた様は......その髷を結わぬ所といい、奇妙ななりといい、他意はありませぬが、どのようなご身分で?」


身分?ただの無職だけど、この場合どう言うのが正解なんだ?

江戸時代で無職と言えば―――


「あぁ、失礼いたしました。私は旗本、水無瀬二郎左衛門が娘、紗江さえと申します。して、」

「して?」

「あなた様は?」

「あぁ、吉野圭太......です。えーっと、無しょ......ろ、浪人、です。」


浪人で正解だったのか?分からないけど、もう十分小芝居には付き合ってやったんだから今度こそ帰ってもらおう。

そう思い、縁側から腰を上げた時、


「吉野殿、私は足に怪我を負っており、またこのように日が暮れては、女一人で近くの宿場まで行くことも出来ませぬ。」

「はぁ......」


俺が浪人と言った途端、コスプレは急に偉そうな口調に変わる。


「不躾ながら今晩はこちらに泊めて頂けますでしょうか?」

「......は......い?」


いやいや、最近厳しいんだよ?

どんな理由があっても、男の一人暮らしの家に女子中高生なんて泊めたら、俺が逮捕されちゃうから。俺がご禁制に触れちゃうから。

流石にこれ以上小芝居に付き合う必要はないだろう。


「ケータイかスマホ持ってる?無ければ俺の使っていいから家に―――」

「さあ、そうと決まれば。足を洗いたいので桶に水を張って持ってきて下さい。」


あぁ、何かヤバイ予感がする―――。

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