第7話 縁

 かぐやは切り落とした髪を屋敷に残した。

 せめてもの餞別せんべつ。それとも、ここに自分が居た証を残して置きたかったのかもしれない。


 二人は夜が明ける前に都を出た。 

 夜歩きを誰かに見られれば怪しまれる。人に見つからぬように、ひっそりと。灯した火も足元を照らす程度に笠を被せ、遠くの者に見られぬようにした。


 都を抜け、外れの朽ちかけたお社を見つけたのは、もうすぐ空が白み始めるという頃だったろうか。

 いくら二人がまだ若いとはいえ、このまま寝ずに歩き続けるのは辛い。ひとまずここで仮眠を取る事にした。


 小さなお社。まずはここの主に手を合わせ、こうべを垂れる。宿を取らせて頂く挨拶をすまし、恐る恐る中を覗く。

 床板はだいぶ傷んではいるが、まあ横になって穴が開く事もないだろう。

 足を踏み入れると、僅かに板が沈み軋む音がした。薄暗い中、何処か腐っている場所はないか確かめながら、二人はゆっくりと体を横たえる。その重みに、板が僅かに沈む。


 まあ、眠れるだろう。天井板もあちらこちら朽ちており、その隙間から夜の終わりの空が覗いていた。

 雨が降っていないのが幸いだ。


「寝るか」


 欠伸をしながら、かぐやが云った。

 桃太郎はぼんやりとくうを眺めていた。霧が晴れるように、次第に眼が闇に慣れてくる。じっと眼を凝らしていると、闇の中にぽっと渦が浮かび上がり、不規則に漂いながら再び闇の向こうに溶けていく。かと思うとまた別の渦が生まれ、視線で追いかけているうちにそれもまた闇の先に消え失せる。

 それが幾度となく繰り返された。

 眼の錯覚なのだろう。けれど、不可思議な様だった。

 何もない筈の処から生じた渦が、何もない処へ還っていく。見詰めていると、きりがない。


「ねえ、かぐや。俺たちは何処から来たんだろう」

 

 呼吸のように吐き出した言葉は、他に音のない空気の中に思いの他はっきりと響いた。

 隣に横たわったかぐやが、微かに動く気配がした。同時に、かぐやが向けた視線を感じる。


「……そんなの、俺たちがたまたま何もない処から生まれちまっただけで、誰だって何かしら別の場所から来てるんだよ」



 少し気怠そうにかぐやが答える。まどろみの邪魔をしてしまったのだろう。


 うつほから生まれた者。桃太郎とかぐやの繋がり。

 そしてもう一人、空から生まれた娘が居る。その娘に、二人は会いに行く。

 会ったところで、何も得られないかもしれない。


 かぐやの寝息が聞こえた。

 その柔らかな寝息を耳で確かめているうちに、桃太郎もいつの間にか眠りに落ちていた。



 浅い眠りだったような気がした。

 桃太郎が目覚めた時、かぐやはまだ隣で眠っていた。眠りに着いた時のまま、体を仰向けに横たえて。

 深く眠っているようだった。こんなに頼りない仮宿で、その様はあまりに無防備に桃太郎の眼に映り込む。

 よほど疲れたのか。元々眠りが深いのか。それでもこんな朽ちかけた社で、出会ったばかりの桃太郎に見せる姿ではない。警戒心が薄いのだろうか。

 だとしても、こんな姿をむやみに他人に見せてはいけない。


 今ここでこうして、かぐやのそんな姿を見ているのが他の誰でもない自分で良かった。

 桃太郎は思った。そして、その事に満足している自分に気づき、僅かに動揺した。


 眠るかぐやを、じっと見詰める。目覚めている時にこんなに堂々と見詰める事など、桃太郎にはできない。

 桃太郎は、かぐやが娘の格好をしているのを見た事がない。

 けれどきっと、その噂通りにこの世の者とは思えぬ美しさなのだろう。男のなりに戻った今のかぐやも、こんなに見とれてしまうまでに美しいのだから。

 まるで、眺めても眺めても足らない、十五夜の月のように。

 都中の男たち、帝までをも虜にした、かぐやの妖艶な美しさ。男の形をしたとて、その程度の事でかぐやの魅力が息を潜めるわけがない。


 空はすっかり明るくなり、天井の朽ちた木目の隙間から光が射し込む。その僅かな閃きが、かぐやの白い頬、首筋を照した。なめらかな絹のような肌。紅を差さずとも赤みを帯びた唇が、小さな寝息を零す。


 甘やかな疼きが、桃太郎の胸を刺す。

 背徳を覚えた。

 抱いてはいけない感情が、桃太郎の内側を浸食していく。


 寸でのところで、唾を呑み込み一呼吸置いて食い止める。


 かぐやは桃太郎と同じ、男だ。

 都の貴族の中には、男同士でそのような行為に及ぶ者たちも居ると聞いた。けれどもちろん、桃太郎にそんな度胸などない。まだ十五になったばかりの桃太郎は、女すら知らないのだ。


 けれど、かぐやに抱き始めたこの淡い想いを、もう己自身に隠す事はできない。

 潮が満ちるように、月が満ちるように、桃太郎はかぐやに惹かれていく。

 眠るかぐやを見詰めながら、桃太郎ははっきりと胸の内の感情を噛み締めていた。


 背徳に身を沈める度胸など、ほんの欠片もないくせに。


 桃太郎は意地悪く、己自身に胸の内で呟いた。




 二人が古い社を後にしたのは、朝も中盤にさしかかる頃だった。

 飲まず食わずで歩き続けていた二人は、通りがかりの茶屋でようやく満足に腹を満たした。疲れきった足を束の間に癒し、活力を得て再び先を進む。


 旅の道中、疲れを紛らわす為に、二人は互いの事を語り合った。生い立ちの事、うつほから生まれて、今の歳までどのように育ってきたのか。

 桃太郎は、かぐやがどんないきさつで娘の格好をさせられていたのか、かぐやは、桃太郎がいかにのんびりとした環境で育ってきたのかを知った。



 もう一人、空から生まれてきた娘。

 瓜から生まれた娘が遠くの村に居るらしい。


 かぐやに求婚にやってきた男が、土産話のように語った。

 その話を、かぐやは何とはなしに聞いていたという。


 遠くの村。

 その村を特定するには、酷く曖昧な表現。もう少しはっきりと村の場所を語っていたかもしれないが、それ程興味もなく聞き流していたというかぐやの記憶は朧気だった。

 都から遠くの村など、数が知れたものではない。これでは当てがないのと同じだ。


 二人は立ち寄る場所場所で、瓜から生まれた娘の事を尋ねてみたが、誰も首をかしげるばかりで何ひとつ得る事はできなかった。

 思った以上に、旅路は難航した。

 幸い道中は、かぐやが屋敷から持ってきた男たちからの貢ぎ物を売って金に困る事はなかった。

 日中は瓜から生まれた娘の事を尋ね歩き、日が暮れれば手頃な宿を取り疲れを癒す。


 そんな繰り返しが、幾日続いただろうか。

 常に行動を共にし、互いの身の上も知るところとなり、桃太郎とかぐやの間にも次第に情が芽生え始める。

 それは友というよりも、血の繋がった身内に抱くような情に近かった。うつほという不可思議な処から生まれた、兄弟のような感覚に似たもの。

 かぐやの方は純粋にそういう感覚なのだろう。けれど、桃太郎の方は少しばかり違った。その兄弟のような情の中に、毛色の違う厄介な想いも抱えていた。そしてその厄介な感情は、毎夜毎夜桃太郎を悩ませるのだ。

 女にさえ、まだこんな感情を抱いた事のない桃太郎が、戸惑わぬわけがない。

 ましてやかぐやは、男なのだ。

 都中の男たちを骨抜きの虜にしてしまった、かぐやの美しさ。

 都の男たちは、かぐやを女だと思い込んで魅了されていた。けれど桃太郎は、出会ったその日からかぐやが男だと知っている。知った上で、この気持ちを止められぬままでいる。

 

 共に過ごせば過ごす程、桃太郎はかぐやに惹かれていく。

 それが決め事であったかのように、心が手繰られていく。

 互いに空から生まれ、こうして出会い共に旅をする事になったのも、結ばれたえにし。こうしてこの世に生を受ける以前から、えにしの紐で結ばれていたのではないか。

 

 うつほの黒い陰の内から生まれいずる前から、ずっと……。

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