第2話 うつほの子

 草の上に仰向けになり空を眺めていると、躯ごと空に包まれているような心地になる。そうしているうちに、いつも不意に意識まで空に拐われそうになるのだ。

 

 俺は、何処から来たのだろう。


 そんな風に空を眺めながら、桃太郎は同じ問いかけを幾度となく繰り返していた。


 それは昨夜の事、夕食ゆうげも済みもう寝るばかりという頃になって老夫婦に告げられた。高く昇った十五夜の月が、薄暗い座敷を窓の外から覗き込んでいた。


 お前は、桃から生まれた子供なのだよ。


 何でもない昔語りでもするように、ぼそりと老婆が云った。


 桃太郎は思わず訊き返した。もう一度同じ言葉を老婆が繰り返す。

 一呼吸置いて、桃太郎は老婆の言葉を呑み砕いてみた。やはり、意味が判らない。

 桃から人が生まれるわけがない。

 老婆はもうずいぶんいい歳だ。とうとう、きてしまったのだろうか。


 脱力気味の桃太郎に、続けて老夫までもが老婆と同じ事を云い出す始末。夫婦揃ってその時を迎えるなんて、ずいぶんとたちが悪い。惚けの回ったジジババを、十五歳になったばかりの自分が一人で面倒をみていかなければならぬなど、全くお先真っ暗な気分だった。


 桃太郎は唸るようにため息を洩らした。

 複雑な心地のまま頭を悩ませる桃太郎の前に、老婆が何かを差し出した。カラカラに干からびた、茶色い葉のようなもの。それを何枚か、座した桃太郎の前に並べる。


「お前が生まれ出でた桃の皮だよ」


 これは何かと訊ねた桃太郎に、老婆は平然と云ってのけた。

 返す言葉もない。

 臍の尾代わりに、干して大切に保管して置いたのだと云う。いつか成長した桃太郎にこの事実を明かす時の為に、ずっとしまっていたのだそうだ。

 という事は、十五年ものか。そのわりに保存状態が良い事から、さぞ大切に保管されていたであろう事が窺える。


 抱える程の大きな大きな桃の中心、本来ならば種があるべき処に、赤子であった桃太郎がすっぽりと収まっていたのだという。眼を疑うばかりの大きな大きな桃の中に、両手のひらにすっかり乗ってしまう程の小さな小さな赤子。まさに母の胎内から産み落とされたばかりの赤子の大きさ。


 川で衣を洗っていた老婆が、上流から下ってくる大きな大きな桃を見つけた。あれまあと驚いたものの、これは珍しい。山の芝刈りでくたくたに疲れて帰ってくるじい様と二人で食べようと、その重たい桃を必死に抱えて家まで持ち帰ったのだった。

 まさかその中に赤子が収まっているなど、つゆとも思わずに。



 子に恵まれなかった二人にとっては、まさに天からの授かり物だった。

 喜び勇んだ二人は、翌朝明るくなって早々に山の祠に老婆得意のきび団子をこさえてお礼のご挨拶に向かったのだそうだ。

 因みに赤子の入っていた桃の実を食らおうとしてみたが、硬いやら酸いやらでとても食えたものではなかったそうだ。




 そこまでの話を聞き、桃太郎は眼を落としたまま黙り込んだ。

 話をしている最中の老夫婦ははっきりとして気丈で、とても惚けが回っているようには思えない。

 惚けているのでなければ、何の為にこんな話をしているのだろう。桃太郎を騙してやろうという、遊び心による悪巧みだろうか。いや、桃太郎の知る限り、この老夫婦にそんな悪戯なところはない。



 じゃあ、何なのだ……。


 桃太郎は口をぎゅっと一文字に結んだまま、膝の前に並べられた茶色く干からびたものを睨んだ。

 手のひらで押さえつければ、こなれて屑になってしまうであろうそれを、一寸たりとも逸らさず見詰める。

 こんなものを引っ張り出してきてまで、自分にそんな馬鹿げた話を聞かせる老夫婦の真意を探る。



 俺は本当に、桃の中から……



 信じられぬし信じたくもないが、桃太郎の疑う心に、老夫婦の語った言葉がじわじわと絡みついていく。やがてその言葉の根は桃太郎の心を這い出し、心の臓にまで絡みつき鼓動を激しくさせた。鼓動が心の臓から伸び、喉元をせり上がっていく。 

 桃太郎は大きく唾を呑み込み、その言葉の根を胃の底に下してしまおうとした。厭なものが腑の奥で暴れ、悪さするように硬いしこりを残す。



 人の子が、桃から生まれるわけがない。



 そんな思いと同時に、別の事が桃太郎の内に生まれる。


 それが本当ならば、自分は人以外の者。



 ならば、俺は何処から来た……?

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