第3話 竹から生まれし娘

 都に、竹から生まれた娘が居るという。

 その噂を耳にした桃太郎の心の臓が、大きく鳴った。


 人の胎内以外のうつほ。桃から生まれた自分と同じ者。

 人の胎内とは別の処から生まれ出でたその娘も、自分と同じ場所からやって来たのだろうか。あの細い筒状の竹の中に、赤子が収まっていたというのか。桃の中よりずっと窮屈であろうその内側に収まっていたのであれば、人の赤子よりも小さななりで生まれ出でたに違いない。


 そんな処から生まれながらも、人のなりをした娘。

 何も成さない筈の真っ暗なうつほの内から生まれ出でし者。


 鬼の子は、木の股から生まれるという。


 空などという処から生まれし者であれば、鬼のような異形であってもおかしくはない。けれど桃から生まれた自分も、竹から生まれたというその娘も、人の形で生を受けそのまま成長した。

 しかも聞く処によれば、その娘はこの世の者とは思えぬ程の美しい姿をしているという。娘の美しさに心を奪われた者たちの求婚があとを絶えぬのだという。

 その姿を一目でも見た者は、まるで何かに憑かれたように魅了されてしまう。男だけではなく女までもが、その姿から眼を逸らせなくなる。骨の髄まで虜にされてしまった男たちの求婚の行列が、娘の屋敷をぐるり一周して、更にもう一周してしまう程だという。


 それ程までの美しさ、まさしくこの世の者ではない証し。

 その娘、名をかぐやという。


 桃太郎は、その娘かぐやに会ってみたいと思った。


 その美しさに興味を引かれた為ではない。その気持ちが寸分もなかったわけではないが、自分と同じ空から生まれたというその娘と言葉を交わしてみたかった。


 自分は一体、何処からやって来たのだろう。

 空という何もない処にどうして宿り、人の形を成して生まれ出でたのか。

 育ての老夫婦から話を聞かされてからずっと、桃太郎は考えてはさまよい、答えに辿り着けずにいた。

 かぐやも、やはり同じ疑問を内に秘め、都で暮らしているのだろうか。


 本来命持つ者が生まれ出ずる筈のないうつほから、生を受けた己という者。ただ闇が宿るばかりの空の中は、始まりも終わりもない。ぽっかりと空洞が口を開けているだけ。

 そこへ宿った己は何者なのだろう。

 何処からやってきて、何処へ向かうべきなのか。


 かぐやという娘に会ってみても、その答えが見つかるかなど判らない。

 けれど、かぐやに会ってみたい。


 ようやく辿るべき道を見つけたように、桃太郎は強くかぐやの存在に惹かれた。




 都へ向かうと云う桃太郎の為に、老婆は得意のきび団子を作り、持たせてくれた。

 この村から都までは、大きな山を越えなければいけない。日の出と共に村を出立した桃太郎は、その日のうちに山を越え、晩はその麓にあった古い寺で宿を借りた。

 薄い布団の床に入り、闇に閉ざされた天井を見詰めながら、己もこの闇の向こう側からやって来たのかもしれない。そんな事を思った。

 とりとめもない考えを巡らせるうちに、疲れもあり、桃太郎はいつの間にか深い眠りに浚われた。



 翌朝、寺の住職に宿の礼をし、桃太郎は再び都への旅路を急いだ。そうしてようやく都に辿り着いたのは、もう陽も落ちかけた時刻だった。


 都でも有名なかぐやの住む屋敷はすぐに見つける事ができた。

 噂に聞いた通り、もう日暮れ近いというのに屋敷の前には一目かぐやに会いたいと願う男たちが列を成していた。皆それぞれにかぐやに捧げるのであろう貢ぎ物を大事そうに抱え、今か今かと自分の番が巡ってくるのを待ち構えている。

 桃太郎は、しくじったと思った。これ程噂に名高いかぐやが、自分のような何処の馬の骨とも知れぬ童子に軽々しく会ってくれる筈もない。ましてや貢ぎ物すら持たず、図々しいにも程がある。

 老婆が持たせてくれたきび団子は全て食ってしまったし、かぐやがそんなもので満足してくれるとは到底思えない。しかも列を成している男たちは、皆身綺麗な成りをしている。処々ほつれた衣の桃太郎など、目の前に現れただけで、かぐやに失笑されかねない。

 思いに刈られて勢いだけで都にやって来てしまった己の迂闊さを、桃太郎は後悔した。せめて一番良い衣を一枚持ってくれば良かった。そんな事を悔やんだところで、結局後の祭り。


 このまま諦めて、重い足を引きずり、のこのこと帰るか。

 いや、ここまで来てそんな事ができるわけがない。

 自分と同じうつほから生まれ出でた娘が、この門を隔ててこの屋敷の中に居る。

 燻りかけた思いが、桃太郎の心、腹の内側を燃えながら火炎のように巡る。


 どうしても会いたい。

 自分と同じ処から生まれてきた、その娘に。


 会えば、きっと共鳴する。己の正体に辿り着ける。

 そんな期待が、桃太郎を昂らせた。


 意を徹して、桃太郎は男たちの列の最後尾に並ぶ。


 すっかり陽が落ちた頃、ようやく桃太郎の番が巡ってきた。

 門の内側で待ち構えていたのは、上等な絹の着物を着た老婆と老夫だった。皺だらけの顔にその上等な着物はお世辞にも似合うとは云えず、不釣り合いで滑稽な印象を受けた。

 一目で桃太郎の品定めを終えた老婆が、小馬鹿にするように鼻で笑う。


「悪いねえ坊や、生憎うちのかぐやに会うには、それなりの物が必要なんだよ」


 それだけ云うと老婆は、さあ帰ってくれとばかりに片手で桃太郎を門の外に弾き出し、軽く一瞥するとそのまま門を閉めてしまった。


 薄い闇の都に放り出され、桃太郎はぽつねんと立ち尽くした。

 背中の向こうには、すでに夜が迫ってきている。今夜の宿すらないというのに。

 すっかり当てを失ってしまった。というよりも、最初から行き当たりばったりであった事に今更ながら気づく。

 そう、元々かぐやに会うという目的以外は何の当てもなかったのだ。

 さっきの老婆と老夫は、かぐやの育ての親だろうか。竹から生まれて、やはりそれを見つけた老夫婦に育てられたのだろうか。

 自分を一瞥した老婆のごうつくばった眼を思い出し、桃太郎は急に腹立たしさを覚えた。山に囲まれた小さな村で、慎ましやかに暮らす自分の育ての親の老夫婦とはずいぶん違う。欲に染まった眼。皺の一本一本に刻まれた、卑しさ。かぐやへの貢ぎ物に目が眩んだ末の姿だろうか。


 閉じられた門の端に、登り始めた三日月が細い切っ先を刺し込んでいた。

 屋敷の塀に張りつくように身を潜めて屈み、桃太郎は夜の訪れを待ち構えた。

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