【前編】アイデンティティカード

2019年9月18日 @秋葉原



「相変わらずこれ邪魔だなー。」

Bは右腰につけられたタバコ箱サイズのカートリッジを指差しながら言った。



「確かに。」

俺はそう答えながら、尻を持ち上げ、赤い丸椅子をグイッとカウンターに近づけた。

Bの言うとおり、長年ずっと邪魔だなと思っていた。しかし、文句を言っても仕方がない。なぜなら俺らは自発的につけているのだから。外したければいつでも外すことはできる。



カードリッジ(入れ物)はアイデンティティカードを入れるためのものだ。世間では略してアイ(I)カードと言われている。ブリフ社から発売されたそのカードは持ち主の特徴を表すということから大ヒットを果たした。サイズはクレジットカードほどで、薄さも紙程度。それにカードの中央には名前が書いてあり、人によって色も違っている。俺の場合は「A」で赤色だ。カードリッジには50枚ほど入り、なくなれば勝手に追加カードが自宅に届くシステムになっている。




そして俺ら大学生の間で流行っているのは「カード交換」だ。団塊世代が愛してやまない”名刺交換”と同じと思ってもらって構わない。つまり自分のカードを他の人と交換するのだ。しかし、一つだけ名刺交換と違うところがある。それは親密度の差によって交換できるかできないか変わると言うことだ。アイカードを発行しているブリフ社のルールで、ある程度仲良くならないとカード交換できないというシステムになっている。仲良くならない状態で交換してしまうと、枯葉のように一瞬でカードが色あせてしまうのだ。だからと言って明白な「仲良し」という基準がないのが難しいところなのだが…




昨今では、大手企業が交換したカード数と交友関係の豊かさが相関しているとのことから、交換したカード数で大学生を見るようになってきた。カードの交換数は大学生の間で一種のステータスと化し、多くの若者はカードを渇求し、幅広い友好関係を築き始めた。悲しいかな俺もカードを追い求めている中の一人だ。
「そういえばこの前、大学のミスコンに出ていたDのカード手に入れたぜ。」Bは残っていたサングリアを飲み干して言った。



「マジかよ、どうやって仲良くなっただよ。」しがない俺はBを毒づいた。その手の話は耳が痛い。確かにBはスポーツもできるし、頭も切れる。それに街を歩けば女子が振り返りたくなるほどの好青年だった。Bは俺が知っている中で一番交換カードを持っている。それに比べたら俺は…。なんて不公平な世の中なんだ。目の前のレッドアイが入ったグラスを眺めると、汗をかいたサラリーマンのように多量の数滴が表面にへばりついていた。俺はそれを手で擦ると、ひんやりとした感覚と共に気分も落ち込んできた。





とりあえず、「カード交換」でたくさんカードを集めなくてはいけない。その努力が有名企業の就職先の近道となり、幸せになるのだから。俺はBに急用があると言って店を出た。俺は心のどこかに感じている違和感を押し殺して、乾いた道路を歩き出す。額には汗が吹き出していた。

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