第25話 「深き愛情」

孝の伝言は樹里を救った。


彼女は自宅に帰ると部屋の中を見廻した・・・

きっと彼はこの空間のどこかに居て見ててくれてる!

そう思うだけで何も無いと思ってた空っぽの世界は一変し、ただそれだけで嬉しかった。


孝は部屋の中で待っていた・・・

鍵の開く音がして中に入って来た樹里の姿を見たとき彼にはわかったのだ・・・

自分を認識してくれていることを。


テーブルを前に椅子に腰掛けると彼女は言った。


「貴方の伝言は未来ちゃんから聞いたわ!

ずっと私を見ててくれたのに気付かなくてごめんね」


「私の声は聴こえるのよね!?」

「たとえ貴方が見えなくても私は貴方がここに居ると信じるわ・・・貴方の声が聴こえなくても応えていると私は信じます・・・」

零れる涙をハンカチで押さえながら話し続けた。


「30日だけしか記憶が残らないって聞いた・・・」


「記憶が消えて生まれ変わるって聞いた・・・」


「私は何度、生まれ変わっても必ず貴方を探し続ける!」

「きっと見つけてまた貴方と笑って暮らしたい・・・」


「貴方も私を探してね、きっと見つけてくれるよね!」


「残りの期間は貴方がそこに居ると信じて過ごすから貴方の声が聴こえなくて悪いけど許してね」

そう言うと彼女はテーブルの上に両手を置いた。


孝は泣いていた・・・彼女の深き愛情が嬉しかった!

テーブルの向かい側に行くと彼女の手に自分の手を重ね合わせる・・・

勿論、触れることは出来ないのだが幸せだった。


彼女はそれから毎日、彼に話し掛けながら時を過ごした。


他人から見れば異常な生活であるが彼女には見えないはずの彼が心の中で見えていた・・・

孝の存在を少しも疑ってはいなかったのだ!


普通に話し掛け、普通に食卓を飾り料理を並べ言葉を掛けながら楽しそうに食べるのが彼女の日課でおはようからおやすみまで孝は確かに存在していた。


そんなある日のことであった。


「ただいま」

樹里はいつもの様に玄関で声を掛ける・・・

勿論、見えてはいないが孝に向けて繰り返される日常。


靴を脱ぐと食材が入った小さな袋をテーブルの上に置き、奥へと入り着替えを済ませてリビングに戻った。


食材を取り分けて冷蔵庫に入れるとコップを2つ並べてコーヒーを注ぎ椅子に腰掛ける。


「はい・・・貴方も飲む?」

微笑みながら彼女は右手でカップを前に押し出す・・・

自分のコップを手に持ちコーヒーを飲もうと口元に近付けた瞬間、彼女の目に湯気ではない何かが見えた!

コップをテーブルに置いた彼女は正面を凝視していた。


「貴方・・・!?」

微かな声で問い掛けた彼女の瞳は潤んでいた。


「樹里・・・えっ!?・・・俺が見えているのか?」

孝は彼女の様子に微かな希望を覚え問い掛けてみた。


「タ・カ・シ・・・聴こえる・・・声が聴こえるわ!」


興奮した樹里の声が部屋の中に響いた

彼女の目前には、ややボヤけてはいるもののずっと心で想い描き続けていた孝の姿があった。


彼女は立ち上がると静かに彼の居る方へ歩いて行った

まるで小鳥が逃げてしまわない様に願いながら近付いてく子供みたいな心境であろう・・・

彼の前に立った彼女は安心した様に吐息を漏らした。


「私には貴方が見えてるよ・・・声も聴こえたよ」

あまりの喜びで途切れがちになりそうな声で彼女は言った。


「ずっと俺の存在を信じてくれてありがとう」

感謝を込めた言葉を優しい口調で彼は語り掛けた・・・

ともすれば嬉しさで爆発しそうな感情を抑えたことで微かに声が震えている。


しばらくの無言が2人の間を流れる・・・

話したいことが多過ぎて無言という会話が成立したのかも知れなかった・・・

触れ合うことも出来ないのだが十分、幸せを感じていた。


幻覚?・・・幻聴?・・・そんなことはどうでも良かった!

彼女には彼が見えて話せたことに意味があり現実などはどうでも良かったのだ。


愛し合う2人は涙の再会を果たした。


樹里の信じる想いが奇跡をもたらしたのか?

どこまでも深き愛情がこの空間を変えてしまったのか?

暖かい夕陽に照らされて2人は並び絨毯に座った。


伸びた影は一つだけ・・・

だが一つに重なった心に影はひとつで十分だろう。

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