九の話

「お嬢ちゃん、すまなかった。あんな話を聞かせちまって」

「困ったことがあったら、いつでも来てね」

 飯屋の父娘に見送られ、ふたりは店を出た。

 道では、赤い衣装を身に纏う子どもが口上を述べ、身軽さを活かして芸を始める。

 それを見ていた人が、わっと湧き、拍手を送る。

 李花は何とも言えぬ苦しい気持ちになり、このように感じることが正しいのか否かもわからない。背の高い未明びめいを見上げると、彼は眉をしかめ、こらえるように口を一文字に結んでいた。

 目を伏せ、李花と目が合うと、しばたいてから穏やかに微笑む。

「おいで、李花」

 李花は差し出された手を取り、未明と共に歩を進める。真新しい草履で、自分の足で、お天道様の下を、ちょっとだけ目を細めて。



 町を抜けると、周りは一気に田舎めく。

 家が少なくなり、畑が広がり、野辺に小さな花が咲く。

「李花、見て。菜の花だよ」

 未明は歩みを止め、道端にしゃがみ込む。ひとつの茎に黄色い小さな花がいくつもついている。

「こちらは、仏の座。なずなも咲いているよ」

 李花もしゃがみ込み、指差された先を目で追う。菜の花、仏の座、なずな、と無意識に復唱してしまう。

 畑が広がる景色も、のどかな野辺も、初めて見る。路地裏の隙間で光を求めてうなだれる草花ではなく、ここの花達は光を受けてのんびりと葉を広げる。

 野辺の花が愛らしく、頬が緩んでしまう。しかし、不意に旅籠屋の子どものことを思い出してしまった。

 李花はあの場所から離れることができたが、あそこにいる子は今日も変わらずに働いている。罵られ、折檻され、ろくに食えず、休めずに。

 ごめんなさい。李花は呟いた。ほろほろと涙がこぼれる。未明が背中をさすってくれた。

「李花、あれをご覧」

 未明は立ち上がり、葉のない寂しい木を指差す。李花は目をこすり、ならって木を見上げた。あ、と間抜けな声が、のどかな野辺に落ちた。

 寂しい枝に、一輪の白い花が咲いている。

「桜の花だよ。暖かいから、きっと時機を誤ってしまったんだね。この種は、本来はもっと遅くに咲くんだよ」

 未明は、ひょいと李花を抱き上げてしまった。

 李花は少しだけ、桜の花に近くなる。

 柔らかな光を受けて綻ぶ桜花は、わずかな風に吹かれて今にも散りそうだ。だが、毅然とした姿は美しい。

「初めて見ました。菜の花も、仏の座も、なずなも、桜も」

「もっとたくさん見られるよ。季節が変われば、違う花も咲く」

「見てみとうございます」

「一緒に見よう。これからは、そうできるのだから」

 未明は李花を下ろした。

「今朝発ったのが、本城宿ほんじょうのじゅく浅谷宿あさやのじゅくで昼飯にしようか」

 李花は、頷いた。

 風がそよぐ。よく晴れた空の下、未明の髪は金色にも銀色にも映え、うなじの当たりで結ばれた髪は、背中で揺れる。その様は、見たこともない白い馬の尾を彷彿とさせた。

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