第16話 一応この女神がメインヒロイン?

ドドドドドドドド―ン


 突然ルーシェルの耳に届いたのは何かが崩れ去る音。部屋の中でいつものようにスパークリングを片手にソファーに横たわっていたルーシェルだったが、すぐに異変に気付いた。その音はどうも部屋の外から聞こえてきたようで、ルーシェルは不審に思いながらもスパークリングをテーブルに置いて立ち上がる。


 最近になってようやく節制に勤め始めたルーシェルは一日に一本しかスパークリングをあけていない。そのためルーシェルもまだほろ酔い程度だ。


「一体どこの誰よ。うちなんかに来たってお金はないんだからね」


 護身用の武器として一応フライパンを握りしめるルーシェルはゆっくりだが着実にドアに向かって歩みを進める。その間にもドアの外からは不審な音が聞こえ続けている。


 誰かいる。ルーシェルは確信した。


「ゴクリ……」


 フライパンを構えながら息を飲むルーシェル。女神であるルーシェルはどんな敵でも簡単にあしらうことができるが、一応中身は女の子だ。実年齢が軽く二百歳を超えていても本人の中では心は乙女のままである。


 そして乙女なら今の状況で不安を覚えるのは当然のこと。むしろこの状況で不安に思わなければ乙女とは言えないだろう。ルーシェルはその左手でゆっくりとドアノブを掴むと大きく深呼吸をし、力を入れてドアを思いっきり開けた。


「ウガッ!?」


 ルーシェルがドアを思いっきり開けたことで扉の前にいた人影は思わず吹っ飛ばされてしまう。その人影はそのまま壁に打ち付けられ、飛びそうになった意識を辛うじてつなぎとめる。


 部屋の外で倒れる人影を見て驚愕したのはルーシェル。なぜならそこにいたのはルーシェルの同居人であるレクトだから。


「レ、レッくん!?」

「あぁ! ルーシェ様ぁ!」


 扉の前で倒れていたレクトは視界にルーシェルの姿を捉えると嬉しそうに顔をほころばせる。その笑みはとても純真無垢だ。


「ルーシェ様ぁ~ただ今戻りましたよぉ~」

「ちょ、レッくん!?」


 倒れ込んでいたレクトは立ち上がるとおぼろげな足取りでルーシェルの下へ歩み寄る。しかし力が入っていない両手を伸ばして迫ってくる姿はゲームに出てくるゾンビそのもの。


 状況が理解できないルーシェルは戸惑いを隠すことができない。けれどもレクトの歩みはとどまることを知らず、ふらついているが着実にルーシェルに迫っていた。


「え? え? ちょっとこれどういうこと?」


 状況を掴めずに困惑するルーシェルにレクトは倒れ込むように抱き着いた。


「ルーシェ様ぁ~ルーシェ様ぁ~」

「ちょ、待ってレッくん! 私たちはそういう関係じゃ!」


 突然抱き着いてきたレクトに対してルーシェルはやめるように求めるが、レクトの耳には届いていない様子。そして女神といえど、いきなり男の子に抱き着かれてしまえば準備のできていない女神だってバランスを崩す。


 ルーシェルはレクトに押し倒されるような形でベッドに倒れ込む。


「た、タイムよレッくん! レッくんだって男の子だもんね! そういう願望もあるよね!」

「ルーシェ様ぁ~ルーシェ様ぁ~」


 必死に訴えかけるルーシェルに対してレクトは幸せそうな表情でレクトの胸に顔を押し付ける。さらに抱きしめる力は非常に頑強でルーシェルは逃げようにも逃げ出すことができない。


 ここ最近の成長でポイントが貯まったレクトの腕力は前よりも格段に成長していた。


「聞いてレッくん! やっぱりこういうのは順序が大事なの! だからまずはお風呂よ! ね、それからいろいろ準備して臨むほうがいいわ!」

「ルーシェ様ぁ~ルーシェ様ぁ~もう絶対に離しません~」

「私のことをこんなに求めてくれるのは嬉しいわ! でも今の私は汚いから! おねがい、シャワーだけでも!」


 なんとかしてレクトの腕から抜け出そうとするルーシェルであるが、今のルーシェルの力では抜け出すことは不可能だった。女神の力を使えば簡単に抜け出すことも可能なのだが、今のルーシェルはいきなりのパニックで気づいていない様子。


「ルーシェ様は汚くないですよぉ~とっても美人さんです!」

「あ、ありがとう。レッくんが思ってくれるのは嬉しいわ! でも汗だけは流しましょ! 汗かいたフェロモンムンムンのレッくんもいいけど、最初はスタンダードにいきましょ! そしたら汗かくぐらい激しい夜でも何でも受け入れるから~!」


 必死に叫ぶルーシェルは心なしか嬉しそうにも見える。いや、ここまで来て逆に吹っ切れて今の状況を楽しんでいるのかもしれない。


「ルーシェ様ぁ~むにゃむにゃ~」

「あれ、レッくん……?」

「ルーシェ様ぁ~僕の大切なルーシェル様ぁ~」

「もしもーし?」


 自分の身体をがっちり抱きしめていたレクトの腕から急に力が抜ける。そればかりかレクトはルーシェルの胸の中でスヤスヤと寝息を立てているではないか。


 よく見ればレクトの意識は既に夢の中で、その表情はとても安心しきっている様子である。それどころか顔を近づければ酒臭いではないか。


 ルーシェルの中でふつふつと何かが湧き上がる。その顔は羞恥に染まり右手の拳は怒りに震えている。


「そう、そういうこと……」


 ようやく事情を察したルーシェルは自分の胸で気持ちよさそうに寝息を立てる信者を見て激しい怒りを覚える。


 端的に言えばレクトは酔っていた。それはもう激しく酔っていた。人生で初めて酒を飲んだレクトは自分の限界など当然知らない。そして案の定、限界を超えて飲んだレクトは足取りさえおぼつかない様子で『クルアーン』所属のアラクに宿の前まで送られた。


 そして一人で部屋まで戻ってきたレクトは鍵を出すことができずに部屋の前で倒れていた。異変に気付きルーシェルが扉を開けるとレクトは本能的に安心できる存在としてルーシェルを求め、ルーシェルに抱き着いてしまったのだ。


 だがルーシェルからしてみれば扉を開けると同居人がいきなり抱き着いてきてベッドに押し倒された。普段から一緒に暮らすレクトであるが、年齢を考えればそういうことに興味を持っていたっておかしくはない。


 性欲旺盛な年頃の少年に押し倒されてしまったらもう考えることは一つしかない。ましてや自分は平均など霞むくらいに人外じみた美貌を兼ね備える女神だ。(※ルーシェルの主観です)


 年頃の男の子が我慢できる方がおかしい。


 最初こそ驚いたが、ついにその時が来たかと心に決めたと思えば、同居人はただ酔っぱらっていただけ。自分を求めていたのは女としてではなく安息の地としての意味合いが強い。つまり女の子としてよりお母さんとして見られたということだ。


 確かにルーシェルの年齢を考えれば曾孫の孫くらいはいてもいい年頃だが、もちろんルーシェルにそんなものはいない。そればかりかルーシェルだってまだ心は女の子だ。


 このような扱いを受けてしまえば怒りが湧くのも当然だった。


「レクト・ラスカル! 起きなさい! そしてそこに正座しなさい!」


 この日、レクトはルーシェルによってこっぴどく怒られた。それはもう終わりが見えないほどに。ルーシェルの説教は早朝まで続き、結局次の日はエーデに断って安息日にすることにした。


 結果的に疲労がたまっていたレクトたちにとってはいい休暇となったが、レクトは二度と酒は飲まないと心に誓うのであった。

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