第12話 こういう日常回が大好きです

「お金がない、お金がないのよ!」

 

 早朝からルーシェルの騒がしい声とともに起こされたレクトは目をこすりながらベッドから起き上がる。するとそこにいたのは貯金箱代わりにしている缶箱の中身を見ながら頭を抱えるルーシェルの姿があった。


「どうしたんですか、ルーシェ様?」

「レッくん、落ち着いて聞いて。私たちのお金が全部なくなってるのよ」


 ものすごい剣幕でレクトの両肩をガッチリと掴むルーシェルの表情はまるで泥棒にお金を盗られたといっているようだった。しかしレクトたちが滞在する宿は部屋ごとに鍵がついており、外からの侵入は容易ではない。


 もしかすると窓から入ってくることが可能かもしれないが、寝るときは普段から窓を閉めて鍵もしているのでその可能性は低い。


 となると一体なぜ貯めていたお金が消えたのか。その答えをレクトは知っていた。


「忘れちゃったんですか? 昨晩ルーシェ様が僕には新しい剣が必要だって言ってこれを買ってくれたじゃないですか」


 レクトはそう言うと枕元に大切に置かれた一本の短剣を取り出してルーシェルに見せる。その短剣はこれまでレクトが使っていた短いナイフとは異なり刃渡りもしっかりとしており、以前までとは比べ物にならないほど切れ味が鋭くなっている。


「あれ、そうだったかしら?」

「はい。僕がモンスターと戦うようになって短いナイフじゃ危険だからって」

「あ、あぁ~なんかそんな記憶があるような、ないような~?」


 ルーシェルの記憶の有無に関わらず、実物があるのだから事実に違いない。レクトはルーシェルに黙ってお金を使い込むような性格ではないし、鍛冶屋が勝手に短剣を作ってデリバリーしてお題を持って行ったわけもないだろう。


 つまりこの短剣を買ったのは正真正銘ルーシェルであった。


 種を明かせば単純な話である。エーデと出会ったことで効率的にモンスターを倒せるようになったレクトは獲得できるポイントやお金の量も増えていった。かれこれ十日ほどが経てば薬草取りの時に比べて信じられないほどの金が懐に舞い込んできた。


 そのためルーシェルの財布の紐もどんどんと緩くなっていき、気づけば記憶がなくなるほど飲むような日々が続いた。しかしレクトもモンスター討伐のために必要な物資を調達するため必然的にそれまでよりも出費がかさむ。


 辛うじて収入の方が多かった二人は毎日少しずつ貯金をしていたのだが、昨晩ベロベロに酔ったルーシェルが「主人公になるならどんと買っちゃいなさいよ!」と言って貯めていたお金を全額叩いてレクトに新しい剣を買ったのだ。


 それによって二人の所持金はゼロになっていた。ちなみに今日のレクトはダンジョンに潜らない休息日であるため収入が見込めない。つまり今日二人は残金ゼロで一日を乗り切らなければいけなくなった。


 しかし二人とも飲み食いしなければ生きていけない。そうなるとやることは一つだった。


「バイトよ。バイトをするのよ。それで今日の食い扶持を稼ぐわ」

「は、はい!」

「そうと決まればレッくん。今すぐ仕事に行くわよ!」


 ルーシェルに引き連れられてレクトは街に繰り出した。






 この街には様々なギルドがあることで有名だ。しかしギルドといっても全てのギルドがダンジョンに潜ることで成り立っているわけではなく、中には街での商売を行って運営しているギルドも存在する。


 そういったギルド同士がお金を出し合って互助組織を作っており、その中の一つに新規参入を促す制度が存在する。街で商売を始めるには新規参入する必要があるが、その際にかかる初期費用は少なくはない。さらに固定費を考えると一度商売を始めたら儲からなくともある程度は商売を続けなければならない。


 そういった点から商才があっても商売を始められない者たちは多い。そのため互助組織は新規参入を促すために必要な設備を無料で貸し出す仕組みも作っていた。


 例えば飲食店を始めるならキッチンや食材を提供して初日から営業ができるように用意をする。しかしこれでは互助組織に利益がないため、互助組織は提供する際に損益に関わらず一律の礼金を設けており、利用者はこの礼金を後から治めることで実質的に無料で事業を始めることができるのだ。


 後納する礼金は損益に関わらず一律であるため、商売で稼げば稼ぐほど収益は増えるし、初期費用も単独で始めるよりはるかに安い。そういった点からこの制度の利用者は一定数存在する。そしてルーシェルたちもこの制度を利用して今日の食い扶持を稼ごうという算段だ。


「はーい、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 今日だけ限定でスパイシーなチキンを売っているわよー」


 ルーシェルたちの露店が扱うのは片手で食べられるほどの上げたチキンだ。値段もお手頃で初心者が手を出すにはもってこいの品物ある。


 現に先ほどからちらほらとだがスパイシーなチキンは売れており、商売の始まりとしては上々だろう。


「はい、こちらスパイシーなチキン二つです」

「ありがとー」


 ルーシェルが大きな声で客を呼び、レクトが対応に当たる。そして時間が空けばレクトは調理に集中する。こうしてルーシェルたちは少しずつだが利益を上げていた。


 客足が少しだけ遠のくとレクトがルーシェルに言う。


「始まりとしてはまずまずですね」

「そうね。でも礼金を考えたら全然足りなわ」

「単価が安いからいっぱい売らなきゃいけませんね」


 レクトの言う通りスパイシーなチキンは簡単に作れて値段も手ごろな反面、利益を出すには数を売るしかない。けれどもこの手の品は長期的な営業で固定客を捕まえることに適しており、ルーシェルたちのような単日で稼ごうとする者には向いていないような気がする。


「でもどうしてチキンなんですか? クレープとかの方がもっと儲かりそうですよ?」

「ふふふ、甘いわね。クレープもタピオカも綿あめもライバル店が多いわ! それに商品の差別化も難しいから競争が激しいの!」


 確かにルーシェルたちの周りにはクレープやタピオカと書かれた旗が乱立しており、多くの人でにぎわっている。そして彼らの価格帯はルーシェルのスパイシーなチキンの三倍くらいあるが、新規参入していきなり設けるのは難しいに違いない。


 それこそ地道なアピールで顧客を得るしかない。ただ中には単日だけならと安価で同等の商品を提供しようとする者もいるが、彼らは総じて最初の段階で互助組織から独占禁止と言われて開業させてもらえない。


 互助組織の制度を利用する際は事前に販売価格を申し出ることが必須であり、こうすることで価格崩壊を防いでいるのだ。


「その点、スパイシーなチキンなら価格崩壊を起こさないわ。だってライバル店が提供してるのはファミリーなチキンだったり、世界的名探偵の名前をもじったチキンだったり、幸運そうな数字にあやかったチキンばかり! 彼らのチキンは確かにおいしいけど、私たちが狙う客層は普段その手のチキンを買う際に値段で躊躇ってしまう層よ! だから価格崩壊しているわけじゃないわ!」


 ルーシェルが何を言っているのかレクトには分からなかったが、売れ行きとしてはまずまずだった。





 しかしレクト達の余裕も夕方になれば消え失せていた。


「ルーシェ様、どうしましょう……」

「これは大問題ね」


 目の前を流れる人々を傍目にレクトとルーシェルの表情は冴えない。それもそのはず、レクト達の売り上げはあまり振るっていなかったから。


 ルーシェルの目論見では午前中の内にある程度の個数を売り、その客が噂を広めて午後は大盛況になるはずだった。しかし現実は午後になっても盛況する気配はなく、午前中と同じくらいの客足しか迎え入れることができなかったのだ。


 このままでは利益どころか礼金さえ払うことがままならない。


「こうなったらあの手を使うわ」

「もしかして?」

「そう、秘密兵器のバンズよ。バンズをセットにすることで他の系列店とは差別化を図るのよ! それにこの時間はダンジョンに潜ってた冒険者たちが返ってくる時間帯。まさにピークタイムよ!」

「はい!」


 ルーシェルに言われるがまま、レクトは露店の裏に用意していたバンズの山を運び出すと、その中にスパイシーなチキンを挟んでいく。これで即席のチキンバーガーが完成した。


「まだ終わらないわ。レッくん、そのバンズをその辺で食べながら大きな声で宣伝してくるのよ!」

「宣伝ですか?」

「そう。『あぁ、このチキンは何て美味しいんだ。しかもパンに挟まれてることでお腹も十分満たされる。こんなに美味しくてボリュームもたっぷりなのに値段は普通のチキンと同じ!? こんな素晴らしい商品があるのはルーシェルの露店だけだ!』ってね」


 古典じみた方法だが、やらないよりはマシだろう。レクトは店のエプロンを脱ぐ暇もなく商品を手に取ると大通りに向かう。


 そしてスパイシーなチキンバーガーを頬張りながら大声で宣伝する。


「あぁ、このチキンは何て美味しいんだ。しかもパンに挟まれてることでお腹も十分満たされる。こんなに美味しくてボリュームもたっぷりなのに値段は普通のチキンと同じ!? こんな素晴らしい商品があるのはルーシェ様の露店だけだ!」


 突然道の真ん中で叫びだすものだから通行人たちはギョッとした目でレクトのことを見つめる。しかしすぐにレクトの来ているエプロンを見ると事情を察して日常に戻っていく。


 どこかの店が子供じみた方法で宣伝しているのだろうと通行人は途端に気にしなくなった。


「すいません、ルーシェ様……」

「いや、レッくんは悪くないわ。なら次の手よ!」

「はい!」


 そう言ってルーシェルが取り出したのは大きな着ぐるみ。よく見ればその着ぐるみはチキンバーガーの形をしている。


「これは?」

「これを着て大通りで宣伝するのよ! そうね、謳い文句は『今、持ち帰りで店に買いに来るとバンズ二個目が無料! このチャンス、逃す手はない!』にしましょう」

「わかりました!」


 元気な声で返事をしたレクトはすぐに着ぐるみに着替えると大通りに出て宣伝を始める。


「今、持ち帰りで店に買いに来るとバンズ二個目が無料! このチャンス、逃す手はない!」


 最初こそ何事かと立ち止まる通行人はいたが、内容を聞くとすぐにどこかへと立ち去ってしまう。彼らは無料という言葉につられながらも、何が無料かを聞くと途端に立ち去った。


 しかし当たり前だろう。チキンバーガーを買ってバンズをもう一個貰ったところで挟むものがないのだから。宣伝するならチキンもつける必要があったが、それでは原価を割ってしまう。


 結局のところ宣伝作戦はほとんど効果を見せられず、ルーシェルの目論見は外れてしまった。そして彼らの今日の収益は一律で定められた礼金の半分にも到達していない。


 このままではルーシェルたちは借金生活に陥ってしまう。


 だがその時だった。


「あら、何してるんだい?」


 妖艶な声音が耳に届き、顔を上げるレクトとルーシェル。そこにいたのはダンジョンからちょうど帰ってきたのであろうアイシェだ。


「アイシェじゃない。ダンジョンの帰り?」

「まあ、そんなところだ。ところで女神様はこんなところで商売なんかしてたか?」

「い、いや~、訳を話すと長くなるんだけどね」

「ふぅ~ん」


 理由を話したがらないルーシェルを見てアイシェは標的をレクトに変えた。けれども今日のアイシェはどこか疲れているようで、いつもみたくレクトに抱き着いてきたりはしない。


「どうしたんだい、坊や?」

「実はですね、ルーシェ様が僕に新しい剣を買ってくれて、それで貯金が全部なくなっちゃって」

「新しい剣? そう言えばモンスターと戦えるようになったんだってね」

「はい。それで必要物資とかで出費がかさんじゃって……」


 嘘である。確かにモンスターと戦うには必要物資は多くなるが、貰える報酬はそれ以上に設定されているはずだ。そうでなければ冒険者という職業が成り立たなくなってしまう。


 つまりレクト達の出費のほとんどはルーシェルの酒代やつまみ代で占められていた。


「ふぅん、それは大変ね。売っているのはチキンとバンズ?」

「はい。スパイシーなチキンバーガーです」

「一ついくら?」

「158ペルです!」

「随分と安いのね」

「それがウチのウリよ!」


 突然元気な声で答えたルーシェルは「どうだ、この安さ。驚いただろう」と言いたげに胸を張っている。それを見たアイシェは何かを考えると信じられないことを口にした。


「なら残りを全て買おうじゃないの」

「「ええ!?」」


 レクトとルーシェルは二人してそんな声を上げるが、アイシェは本気だった。


「今日はちょっと面倒な仕事も緊急で持って来られてね。ギルドの連中もヘトヘトだから差し入れにあたしが一肌脱ごうと思ったわけ。だからこれはギルド『クルアーン』名義で残りを買わせてもらうわ」


 確かにいつものように絡んでこないアイシェは相当疲れているのだろう。身体には怪我といえるものはないが、どちらかというと心が疲れている様子。


「ま、あとは坊やの昇格祝いも兼ねてるわ」

「それって?」

「女神様に解禁されたんでしょ? ならこれがあたしからの景気づけのお祝いってことよ」

「あ、ありがとうございます!」


 こうしてレクトたちは無事に礼金を払うことができ、この日の生活と、ちょっとの貯金に成功するのであった。ちなみにこの日を境に働くことの大変さを知ったルーシェルは少しだけ財布の紐をきつくしたのはまた別の話である。

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