第9話 個性的な夢を探せなかった
宿に戻るとルーシェルはいつも通りソファーに横たわりながら一冊の本に目を通していた。本といってもタイトルに書かれているのは英雄譚という文字であり、啓蒙書というよりは童話の類だ。内容は至ってシンプルな勧善懲悪が基本となっている物語。
勇者が英雄になって世界を救うといったルーシェルにしてみれば星の数ほど経験してきた体験談の追憶に近かった。率直な感想を述べるなら世界はこんなに簡単には救われないというものであるが、フィクションに文句を言ったって仕方がない。
作者は何も英雄になった体験記を書いているわけではないのだから。書かれている内容はあくまで作者が脳内で描いた理想の虚構であり、そこに現実味を感じさせたならばこの手の書物は売れなくなってしまう。
読者は現実から逃避するために虚構に縋りついているというのに、その先で現実的な事象を突き付けられてしまえばそっと本を閉じる者は少なくない。
ルーシェルはページを捲りながら帰ってきたばかりのレクトを出迎える。
「おかえり、レッくん」
「はい。ただいま戻りました、ルーシェ様」
いつもとは異なりどこか深刻そうな表情を浮かべるレクトをルーシェルは見逃さない。けれどもルーシェルは手に持っている童話を中断させたりはしない。
「どうしたの? 部屋に入らないの?」
「えっと……」
扉の前で立ったまま部屋に入ってこようとしないレクトに問いかけるルーシェであるが、レクトはなかなか部屋に入ってこようとはしない。
レクトもまたルーシェルの変化に気づいていたのだ。いつもなら読んでいる本を止めてでも自分のことを出迎えてくれるルーシェルであるが、今日のルーシェルは自分が返ってきたにもかかわらず本を読み続けたままだ。
その態度がレクトに躊躇いを生ませる。しかしこのままでは話が進まないこともわかっていたので、レクトは思い切って口を開いた。
「あの、ルーシェ様!」
「なに?」
「あの、僕……えっと……」
言いたいことは決まっているというのに、いざ口に出そうとすると言葉が詰まる。もしそれを言えばルーシェルは悲しむか怒るに違いない。ここで自分が譲歩して何も言わなければ自分たちの関係はこのままでいられる。
葛藤する思いに踏ん切りがつかないレクトであるが、意外にもその答えはルーシェルの口から聞かれる。
「モンスターと戦いたいの?」
「えっ……」
「違うなら別にいいんだけど」
「いや、違わなくて……」
どうして自分の言おうとしていることをルーシェルが分かったのか不思議に思うレクトであったが、ルーシェルからしてみればレクトの考えていることなど手に取るようにわかる。
申し訳なさそうに玄関に立ったままならきっと自分に反発しようとしているに違いない。となればレクトが望んでいることなど一つしかなかった。
「あの、僕……やっぱりモンスターの討伐がしたです!」
「だめよ」
勇気を振り絞って出た言葉を真っ向から否定するルーシェル。彼女の視線は常に手元の本に向いており、レクトの方は一切向かない。
けれどもレクトは懇願し続ける。
「お願いです、ルーシェ様! 僕にモンスター討伐を許してください!」
「駄目ったら駄目。レッくんにはまだ早すぎる」
「でも今日、僕はセイブル・ウルフを一人で倒せました!」
「セイブル・ウルフ? ああ、あの黒いワンコのことね」
意外にもレクトがセイブル・ウルフと戦ったことにルーシェルは怒った様子はない。彼女はただ黙って手元の童話に目を走らせる。
セイブル・ウルフはレクトとルーシェルが出会ったきっかけと言ってもいい。ならば少しくらい興味を持ってもいいものだが、ルーシェルは特に興味を示した様子はない。
「僕は今日、セイブル・ウルフに襲われそうになりました。でもあの日からずっとどうすればよかったのかずっと考えて最善策を見つけて、それからずっとイメージして、今日やっとイメージ通りに動けました!」
レクトがセイブル・ウルフを相手に手慣れた動きを披露できたのはルーシェルと出会ったあの日からずっとセイブル・ウルフに襲われた時の対処法を考えていたから。
薬草をとってる最中も、宿に戻る最中も、風呂に入ったりベッドに入って寝るときでさえレクトは常にあの日のことを考えていた。もしセイブル・ウルフに襲われたら自分の能力でどうやって生き延びるか、そしてどうやってセイブル・ウルフを撃退するか。
もうあの日の様な後悔はしたくない。だからそのためにはどうすればいいのかレクトは常に考え、常に否定してきた。自分が思いつくような策ではモンスターは討伐できない。だから思いついた策を全力で破り、そしてさらに上をいく策を考え出し、再びそれを否定する。
レクトはこうして何回もセイブル・ウルフとの戦いを頭の中で描き、命を落とした。生き残るためにはどうすればいいのか、セイブル・ウルフを撃退するにはどうすればいいのか、頭の中で何十、いや何百回も戦ってきた。
だから今日、レクトはセイブル・ウルフに襲われても落ち着いて対処ができた。足が震えたのはセイブル・ウルフに対する恐怖というよりは自分が考え付いた策を実行することに対する緊張と武者震い。その時のレクトは紛れもない冒険者だった。
「そんなことは知ってるわよ。レッくんが常にあのワンコのことを考えていたのは知ってたわ」
「どうして?」
「だってレッくん、ご飯を作るときやお風呂の中でブツブツとつぶやいているんだもん。挙句の果てには夢の中でだってあのワンコたちと戦ってたわ」
それはレクトも知らない無意識のレクト。けれども一緒に暮らすルーシェルはそのことに気づいていた。
「だからレッくんがあのワンコを倒したって驚かない。レッくんはそれだけの準備をしていたんだから」
「ルーシェ様……」
「でも、それとこれは話が別。いくらワンコを倒したとしてもモンスター討伐を全面的に認めるわけにはいかない」
ルーシェルからしてみれば今回のレクトは運が良かっただけだ。もし相手がセイブル・ウルフでなく他のモンスターだったならレクトはどうなっていたかわからない。
それこそ二人が初めてあった時みたい命の危機に陥ってしまうかもしれない。だからルーシェルは簡単にはレクトにモンスター討伐を認められなかった。
だがレクトにだって譲れないものがある。たとえ相手が命の恩人であっても、レクトには昔から持っていた夢があった。
「それでも僕はモンスターと戦いたいです!」
「どうして?」
「それが僕の夢だから!」
「夢ね」
ルーシェルはレクトの夢を知っている。
「僕は、僕は主人公になりたいです!」
「それがどういう意味だかわかっているの?」
主人公になるということは物語の中心になるということである。これまでルーシェルは多くの主人公たちを見てきたが、その生涯は必ずしもバラ色の人生という訳ではない。半ば主人公になり切れずに死んでいった者たちだって少なくはない。
わき役に徹していれば降りかかることのなかった火の粉でさえ主人公は引き寄せる。それは過酷で割に合わない生涯かもしれないが、それでもレクトは主人公になりたいと強く願っていた。
それがレクトの幼いころからの夢であり、冒険者になった理由だから。
「ルーシェ様が僕のことを考えてくれているのはわかってます。でも今日モンスターと戦ってみてやっぱり自分の夢は主人公だったんです。だから僕にモンスターと戦うことを許してください。お願いします!」
ルーシェルに向かって頭を下げるレクト。
「どうして私に許可なんて求めるのよ? 自分で勝手にモンスターと戦えばいいじゃない」
「それじゃあ駄目なんです」
「どうして?」
「だって僕はルーシェ様の信者だから。勝手な事なんてできません!」
その言葉にルーシェルは少し驚いた様子を見せるが、頭を下げているレクトには見えていない。
「頭を上げなさい、レッくん」
「はい」
「もう一度言うわ。私はモンスター討伐を全面的には認めない」
ルーシェルの言葉にレクトの表情が暗くなる。
「人の話はちゃんと聞くべきよ。私は全面的に許さないって言ったの」
「じゃあ?」
「ええ、少しくらいなら許してあげる」
「ありがとうございます!」
ルーシェルの許可に破顔させるレクト。だがルーシェルの話にはまだ続きがあった。
「ただし条件として今回と同じくらい事前に準備をすること。そしてそれ以外のモンスターと遭遇したなら無様でも逃げて生きて帰ってくること。わかった?」
「はい!」
レクトの元気な声が部屋中に響くと、ルーシェルもわずかに笑みを浮かべる。ルーシェル読んでいた本を閉じるとソファーから立ち上がりレクトの正面まで足を運ぶ。そして先ほどまで読んでいた本をレクトに差し出した。
「これは?」
「子供じみた童話よ。でも描かれているモンスターの特性は現実的だから参考にするといいわ」
ルーシェルが差し出した童話はあくまでもフィクションである。描かれているのは主人公がモンスターたちを倒して世界を救うありふれた話。けれども描かれているモンスターの特徴は現実のモンスターと酷似している。
だがそれも当然のことだ。描かれているモンスターは実際のモンスターをモデルに描かれているのだから。実際に存在するモンスターに対してどう有利に立ち向かうかを考えられて描かれたのが物語の主人公。
ならばそのモンスターたちに対して自分が有する力でどう立ち向かうのか考えるのがレクトの仕事だ。レクトは本を受け取ると、もう一度感謝の意を伝える。
「ありがとうございます!」
「じゃあ夕飯にしようかしら。今日は私も手伝うわよ」
「いえ、大丈夫です! ルーシェ様はいつもみたいにソファーでゴロゴロしててください!」
「そ、そう? じゃあ任せようかしら:
「はい!」
こうしてレクトは一部のモンスター討伐が解禁されたのであった。
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