第7話 戦いって必要かな?

 人生というのは数奇なものであり、避けようと思った事柄に不思議と遭遇してしまうことがある。そして駆け出し冒険者のレクト・ラスカルもまた数奇な運命に弄ばれていた。


 グルル


 レクトの前でうなり声を上げる黒い毛並みが特徴的な狼。その姿はレクトの中の苦い過去を想起させるものであった。


 狼の名前はセイブル・ウルフ。このダンジョンに住み着くモンスターの一種であり、最大の特徴は遠吠えで仲間を呼び集団で狩りをするところだ。ビギナー冒険者でも対処法を間違えなければ手強い相手とは言えないが、対処法を間違えた日には一気に窮地に陥るだろう。


 レクトの目の前にいるセイブル・ウルフの数は一匹。ここで対処法を間違えなければレクトでも十分どうにかできるレベルである。レクトは腰に備えていた小型ナイフを抜き取って構えると、態勢を低くしながらセイブル・ウルフを睨む。


 今日も元気に薬草取りに来ていたレクトはたまたまセイブル・ウルフと遭遇してしまった。そしてモンスターとの戦いを禁止されているレクトにとってモンスターとの遭遇は予想外のことであり、心の準備もできていない。


 加えて相手は過去にレクトが一度殺されかけた相手だ。あの時は偶然通りかかったルーシェルが助けてくれたが、もしルーシェルが現れなければレクトは間違いなく命を落としていただろう。


 過去のトラウマの所為かレクトの両足は小刻みに震えている。けれどもレクトはここで逃げるという選択をとるわけにはいかない。なぜなら以前は逃げることで相手に仲間を呼ばせる時間を与えてしまい、結果的に窮地に陥ったから。


 この状況に置いてレクトがとるべき最善の手段は戦うこと。そしてセイブル・ウルフの首を獲ることである。緊張からかレクトの呼吸が浅くなるが、レクトの双眸はしっかりとセイブル・ウルフの姿を捉えている。


 大丈夫、僕ならできる。レクトは心の中で自分に言い聞かせるように高ぶる気持ちを落ち着かせながら短いナイフを構えた。


「はぁぁぁ!」


 先に動き出したのはレクトの方だった。レクトはセイブル・ウルフに向かって駆け出すと右手に握る短いナイフを突き出す。この動きに対してセイブル・ウルフは横に跳躍することでレクトの攻撃を難なく躱し、同時に隙ができたレクトの左わき腹に噛みつこうとする。


 単純な攻撃によって大きな隙を作ってしまったレクトであったが、彼に焦りの色はない。それどころか至近距離にセイブル・ウルフが迫っているというのにレクトは落ち着いた様子で左手に隠し持っていた二つの球体状の何かを事件に投げつけた。


 次の瞬間、地面に投げつけられた球体が衝撃で破裂すると、そこを中心に煙が現れる。その煙はあっという間にレクトたちを包み込むと彼らの視界を奪った。


 レクトが地面に投げつけた球体の一つは単純な煙玉。主に危険なモンスターに遭遇した際に逃げる時に使われるアイテムであり、薬草採集専門のレクトはお守り代わりに携帯していたのだ。


 また煙に包まれるとともにレクトの鼻腔に届いたのはレベンダーの良い香りだ。これは消臭玉と呼ばれており、主に長期間ダンジョンに潜る冒険者が風呂に入れない代わりの体臭対策で使用する生活必需品の一つである。


 けれども薬草取りで半日もダンジョンにいないレクトの体臭が臭いわけではない。ではなぜレクトはそのようなものを使ったのかというと、理由はセイブル・ウルフの嗅覚を潰すためだ。


 セイブル・ウルフの嗅覚は人間の何百倍も優れており、視界を奪ったとしても臭いで相手の姿を捉えることができる。そこでレクトは煙玉と一緒に消臭玉を使うことで視界と嗅覚の両方を潰したのだ。人間の何百倍もの嗅覚を持つセイブル・ウルフにとってみれば消臭玉の匂いはひとたまりもないだろう。


 嗅覚に稲妻が走ったかのような感覚に襲われたセイブル・ウルフはレクトのすぐ近くで動きを止めてしまう。そしてレクトはその隙を逃しはしない。


「《形態変化》!」


 レクトは右手に握る短いナイフにスキル《形態変化》を行使した。すると短いナイフの刃の部分がその姿を長いものへと変えていく。けれどもレクトの《形態変化》はあくまで形を変えるものであって質量を弄ることはできない。


 よってナイフの長さが長くなるにしたがって太さは比例して細くなっていく。そして短いナイフはあっという間にレイピアのように長く細い武器に変化した。


 レクトはレイピアようにな形をしたナイフを自分の左側に向けて突き出す。セイブル・ウルフの姿は視認できないが、自分の左わき腹を狙っていたならば大体の位置は想定できる。だからレクトは迷いなくセイブル・ウルフの姿があるである場所に向かってレイピアを思いっきり突き出した。


 次の瞬間、グチャッ、という音がレクトの耳に届く。それはレクトのナイフがセイブル・ウルフのどこかに突き刺さった音。またレクトは右手に感じた確かな手ごたえからレイピアがセイブル・ウルフに命中したと確信する。


 そしてレクトはそのレイピアをさらに押し込んでいく。右手から伝わるその感触はセイブル・ウルフの肉体を貫く感覚に間違いない。


 しかしレイピアを押し進めると同時にセイブル・ウルフが暴れようとしているのを感じるレクト。セイブル・ウルフに突き刺さったナイフであるが、まだ命を刈り取るには至っていない。


 目一杯レイピアを押し込んだレクトはそこから更にスキル《形態変化》を行使する。


「《形態変化》!」


 イメージするのはサボテン。レクトはセイブル・ウルフの体内部に突き刺さった細い剣先を更に細くし、針のような細い鉄をイメージする。


 体内部から無数の針によって貫かれるセイブル・ウルフ。それがレクトの想像するスキル《形態変化》の行使後の姿。煙で視界は見えないが、右手に伝わる感触は確かにそのイメージ通りとなっている。


 そしてその時は突然訪れた。レクトの右手に伝わっていた感触が一瞬にして消え失せる。それはセイブル・ウルフが絶命して消滅した証だった。


 その瞬間、レクトは腰を抜かせたようにその場で尻餅をついてしまう。煙が晴れるとそこには腰を抜かせたレクトの姿があり、右手にはいつもの短いナイフが握られている。レクトの目の前にはドロップアイテムであるセイブル・ウルフの牙が一つと倒した証であるコインが一枚。


「やった、やった……」


 無我夢中でセイブル・ウルフの相手をしていたレクトはようやく自分がセイブル・ウルフを倒したということを理解する。足腰から力は抜け、表情は強張っている。


 にわかに信じられないことではあるが、紛れもない真実である。


「はは、ははははは」


 しばらくの間レクトは自分が行った快挙に笑いを止めることができず、同時に彼の中である感情が再び湧き上がるのであった。

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