第2話 ステータスカードって今更ながら何?

「ルーシェ様! やりました!」


 元気な声とともに部屋に入ってきたのは明るい茶髪のビギナー冒険者レクト・ラスカル。その右手には一枚の古びれた布のような紙が握られている。


 レクトはソファーで横たわっている銀髪の女神ルーシェルの前に立つと、嬉しそうに古びれた布のような紙を広げた。


 紙の右上にはレクト・ラスカルという名前が刻まれており、名前の横には大きくビギナーと刻印されている。そして紙の大部分は何も書かれていないのだが、ちょうど名前の下あたりに小さな字で何かが刻まれている。


 ルーシェルは目を細めながら小さく書かれた文字を読み終えると、思考するのに僅かな時間を要するが、すぐに驚きの表情を浮かべる。


「レッくん! おめでとう、スキルを習得したのね!」

「はい! ルーシェ様、僕スキルを習得しました!」


 レクトが広げる古びれた布のような紙に小さく書かれていたのは数分前にレクトが習得したスキル。初めてのスキルを習得したレクトは喜びのあまりダンジョンへ行くのを止めて慌てて宿に戻ってきたのだ。命の恩人であるルーシェルにスキル習得を報告するために。


 異世界に引きこもってきたルーシェルであるが、女神である以上は信仰がなければ消滅してしまう。本来なら勇者が第一信者になってくれるため、信者など探す必要はないのだが、開幕二秒で自分を見捨てたルーシェルに勇者が信仰を抱くはずがなかった。


 そこでルーシェルは考えた。雀の涙ほどの信仰があれば女神は存続できるため、信者は誰でもよい。それは人間である必要もない。ならばとルーシェルは手っ取り早くモンスターに信仰心を抱かせるためにダンジョン探索をしていたのだが、そこで見つけたのがこのレクトだ。


 セイブル・ウルフの群れに襲われていたレクトはまさに窮地に立っていた。もしその窮地に女神が現れて救ってくれたならその者は必ず自分に信仰を抱くに違いない。信仰は雀の涙ほどでも問題ないが、信仰が強いことに越したことはないため、目の前で死にかけていたレクトを信者にすることにした。


 こうしてルーシェルはあの日たまたま立ち寄ったダンジョンで見つけたレクトを信者にした。そして命を救われたレクトは目論見通りルーシェルを信仰し、こうしてルーシェルのために働いている。


「それでレッくん、何を習得したわけ?」

「はい!《形態変化》です!」

「………………形態変化?」

「はい! 《形態変化》です!」


 聞きなれない単語に首をかしげるルーシェルであるが、レクトは目を輝かせながら自分の古びれた布のような紙、改めステータスカードを見つめている。


 ビギナー冒険者であるレクトにとってみれば初めてのスキルであり、念願のスキルだ。その興奮はまだまだ冷めることはない。対してルーシェルは形態変化が何かをよく理解していない様子だ。


「それってどういうスキルなの?」

「スキル《形態変化》は形態を変化させるスキルです!」

「えっと、レッくん? だからどういうスキルなの?」

「形を変えられます!」


 果たしてそのスキルは一体何に役立つのだろうか、という疑問がルーシェルの頭の中をいっぱいにする。別にレクトに強くなってもらう必要はないルーシェルであるが、存在意義がよく分からない上に有用性を見いだせないスキルを習得して嬉しいものなのかと疑問に思ってしまった。


 けれども当の本人が喜んでいるのだからルーシェルとしては納得すべきなのだろう。女神として人生経験豊富なルーシェルは大人の対応としてレクトに称賛の声を送る。


「凄いじゃない、レッくん! これは快挙よ!」

「はい! これもルーシェ様に命を救ってもらえたおかげです!」


 ルーシェルの言葉に心から喜ぶレクト。その表情はルーシェルが初めてレクトとあったダンジョンの時とは雲泥の差である。


(まあ、ここまで喜んでくれるならいいのかしら……?)


 微妙に罪悪感を感じながらもルーシェルは喜ぶレクトを優しいまなざしで見つめる。スキルの内容はともかく、信者が喜ぶ姿は御神体としては喜ぶべきことだから。


「あ、ルーシェ様! いつも飲んでいるスパークリング開けてもいいですか?」

「え、それはいいけど……レッくんはスパークリング苦手じゃなかったかしら?」

「はい」


 スパークリングとはアルコール度数の低い一種の酒であり、安価な価格と口触りの良さが人気のジュースだ。特に夕暮れ時から飲む人が多いことから子供にはあまり推奨されていない飲み物だ。


 レクトは床下に貯蔵してあるスパークリングを一本取り出すとテーブルの上に置いた。

 

「大人の階段を登ったお祝いに挑戦するのね?」

「いえ、ルーシェ様に飲んでもらいたいんです」

「いやいやレッくん、いくら私が自堕落な生活を送っているからって朝からスパークリングを飲むほど落ちこぼれてはいないわよ」


 時刻はまだ太陽が昇って少ししか経っていない。ちょうど街の人たちは朝食を準備している頃だというのに、こんな時間から酒を飲むわけにはいかないとルーシェルは答えるが、レクトは気にしていない様子だ。


 というよりも何かを早く使いたくて仕方ない感じである。それはまるで習得したばかりのスキルを使いたいと全身が疼いているような。


 レクトは同じく床下にあった氷塊の一部を砕くと手のひらに置いた。そしてもう一方の手を手のひらサイズに砕かれた氷塊にかざすと大きな声で叫ぶ。


「スキル発動!」


 初めてスキルを使うというのにレクトからは一切の戸惑いが感じられない。普通ならば恐る恐る使用するというのに、まるで昔から使い慣れた道具を手に取ったかのようにレクトはスキルを使った。


 変化はすぐに訪れた。レクトの手のひらに置かれた氷塊がみるみると姿を変えていく。魔法にも似たその現象こそがスキルと呼ばれる所以である。


 ルーシェルも初めて見るスキルに驚きを隠せずにはいられないが、それ以上に驚かされたのはレクトの使うスキルの精巧さだ。


 手のひらサイズの氷塊がまるで粘土のように柔軟になり、その姿を円筒状に変えていく。さらに円筒には持ちやすいように取っ手がつけられ、一瞬にして氷塊はグラスに姿を変えた。それもただのグラスではなく、全てが氷でできたグラスだ。


 初めて使ったスキルに興奮冷めやらぬレクトはすぐにテーブルに置いてあったスパークリングを手に取ると蓋を開け、完成したばかりの氷のグラスに注いでいく。


 シュワシュワと音を立てながら氷のグラスに注がれていくスパークリングは見ているだけでも喉が欲するのがわかるほど美味しそうに見えた。いつも飲んでいるというのに、目の前にあるのはまるで別物だ。


 ルーシェルがゴクリと喉を鳴らす。


「レッくん、これが……」

「はい! これが《形態変化》です!」


 最初は何が何だか分からないヘンテコスキルだと思っていたルーシェルはその認識を変えざるを得なかった。ただ形を変えるだけというスキルにこれほどまで可能性が秘められているとは微塵も感じなかった。


 これはどんなスキルにも真似することができないオンリーワンなスキルだ。たとえ魔王を倒せる勇者のスキルでもここまで暴力的にはなれないだろう。まさに人類が編み出した最強にして最高のスキルが《形態変化》だ。


「ルーシェ様、どうぞ」

「え、ええ……」


 手が冷たくならないようにタオルを取っ手に巻き付けて差し出すレクト。朝から酒など飲めないと言っていたルーシェルの右手は理性など忘れて取っ手へと延びる。


 飲まなくなってそのスパークリングが美味だということはわかる。だからといって飲まないという選択はできない。


 氷のグラスをがっちりと掴み口元までもっていく。口周りにかじられる冷気と炭酸が弾けることでかかる微小な水滴がルーシェルの本能をかき乱した。


 そこからは本能がままに動いていたルーシェル。


 ゴクリ、ゴクリと喉にさわやかな朝の冷気を運んだルーシェルはグラスか口を離すと思わず叫んでしまう。


「キンキンに冷えてやがるっ……! 悪魔的だ~!」


 この日、ルーシェルはスキル《形態変化》の偉大さを身をもって知った。

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