第1章 婚約者始めました

第10話 想い出と約束

 4月10日の土曜日。朝。


「もう朝か……」


 ふと、昨日のことを思い出す。

 授業が始まったと思えば、ゆっちゃんが積極的に迫ってきて、

 告白された。


 そして、約束の話。


 恋人。嬉しいのだが、まだ実感が湧かない。世間で、彼女が欲しいと嘆いている

 奴らにしてみれば、なんとも羨ましいことなのだろうけど。


 もっと今の彼女を知ることができれば、この嬉しいけどどこか落ち着かない気持ちも収まるだろうか。


 そんなことを思っていると―コンコン。

 ノックの音だ。


「みっくん。入っていい?」


 返事をすると、私服のゆっちゅんが扉を開く。


「どした?」

「朝ごはんだから、呼びに来たよ」

「あ、もうそんな時間か。着替えて行くよ」


 服を脱ごうとするが、扉の隙間から彼女の視線が注がれている。


「あの。着替えるんだけど」

「ご、ごめんね。ちょっと見とれちゃって。また後でね!」


 慌てて出て行く。

 見とれて、か。自分の身体を見下ろすが、ごく普通の体格にしか見えない。

 特別イケメンというわけでもないし。



 支度をして、ダイニングに行くと、そこには配膳された朝食とゆっちゃん。


「あれ。おじさんたちは?」

「今日は二人とも、お仕事なんだって。早くに出て行ったよ」

「そっか。大変なんだな」


 朝ご飯は、納豆に味噌汁、アジの開き。ほうれん草のおひたし、と、

 典型的な和食だ。


「これ、ゆっちゃんが?」


 ふと、気になったので聞いてみる。


「うん。大したものじゃないけど」

「そうなのか?」


 味噌汁に口をつける。

 中にしじみが入っていて、貝の出汁がよく効いている。


「美味い!うちだと、こんな美味しいの飲んだことないぞ」


 素直に賞讃する。


「ほめ過ぎ。普通に出汁を取って、しじみを入れただけだよ」


 謙遜するけど、貝だけでなく、味噌汁の出汁からちゃんととってある気がする。


「でも、俺にとっては本当に美味しかったから。ありがとう」

「ど、どういたしまして」


 素直な賞讃に照れ臭そうに手をもじもじしている様子が可愛い。


「でも、ゆっちゃんはいいお嫁さんになるな」


 物語で主人公が言う定番の台詞をなんとなく言ってみる。


「え、ええと。お嫁さんにしてくれないの?」


 どこか落胆した様子のゆっちゃん。


「あ、ご、ごめん。恋人になった後に言う台詞じゃなかったよな」


 他人事のように言ったのがまずかったと思い、訂正する。


「びっくりしたよ、ほんとに」


 心底ほっとしたようにつぶやく。


「ほんとごめん。デリカシーが足りなかった」


 平謝りする。俺たちが結婚するとして、きっとだいぶ未来のこと

だろうけど、その未来が他人事のように言われれば傷つくかもしれない。


「約束、だからね」


 とても小さい声でつぶやくゆっちゃん。約束?



 朝食を終えて、部屋に戻った俺は、少し考え事をしていた。

 ゆっちゃんが、色々、先走っている気がする。

 お互い想いあっているはずなのに、噛み合わないような。

 よし。立ち上がって、ゆっちゃんの部屋の扉をノック。


「みっくん?どうぞ」


 素早く座布団を用意されて、そこに座る。

 ちょっとお茶を持ってくると言って、彼女が部屋から立ち去る。


 薄桃色の絨毯に、白い壁紙。

 机の上も整理されていて、さっぱりしている。

 棚を見ると、そこには、いくつものゲーム機やゲーム

 がたくさん並んでいる。その中には、LIN〇で話題にした

 ものもしばしばだ。


 置いてある小物も、よく見ると俺が昔や、中学の間会えないときに

 プレゼントしたものばかりだ。


 そして、一つだけ鎮座しているうさぎのぬいぐるみ。

 これは、確か「仲直り」のときの。


「約束、か」


 仲良くなった後、俺たちは、いくつもの「約束」をした。それは、俺にしてみれば、多愛もないものだったけど、彼女にとってはもっと重いものだったのかもしれない。


 結婚の約束。幼馴染同士の物語では定番のイベント。約束を忘れた主人公と大事にするヒロイン。

 そんな約束をした場面があったか、と考えて、一つあったことを思い出した。


――


 いじめられて、泣きわめく、ゆっちゃん。

 いじめっ子たちが去った後も、ずっとこうしたままだ。


「な、泣くなよ」

「でも、でも」

「他の奴がどれだけ悪く言っても、俺だけは味方だから」

「でも、みっくんだってずっとは……」


 まだまだガキだった俺たちだけど、漫然とずっと一緒に居られるなんてことがないくらいには世の中がわかっていた。


「じゃあ、俺が、ゆっちゃんのこと、お嫁さんにしてやる!」


 夫婦はずっと一緒にいるんだから、ゆっちゃんが俺の嫁さんになればいい。 


「お嫁さん?私、みっくんのお嫁さんになってもいいの?」


 ようやく泣き止んだ様子のゆっちゃん。


「もちろんだ」

「ほんとに?」

「ほんとに」

「ほんとに?」


 繰り返し問いかけてくる、ゆっちゃん。


「わかった!じゃあ、「約束」しよう」

「うん!「約束」ね」


――


 ゆっちゃんにとって、「約束」の意味はとても重い。

 だからこそ、三年の時を経ても再会するという「約束」を守ろうとしたのだし。

 だとしたら―


「はい、お茶」

「あ、ああ。サンキュ」


 色々な考え事が脳裏をよぎる。


「みっくん。ちょっと緊張してる?」

「あ、いや。ちょっと疲れてただけだ」


 しばらく、無言になる。


「ちょっと、話、いいか?」

「う、うん」

「そのさ。朝のことだけどさ。お嫁さんって……」

「あ、ううん。それはちょっとびっくりしただけだから」


 急にあわあわとし出すゆっちゃん。

 だから。


「「約束」したよな。「隠し事しない」って」

「昨日は気にしないでいいって言ったのに。ずるい」

「こうでもしないと話してくれないと思ったから」


 こんなズルは使いたくなかったけど。

 彼女の俺に対する想いを知っておきたかった。


「みっくんは覚えてる?昔、私をお嫁さんにしてくれるって、「約束」をしたこと」

「ああ。思い出したのはさっきだけど」


 他愛無い思い出だったら、忘れたままだったかもしれないけど。

 

「そっか。私は、みっくんのお嫁さんにふさわしいように、なれるように、って思ってきたの」

「……」

「でもね、中学になる頃には、ただの子ども同士のたわいない約束だってわかってた」

「だろうな」


 ゆっちゃんはそこまで現実が見られないわけじゃない。


「でも、相手が忘れても、私は破りたくなかったから。だから、その約束を守れるようにって、そう思ってきたの。自分で言ってて、少し変だなって思う」

「いや……」


 空白の三年間の間。LIN〇でつながり続けた日々を振り返れば。

 ゆっちゃんが如何に本気だったかよくわかる。


「とにかく。話はこれだけ。私が勝手に約束に縛られてるだけだから。こんなに重い女、ちょっと引いちゃったでしょ?付き合うっていうのも無しでいいから。だから!」


 そう言って、部屋から駆け出そうとする。


「待て。話を聞けよ!」


 手をつかむ。


「離して!」

「離さない!だいたい、俺の答え、聞いてないだろ」

「答えなんて決まってるでしょ」

「いいや、決まってない。俺は、「約束」破るつもりないぞ」

「え?」


 予想だにしない答えがかえってきた、という表情の彼女。


「だから、「約束」を破るつもりはないから。落ち着いて、話そう」

「わ、わかった」


 取り乱していた様子が落ち着いたようで、座布団に座りなおす。


「それでだ。俺の返事、聞いてくれるか?」

「うん」

「俺もさ。約束をしたときは、そんなことは考えてなかった」

「そうだよね」

「でも、三年間、約束を守ろうとしてくれたことも、また会えるようにおじさんやおばさんに取り計らってくれたのも。もっと昔のおまえの努力もよくわかってるから」

「……」

「だから、もう一度、「約束」しようぜ。ちゃんと結婚するって」


 自分で言ってて、とても重いな、と自嘲する。

 でも、ゆっちゃんがそれだけ本気なら、俺も本気で応えないと。


「ほんとに。信じていいの?相性が悪くて、別れるかもしれないのに」

「相性が悪かったら、こうして一緒に居られないだろ」


 これだけお互いに再会を待ち望んでおいて、今更だ。


「信じられないか?俺だって、ゆっちゃんに再会するのをずっと待っていたんだぞ」

「ううん。信じる。「約束」ね」


 少し、涙声の彼女。


「ああ。にしても、この歳で婚約か」


 あわよくば恋人に、という程度だったのだけど、大きな決断をしたものだ。


「周りには内緒だよ?」

「ああ」


 ゆっちゃんも俺も約束を守るだろうけど。


「それと」

「なに?」


 幾分落ち着いた様子の声。


「まだ、ゆっちゃんの3年間のこととか。色々わからないことばかりだから」

「そうだね。私も、みっくんの3年間を全然知らない」

「だから、これから、知って行こうぜ」

「うん。そうだね」


 こうして、再会して数日も経たない内に、俺たちは、恋人で婚約者という間柄に

 なってしまった。他の人が聞けばドン引きしそうだ。


 ただ、これだけ想ってくれる人も、想える人も、もう巡り合えないだろうし。

 だから、いいんじゃないか。そう思ったのだった。

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