第9話 恋心に終止符を


 俺を庇った彼女を気にしながら、それでも接触しないまま数年が経ち、俺は騎士隊へ入隊した。

 彼女のように傷つく人を出さないために奔走し、ひたすら任務に明け暮れる日が続いた。


 上司に勧められて入った居酒屋で、見覚えのある人を見つけたのが、酒飲みの始まりだった。


 黒髪が綺麗で、涼し気な表情は美しくて、華奢な体なのにその姿はいつだって凛々しい。


 彼女だ。

 俺を庇って傷を負った彼女だ。

 気がついたのは早かった。そうして謝ろうとして、俺は立ち止まった。


 今更だ。もう何年も経っているくせに、無理矢理謝って、あの日を思い出させる必要は無い。

 謝りたくなるのは俺のエゴだ。俺が楽になりたいからだ。


 そうして謝れないまま、罪悪感に苛まれながら、彼女を目で追いながら、いつの間にか俺は恋に落ちていた。


 いや、きっと最初からだ。

 傷を負いながら俺を慰める優しさや、馬鹿な俺を庇う高潔さ。そんなところにずっと惚れていたんだ。

 後悔を引きずりながら、恋をしていた。


 彼女を一目見たくて、居酒屋に通う日が続いた。

 好きでもない酒をちびちびと飲み、彼女の働く姿を見ていた。傷のない顔を見ていると落ち着いた。


 彼女の名前をドナと知った頃には、俺はすっかり居酒屋の常連になっていた。


「お前、ドナのこと好きだろ」


 そう店主に揶揄われ、ごほごほと噎せる。


「……そうなんですか?」

「ちょ、ドナちゃん……!?」


 あたふたと困り果て、周りを見るも楽しそうに見る視線ばかり。

 暇人かよ酒飲み共! 見世物じゃねえってのに!


「……まぁ、好きですけど……」


 騒めく居酒屋の狭い空間に、居た堪れなくなってくる。こういうの苦手なんだって。逃げるようにドナちゃんを見ると、顎元に手をやり考えている風だった。


「で、どうなんだよドナ。好きだってよ」

「……付き合うだとかそういう話なら、お断りします」


 がつん。鈍器で殴られたような衝撃を受け、俺は机に伏せる。ゲラゲラ笑う周りが煩かった。


 暫く居酒屋に顔を見せないでおこう。繊細な心を持つ俺はそう誓ったくせに、ドナちゃんの顔が見たくて次の日も足を運んだ。馬鹿だ。

 またちびちび酒を飲んでいると、接客の最中、ドナちゃんがこちらへ寄ってきた。


「……アランさんって、まだ私が好きなんですか?」


 吐き出すかと思った。


「……いや、好き、ですけど」


 周りがまた騒めいた。俺に向かって揶揄する声が投げかけられる。


「うはは! 好きですけど、頂きました!」

「青春だなぁ!」

「今日もフラれろ! こっ酷くフラれろ!」


 酔っ払いが嫌いになった瞬間だった。


「……そうですか」

「昨日の今日で嫌いになるはずもないでしょ……」

「そういうものですか」


 淡々とした対応にムキになり、次の日も告白しようと決めたのが俺の連敗記録の始まり。

 何度告白してもドナちゃんはつれないまま、酔っ払いは揶揄うまま。

 いつしかこのやり取りだけで充分だと満足し始めたのはいつだったか。俺は彼女への恋心を捨てられないままでいた。


 過去をなぞる俺は目を瞬いた。

 人は死んでから記憶をなぞるのかもしれない。走馬灯のようなものだ。

 俺は自分が死ぬ瞬間のところまで思い出して、目を閉じた。この先のことは知らない。眠りにつくように意識が消えるのかもしれない。

 目を開く。ドナちゃんがいた。酷く驚いた顔をしていた。


「アランさん……」


 ドナちゃんが近づく。震える手をこちらへ伸ばす。

 どうしたの。なんでそんなに泣きそうなの。

 そう笑いたかったのに何故だか上手く声が出ないし表情も動かない。

 潤んだ瞳は今にも涙が零れ落ちそうだった。そんな表情もやっぱり綺麗だと思った。


「ド、ナ、ちゃ……」


 声が掠れる。ひゅうひゅうと息が喉から漏れる。

 なんだかあの時と正反対だ。


「せな、か……ごめ……」


 彼女が大きく目を開いた。その弾みで、ポロリと涙が滑らかな頬を伝う。


「……かっこ……い……君、を……守れ、る……騎士に、なれた……かな……?」


 かっこ悪い、弱かったあの頃から、変われただろうか。


「馬鹿……アランさん、馬鹿ですよ……」


 酷いなぁ。こんなに頑張ったのに。

 そりゃあ馬鹿だけど。馬鹿なりに頑張ってもいるんだぜ?

 泣きながら怒る彼女は気高く美しい。その美しさは昔から何一つ損なわれない。

 最後に一度だけ。彼女にもう一度伝えたかった。


「好、き……だ、よ……」


 ずっと昔から。今までずっと。


 ドナちゃんの口がなにか動くのだけを見て、意識が落ちていく。穏やかに終わりを告げる死が待っているのだろう。

 緩く口元を上げて、そのまま流れに身を任せた。


 俺は漸く、死ぬことで、恋を捨てられる。

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