第7話 逃げることしかできない


 魔王討伐。それを目的に国を旅立ち、長い間旅を続けた。他国からも人員を集い、力を蓄えてきた。そうして親玉の元へと辿り着くのに三年。三年もかかった。


 魔王軍の勢力を削り、魔王との戦いに漕ぎ着いたのは良かった。

 総戦力を上げて異形な姿をした魔王と名乗る化け物を殺した。

 ……漸く戦いが終わる。そう誰もが安堵し、息を吐いた、その刹那。俺の腹が鋭い剣で貫かれていた。


「……皆さん、お疲れ様でした」


 物腰の柔らかい声がした。旅の道中何度も聞いた声だった。


「……なに、してんだ……ディア……」


 黒の長髪を靡かせて、仲間であるはずのディアはころころと笑った。

 ゆっくりと剣が抜かれ、音のない叫びを上げる。身を焼かれるような痛みに顔を顰めた。喉元までせり上がってきた血液に耐えきれず吐き出す。


「あはは、びっくりしてます? そうですよね。でも、魔王が味方じゃないって誰が決めました? 魔王が女じゃないって誰が決めました? 魔王が人の姿をしていないって誰が決めました?」


 殺気立つ周囲をものともせずに、ディアは外套を脱ぎ捨てる。

 その外套には他国のシンボルである薔薇のマークが刻まれている。ディアはそのマークを容赦なく踏みにじる。その国の騎士が顔を歪めた。


「凝り固まった甘っちょろい考えしてんじゃねーよ、人間共が」


 そう吐き捨てたディアは回復役を務めていた女を槍で突き刺した。呻くこともせず、女はそのまま息絶える。

 悲鳴が上がる。誰かが剣を振りかざす。その腕が切り落とされる。


「もっと互いを疑ってさぁ、協力なんかクソだって突き放せばいいのに。だから私に利用されるんですよ」


 弧を描いた口元から、赤い舌が突き出される。


「お前ら吐き気がするほどつまんねーわ」


 その言葉を最後に、一気に爆風が襲う。

 息もできない衝撃と熱さに言葉を失い、体を強かに打ち付ける。今の衝撃で建物が崩れたのか、瓦礫が雨のように降り落ちる。よろけた体で逃げそびれた仲間が一人、また一人と潰れていく。


 ……これは、なんの、悪夢だ。

 戦いなんていうものではない。一方的な蹂躙だ。子供が虫を捕まえて無邪気に羽根をもぎ取るような、残虐な行為でしかない。


 ずるり。重たい体を引きずる。体を打った時に骨でも折れたのか、足が思うように動かない。一歩踏み出すごとに痛みが襲った。


「ゆ、と……おい、ユート! 生きてるか!?」


 がらがらの声で叫ぶも、返事がない。まさか先程の瓦礫に。嫌な想像にヒヤリと背筋が寒くなる。


「……ああ、勇者様? それなら、もう、適当に死んでるんじゃない?」


 ディアはきゃはは、と甲高い声で笑う。その言葉に息を呑む。

 ただの戯言だ。分かってはいる。それでも、もし、本当なら。

 嫌な想像は尽きない。ぎり、と歯を食いしばる。


「……あ……?」

「――生きてます」


 ディアの腹を貫き、ユートが姿を現す。

 ユートは片手を折ったのか、剣を腕に巻き付けた状態で立っていた。頭から血は流れ、ボロボロの状態ではあった。ただ、それでも、生きている。

 ディアは体を吊り上がった目でユートを睨みつける。


「……この、人間め……」

「……あまり、そう人間を舐めるなよ」


 ユートは既に、立派な勇者としてその場にいた。

 ……ガキにここまでいい格好させて、俺は、何をしてるんだ。


 ディアが剣を振るう。ユートがそれに応戦する。だがしかし腕に固定されただけの剣では上手く弾けないのか、鍔迫り合いになるも押し負け気味になっている。


「……俺にも、いい格好させろよ、勇者様」


 俺だって、第三騎士団団長なんだ。


 駆け出し、俺はディアの体を拘束する。華奢な女の体は、呆気なく腕の中に閉じ込めることが出来た。


「死に損ないが……!」

「そうだよ。俺も、お前も、これから地獄へ行くんだ」


 俺に倒されてくれるほど、魔王が弱い存在だとは思っていない。人間風情の俺が、しっかり分かっている。


「ユート。しっかり、心臓を狙えよ」


 ぐしゃり。顔を歪めたユートがこちらを見る。

 あんだけ甘さを捨てろって言ったのにな。……勇者になれよ、ユート。


「丸投げして、悪いな」

「……くそ……くそ!!」


 ユートは、僅かに震えるその腕で剣を振るい、ディアの胸を貫いた。その剣先はそのまま俺の体をも貫く。


 ……悔しいな。


 何が悔しいって、ガキのユートに勇者様だからと任せなきゃならねぇこの世の中が。こんなことしか出来ない、俺の弱さが。

 ただひたすらに悔しい。


 体を張ってディアを捕えたところで、これが逃げる手段だということは、分かっていた。

 俺は全てを投げ出して、地獄へと逃げるのだ。残すユートの気持ちも知らず、この後の顛末も知らず。


 逃げなくていい強さが、ずっと、欲しかったのにな。


 あの長い黒髪を思い出して、目を閉じる。

 逃げてばっかりの格好悪い男じゃ、そりゃ、ドナちゃんもフるよな。納得しちまうじゃねーか。


「……ごほっ、ごほ……っ!」


 咳き込むと、ディアの黒髪に血が付着する。ぐったりと脱力するディアは、確実に死んだのかどうかは定かではない。


「アランさん……!」


 焦燥感と諦観とが入り交じった瞳に、俺は微かに笑った。

 もう手遅れだ。仕方ない。この状況は、仕方なかった。


 顔色の悪いユートに、俺は唇を震わせた。

 後悔するなよ。

 その声は音にならず、果たしてユートに伝わったか。


 ……ユート。逃げないお前の強さが、少しだけ、羨ましかったよ。


 そうして俺は、意識を手放した。

 長年逃げ続けた俺が、地獄へ向かう一歩を踏み出したのだ。

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