第6話 確信的な運任せ


 夜、俺はドナちゃんの居酒屋に顔を出した。

 中はいつも通り賑わっていて、ドナちゃんは少し忙しそうにしている。俺もまたいつも通りにビールを頼んだ。

 店内をくるくる目まぐるしく動く度、高い位置で結われた黒い長髪が揺れる。それをぼうっと見つめていたら、ドナちゃんが注文の品を運んできた。


「どうぞ」

「ん。ありがと」


 少し露が表面に滲んだジョッキが、薄汚れたテーブルに置かれる。

 ドナちゃんは少しだけ俺の方を見る。そうして口を開いた。


「……三日後、ですね」

「……そうだなぁ」


 三日後。

 いつの間にか時間は過ぎて、ユート含む魔王討伐の一行は三日後に旅立つ。

 どこか感慨深く、また現実離れしていた。


 あいつは魔王を倒せる。

 俺も含めて、誰もがそう認めた。そして、魔王の軍勢はいよいよこちらに迫ってきた。対応はどこも手一杯だった。国自体が限界だった。


「勇者様のご指導、お疲れ様でした」

「ドナちゃんにそう労われるんだったら、頑張った甲斐あったなぁ」


 そう穏やかに言えば、彼女は何も言わず微笑んだ。その表情に目を細める。


 ……思えば。

 その柔らかい笑顔とか、働き者なとことか、風に揺れる黒髪とか、真面目なとことか、凛々しい目とか、穏やかな声とか。

 そんなとこ全部、好きだったんだよなぁ。


 ぐっとビールを飲み干して、ドナちゃんに空のジョッキを渡そうと掲げた。

 そして、受け取るために伸びてきた手を掴む。そのまま俺の方へと引き寄せた。

 僅かに崩れた体制は、互いの息がかかるほど距離を縮めた。


「……アランさん……?」


 今までになかった強引な態度に、流石のドナちゃんも動揺したのか、瞳が揺れる。

 視線がかち合ったまま、鼓動すらも聞き取れそうな至近距離で、俺は囁くように告げる。


「愛してる。……俺と、結婚してくれないかな」


 その声に詰められるだけの甘さを詰めて、吐き出した。

 いつも通りの告白だ。いつも通り、周りから俺は茶化される。いつも通りの声に、いつも通りの表情で、きっといつも通り同じ展開だ。

 なんにも変わらない。返される言葉も、きっと変わらないままだ。


 それでも。

 この告白は譲れない。


 俺が君に惚れた日だ。

 俺が許されない罪を背負った日だ。

 俺が騎士を目指した日だ。


 俺の、決断の日だ。


 きっと、君は覚えてないだろう。俺のことも、俺の罪も。

 その罪も含めて俺は君に惚れたと言ったら、更に呆れるだろうか。どうか笑い飛ばしてほしい。

 そしていつも通りに、断ってほしい。

 それがなんだか、罪滅ぼしになる気がした。


「……お断りします」


 ドナちゃんが軽く手を引く。 俺はそれを引き留めず、呆気なく拘束を解く。簡単に緩めた力にドナちゃんは怪訝そうに眉を寄せた。俺はへらりと笑う。


「またフラれたかぁ」


 ……知っていたよ。ちゃんとフッてくれるって。


 俺は目尻を緩め、ごめんね、痛くなかった? なんて白々しく訊く。

 俺はいつも通りを振舞った。


「……いえ。大丈夫です。それより、ジョッキをお下げします」

「俺の告白はジョッキ以下かぁ」


  そう茶化して空のジョッキを受け渡す。僅かに指先が触れ合った。ただ、それだけだ。それだけなのに、やけに愛おしくて泣き出してしまいそうだった。

 カラン。溶けかけた氷のぶつかる音がした。


 その後のことは、あまり、覚えていない。


 家に帰ると、生活感のないがらんとした空間が広がっていた。窓際に置かれた荷物の類は、まるでこれから引越しでもするようだった。

 衣服や食料、野営の道具や薬、愛用の武器や防具が纏めて置かれている。全て、最近新調したり備えたものだ。


「……少し前まで、あんな汚かったのになぁ」


 脱ぎっぱなしの服や酒瓶が転がり、ぺったりとした布団がぐしゃぐしゃなまま床に落ちているような部屋だった。今では見る影もない。


 窓辺に座り込んで、そろりと武具の表面を撫でる。冷ややかな鉄の温度が、俺に叱咤するようだった。


「……綺麗だったな。ドナちゃん」


 至近距離で見た彼女の瞳を思い出す。黒曜石のような瞳が、店の照明を反射して、きらきらと輝いていた。どこまでも綺麗で、いっそそのまま抱き締めたかった。


「……ギャンブルなんざ苦手だったが……」


 口の端を吊り上げて笑う。

 お気に入りの酒の蓋を開けてグラスに注ぐと、それを一気に煽った。体に回る酔いと熱にそのまま溺れて全て忘れてしまいたかった。


 あの黒髪も柔らかな声も凛々しい瞳も、全て知らなければ。

 全て知らなければ、俺は、ずっとクソみたいな人生を送っていたよ。


「……好きだ……好きなんだよ……」


 顔を覆う。いっそ泣き出してしまいたかった。

 身に余るこの感情を、どう吐き出せばいいのかも分からない。


「……好きだから、俺に、君を守らせてくれ……」


 かつて君がそうしたように。

 俺が憧れた姿を思い出す。どこまでも勇敢だったあの姿を。


 なぁ俺、騎士になったんだぜ。

 今ならさ、きっと、守れるよな。


 手を掲げる。昔とは違う、皮膚の厚い、ゴツゴツとした手だ。戦いを知る手だ。


「……二日後」


 二日後、俺は、魔王討伐の一行としてこの国から旅立つ。


 俺が第三騎士団団長として魔王討伐隊の一員に据えられた時、俺は真っ先に用意が面倒だな、と思った。


 先ず最初に思い浮かんだのは家の掃除。

 いつでも俺が死んだとき、誰かに引き渡せるように。綺麗な真新しい状態にしなくてはいけない。

 暫く掃除していなかったから、恐らく骨が折れるだろう。箒や雑巾はどこに閉まっただろうか。そう思考を巡らせた。


 次に思い浮かんだのは装備。ガタがきたままほったらかしにしていた防具や武器がいくつかある。それを新調しなくては。

 薬だって尽きてるはずだ。他にも野営の道具を掘り出す必要がある。


 俺は俄然、その命を受ける気でいた。

 理由は単純明快で、俺が騎士だからだ。

 国のためにこの命を捧げられる。それがどれほど名誉で光栄なことか、俺はよく理解していた。

 俺は国のために死にたかった。


 そうして、ごちゃごちゃとした思考の末、漸くドナちゃんのことを考えた。

 きっと俺は最後までドナちゃんのことを考えたくなかった。離れたくなんてなかった。


 幸い国は三日、返事を待ってくれた。

 馬鹿な俺は一日を使って考えた。どうすれば、未練なく、この国を出ていけるのだろうと。

 考えて考えて出した結論は、俺らしくもない酷く卑怯なものだった。


 ドナちゃんにフラれたら了承しよう。

 そんな人任せな方法でしか、俺は決めることが出来なかった。


 そして俺は、俺自身の賭けに勝った。

 ドナちゃんが俺をいつも通りにフッてくれるだろうと、他でもない俺が信じていた。


「……大人になるってのは、嫌だよなぁ」


 卑怯ばっかりで、嫌になる。

 そう一言吐き出して、俺はナイフへと手を伸ばす。


 緩慢な動きで髪留めを片手で掴み、髪を押さえる。そのまま根元を断ち切った。

 床にバラバラと赤みがかった茶色の髪が落ちる。彼女が褒めて以来ずっと伸ばしていた髪だった。

 風が露わになった首筋を撫でる。その冷ややかさに肌が粟立つ。


「……もう大丈夫だ。俺は、騎士として……ドナちゃんを、国を、守れる」


 あんな幼いガキが体張っているんだ。俺だって、大人らしく、体張らなきゃな。そう微かに笑った。


 彼女のいるこの国に、一欠片の危害も与えず、守り抜いてみせる。

 例えこの命が散ったとしても、惜しくはなかった。命と引き換えにしてでも守るために、俺は騎士になったのだから。

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