第4話 いっそ笑ってやってくれ
珍しく仕事をサボらずに来た俺は、ラフな私服でカウンターに座ると、ドナちゃんに注文をする。
「ドナちゃん、ビール」
「……またお酒ですか。お仕事はどうされたんですか?」
「今日はやっともぎ取った休日〜……。あ〜……疲れた……俺を労わってくれ……」
「分かりましたから、ちゃんと座ってください」
べったりとカウンターに頬につけていると、注意された。
のろのろと顔を上げて頬杖をつくと、ドナちゃんのメモを取る手先に目がいく。
白くて細いその指先や、手の平が意外と荒れていることを密かに知っている。でも、それがまた綺麗だとも思う。
「セクハラって言われますよ」
「あー……マジか。悪いな、見すぎた」
あまりに見すぎたのか、そう注意を受ける。
セクハラなぁ。そう言われる歳になったのかぁ……ま、もう俺もおっさんだしなぁ。
妙に切ない気持ちを誤魔化すようにがりがりと首筋を掻く。
トン、とカウンターにビールが置かれる。続いてサンドイッチも置かれ、俺は目を丸くする。
「……ドナちゃん? 俺、サンドイッチ頼んだ覚えないんだけどよぉ……。今月ピンチだから払えねぇぜ?」
「私の奢りです」
ふ、とドナちゃんの唇が弧を描く。艶やかな美しさがそこにあった。それに見惚れる。
「目の下にクマができてますよ。本当に疲れてるようですね」
「え、あ……」
指摘されて、思わず目の下を触る。触ったところで分かるはずもなく、首を捻るだけだった。
ドナちゃんは呆れたように「そもそも、今月ピンチなら飲みに来ないでください」と苦言を呈する。
「いやードナちゃんに会いたくて……」
「お酒が飲みたくて、の間違いでしょう」
即座に返された言葉に苦笑する。
俺のプロポーズがいかに信用されてないかが伺えた。
「ドナちゃんの、そういう機微に触れられるところ、すげぇ良いと思う」
ドナちゃんは顔色を変えずに「ありがとうございます」と返す。
さては、お世辞だと思ってるな? 溜息を吐く。機微に触れられるけど、鈍感というか。相手にされてないっていうか。
少しは俺のアプローチにも靡いてほしいものだった。
「アランさんは、勇者様のご指導をされていらっしゃるんでしたか」
「そ。色々教えることが山積みでよ……しかも要領が急に良くなりやがって、するする吸収しちまう」
そこで話を切り、サンドイッチにかぶりつく。分厚いパンにたっぷりとハムが詰め込まれている。胡椒がいいアクセントだった。
半分ほど腹の中へ詰め込み、ビールを飲む。そしてまた口を開いた。
「指導もハイペースになっていくし、俺も向こうもヘトヘトだな。ま、見込みはあるけどよぉ」
「お疲れ様です。無理させてはいけませんし、してもいけませんよ」
「わぁってるよ」
まぁこうやって他から忠告されてなきゃ、ちょっとばかし無理をしてたんだろうけど。
いい女だよなぁ。本当に。俺が手に入れるには勿体ない女だ。きっと引く手あまただろう。それでも、俺はドナちゃんが隣にいてほしい。
サラリと流れる黒髪を目で追いながら、言い慣れた言葉を吐く。
「ドナちゃん」
「はい」
凛とした声が心地よい。
ああ、俺は幸せ者だ。
ドナちゃんの声を聴けるだけでそう思ってしまうんだから、重症だ。
「好きだ。……結婚を前提にさ、付き合わねぇ?」
「お断りします」
「……ん。知ってる」
俺らの挨拶のような常套句。それが合言葉みたいで、少し好きだ。
……こんなやりとりができる、その時間が愛おしくて猛烈に彼女を抱き締めたくなった。
そんな俺の手は、彼女の髪を掬うだけで終わった。
しかし彼女は心底驚いたようで、目を見張らせてこちらを見る。
「な、……なんですか、急に」
「あー悪い。凄い、綺麗で……その、つい、出来心、で」
しどろもどろと言い訳をする俺を見て、ドナちゃんは溜息を吐いた。
「店長さん、10分だけお時間下さい」
「あいよ。お客さん来ないし、10分くらい大丈夫だよ」
快活な声がしたと同時に、ドナちゃんが俺に近寄り、静かに隣の席に座った。
「えっ、ちょ、ドナちゃん……!?」
確かに席はガラガラだった。いやそれでもなんで、ドナちゃんが隣に。
ぐるぐると目を回し始める中で涼やかな声が耳に入る。
「嫌ですか?」
それはない!!
ぶんぶんと首を横に振れば「そうですか」と平坦な声が返ってくる。
そうだ。ただ俺が勝手に焦ってるだけで、別にドナちゃんに他意はない。
分かってはいたけど、脈なしだなぁ。今更ながらしみじみと実感する。
「え、と……その、なんか、気になったか?」
やっぱり髪に触れるのはセクハラか。セクハラ問題か。慌てふためく俺にドナちゃんはするりと自身の髪を撫でる。
「……黒髪は、あまり、好かれないので」
ああ。成程。俺は得心がいったとばかりに頷く。
黒髪を持つ人はあまり好ましく思われない。魔王の勢力である魔族の大抵が黒髪だからだ。
魔王の力を恐れるあまりに、人々は魔族に似た特徴を持つ人物を見つけては蔑むことが多い。ドナちゃんもその被害者だったのだ。
俺はもう一度彼女の髪を見る。濡羽色の細い髪が微かに揺れる。
「……やっぱ、綺麗だよ。くすんだ俺の茶髪よりかはずっといい」
赤みがかった茶髪の前髪を弄ってみせる。ぴょこぴょこと跳ねやすいこの髪は、オールバックにしてもよく視界に入ってくる。
歯を見せて笑うと、ゆるりと目を細めてドナちゃんも微笑んだ。
「アランさんの髪も、私は好きですけどね」
長い睫毛を伏せて、彼女は普段と変わらず平然と言い放つ。その大きな爆弾に俺の時は止まった。
ぶわ、と一気に頬が熱を持ち始める。
待て。本当に待ってくれ。頼むから。
「どうかされましたか?」
額を抑えて下を向く俺に、ドナちゃんは不思議そうに顔を覗き込む。
俺は言葉を探して、何も見つからずにただ呻く。結局、もごもごと口の中で呟くように、情けなく言葉を吐き出した。
「そんな風に言われると、何度だって好きだって言いたくなるから、やめてくれよ……」
「なに、が……」
自分の発言に気づいたらしく、中途半端な言葉が空中でぶら下がる。そうしてその色白な肌が、うっすらと朱に染まった。
「……仕事に戻ります。失礼します」
さっと席を立ち業務に戻った彼女に呆気に取られる。
一瞬先程のは夢かなにかではと思ったが、そうではないらしい。
だってまだ、彼女が時折自身の髪に触れている。
そろりと、俺も髪に触れる。先程の声を思い出して、ゆるりと頬が緩む。
……好きだなぁ。
呟きはせずに、心の中で唱える。
そして俺は少しだけ、髪を大切にしてみようかと考えた。現金な男だと笑ってくれ。
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