ファーストソング、アンド、バトル

魚里が作った曲が吠える。


音圧が唸る。


尖りすぎて、リハでは使えないと踏んだこのステージ限定のアレンジ。


困惑した演者を放置して、魚里が高笑いする。


出来るでしょ?


魚里が白銀くじらを見た。


頑張る。


白銀くじらが、魚里に応えるように、ボイストレーニングで形になった腹式呼吸で。


――一曲目。


『Swimmy』


Vtuberとしての始まりの曲。


南森と魚里の最初の曲。


「ぶっかま、せぇ!」


魚里のコールに、南森が笑った。





白銀くじらが登場した時のエフェクトは、サーシャが用意したものだった。


クジラの名に恥じない登場は、サーシャの心を震わせた。


「これ、本当に私が作ったの?」


サーシャはサイリウムを掲げた。客席のだれよりも早く高く。


「がんばれ」


小声で、こんな騒音の中では誰も聞こえないはずなのに。


白銀くじらと、目が合った。


「あっ」


彼女はサーシャを指さして、歌い始めた。




(なんだろう、この感覚)


南森にも変化が訪れる。


このサイリウムの海で、人のことなんて誰も見えない。緊張も、照明の都合も、画面越しということもあったから。


なのに、分かる。


人の感情が、何を求めているのか。


(サーシャさん……)


サーシャの気持ちは不安でいっぱいだったのがよく分かった。


白いサイリウムのおかげで、心の色がはっきり見えた。


サーシャだけ、真っ青な色をしている心。


(大丈夫です、サーシャさん。私――)


白銀くじらが息を吸った。


(くじらちゃんに恥じない、最高の創作を――)




「―――――――♪」


歌いだしは、激しく、テンポよく、勢いよく。


Forte、forte、forte!


ただ会場のボルテージを上げるために、荒々しく。


その声は電子の海すら揺らすほど、力強く。


Aメロ。


どこまでも嵐は吹きすさぶように。


会場を、魚里と自分でぶち壊すように。



そして、凪。


静まり返った海に、優しくなでるような風が吹くような歌声で。


可愛いと、キレイを詰め込んで。


隣に座って子守唄でも歌うように。


やさしく、しずかに、やさしく。


Bメロは、言葉一つに命を込めて。


白銀くじらは、表情一つにも気持ちを込めて。


振り付け一つにも、誰かを想って。





客席の中に、一人ムッとした表情の男がいた。


(はぁ、推しの出番終わってんのになんでこんな激しい曲なんだよ、休ませろって)


そう考えた瞬間、白銀くじらは彼を見た。


間違いなく、目が合っていて。


(!?)


そっと、寄り添うように優しい笑顔を彼に浮かべた。


(え、やば、かわいいんだけど)


他にも。


(やばい、楽しいけど曲初めて聞いたからタイミング分かんないぞ、合わせないと……あっ)


盛り上げようとしているが、曲を聴いたことがない人がいて、どうサイリウムを振ればいいのか分からない男がいた。


そんな彼に、手で、身振りで、次のサイリウムの振り方を、ウインク交じりに教えた。


(やば、ファンサすごいだろこの子!?)



(なんだろう、この感覚)


南森は、何かつかめそうだった。


(みんなの心が、分かる。みんなの心が一つになってく)


力いっぱい、お腹から。吐き出すように。


(楽しい、歌が、楽しいっ)


そして。




サビ。


思い出したのは、PC室での撮影。


放送部員だけが見ていた、あの光景。


みんなが踊れるような、ダンスを。


皆と盛り上がれるような、曲調を。


最高の瞬間を、今この場でぶつける。


歌う。


歌う、歌う、歌う。


この六か月の情熱を、訴える。


(みなさん、楽しいですか?)


自然と、笑顔がこぼれる。


(私楽しいです、楽しいんです!)


緊張して、喉も少し痛い。


汗なんてとめどなく出てくる。


まだ人の心が見えるのが怖いし、人見知りはまだ治っていない。


心の中はまだまだ一般人南森一凛のままだ。


それでも。


(私、今っ!)


魚里と目が合った。


彼女も必死に、実力以上のパフォーマンスを繰り広げる。


二人だけの、最強の世界観。


(Vtuberになれてますか?)


ちらっと、南森は後ろを向いた。


繭崎が、ニヤッと笑った。


「最高」


親指を立てて、彼は安心しきった顔をしていた。


「――っ!」


南森の顔が、白銀くじらにダイレクトに伝わって。


誰よりも最高の笑顔を、会場に見せつけた。


サビが終わる、魚里が負けじと着いてくる。


着いてこれないのは、バックの演奏者だけ。


「くそ、かっけぇなおい!」


神宮司はプロの意地で負けていない演奏をするが、ベースとドラムは着いていくので必死だ。




楽屋で準備を始めていた不動の耳に、音楽が聞こえる。


その歌を聴いて、ひどく頭を痛める。


「――楽しそう、だなぁ。……なんで、私は……」


独りぼっちの不動に、寄り添う人間は一人もいなかった。



舞台裏に集まったVtuberの中の人たちは、ぎゅっとこぶしを握り締める。


「すごい、すごいよくじらちゃん」


誰もがそう思っていた。


誰一人馬鹿にしていなかった。


そこにあったのは、同じ舞台に立つ仲間意識と、魅力的なパフォーマンスに心打たれた姿だけだ。


「私、あんな風に……」





(私、あんな風になれたかな)


南森が思い浮かべたのは、かつて見たアイギス・レオのライブ。


五人組のVtuberユニットのライブは、人生の中でも衝撃的だった。


退院してすぐ、見たライブ。


そのライブを見るまで、気持ちは挫折であふれていた。


交通事故に遭って、Vtuberのオーディションは落ちて、自分にはやっぱり才能がないと深く自覚した、あの過去を、一気に消し飛ばしたパフォーマンス。


なりたい。


私も、あんな風になりたい。


そう思ったあの過去は、嘘じゃない。


嘘じゃないのだ。


だから。


――スイミー。レオ・レオニ作の絵本。


仲間の中で、唯一色の違う魚がいた。それが、スイミー。


大きなマグロがやってきて、兄弟はみんな食べられたが、スイミーだけは逃げ切れた。


彼は一人で……一人で広い海を泳いだ。


そして旅の中で、いろいろなものを見つけて、出会って、知って、楽しくなった。


ある日、小さい魚の群れを見つけた。マグロが怖くて、みんな隠れてる。


スイミーは言った。みんなで集まって、大きな魚のふりをしないかと。


スイミーは、


南森と魚里が描いた歌詞は、サビの最初に描いた文面は、


「私が君の目になるから、君は私を連れて行って」


南森が、その目を通して見た世界は。


ニコニコ動画と、youtubeの世界から見ている人間とは違うだろう。


だって。


コメントは、あまりのすごさに息を呑んでしまっているのだから。


(――、私は今から旅に出る。Vtuberという、大きな電子の海の世界へ)


飛び込め、飛び込め。


自分を追い立てて、飛び出せるように。


(白銀くじらは、ここにいます!)


みんなに伝わるように。


(――って、かっこいいことばかり考えちゃうけれど、実際そう上手くいかないよね。魚里ちゃんが喰うって言ったのも本当だったし、私も必死で必死で。正直頭もいっぱいいっぱいです……。でも)


(そんな私を、応援してくれる人がいるなら――)


(白銀くじらは、南森一凛が中の人で良かったって言ってもらえるように)


(一生懸命、頑張ります!)



曲も、歌も止まった。


曲が終わった。


(……あれ?)


シーン……。


あんなにみんな盛り上がっていたはずだったのに、終わってみたら誰も声を上げない。


(……ひょ、ひょっとして……ダメ、でしたか……?)


不安になって、後ろを見た。


繭崎は大きく手を叩いた。


「ブラボー!!!」


その声が聞こえたか否かは定かではない。


だが、その声に合わせて、会場は。


今日一番、叫び声があふれた。


「――っ! ありがとうございます!」


白銀くじらのデビュー戦、一発目は成功。


「間髪入れずに次行くよぉ~!!! なにせ、ラスボスも待ってっからね!」


魚里が次の曲をスタートする。


「あ、その!」


魚里が自作した、曲のイントロ最中に、白銀くじらが両手でマイクを持って来場者に伝える。


「み、みなさん! 一緒に、盛り上がってください~!」


――二曲目。『EGOIST』の曲より、『Extreme』。


この場において、彼女が王になる。そんな曲で。


誰よりも、最高の音楽で。




「……くそ、先輩。やっぱり、ギリーを喰う気満々じゃないですか」


佐藤が腹立ちながら、ステージを、歯を食いしばりながら眺めていた。


「……スタジオ入ります」


不動が後ろから声をかけた。


その姿は、ひどく心を痛めている様子だった。


「……大丈夫ですか」


「あぁ。大丈夫だって。だって、それが仕事なんだから」


「――、そう、ですね」


佐藤はちらっと白銀くじらを見る。


(本当なら、自分が彼女のメンタルケアをするべきだった。だが、目がくらんでいたみたいだ。……白銀、くじらさん)


佐藤は目を瞑った。


(ごめんなさい。後は頼みました)




「ありがとうございましたー!」


南森は、自分のできることをすべて吐き出した。


やりきったのだ。


結果として、大成功だろう。


新人としては、頑張った方だ。


スクリーンから白銀くじらが消える。


マイクの音も消されて、ほっと一息ついた。


「お疲れ」


繭崎がタオルを差し出す。


「あ、ありがとうございます……」


「……こっからだ」


繭崎が真剣なまなざしで南森の目を見つめる。


「呑み込まれるなよ。クジラって名前なんだ。呑み込んでやれ」


「――っ、はいっ!」


なんて厳しい言葉だろう。


あんなに頑張ったのに、お疲れ、の一言で終わったのだ。


ただ、事実なのだ。


これから南森が。いや。


白銀くじらがやらかすことに比べたら、こんなの簡単なことだったのだ。


「……不動さんは」


「ここに来ないってよ。別スタジオで、収録するんだとさ」


「……そう、ですか」


「徹底してるよ。生半可なことをやっても、不動瀬都那は倒せない」


「倒す……」


「思いっきりやれ。でないと、あたふたして終わるぞ。南森、こっからはプロの世界だ。味わってこい」


「……はいっ」






アイギス・レオ。


【歌 担当】ギリー


その歌は、メンバー随一の実力であり、アイギス・レオで歌がうまいと言えば彼女の名前は必ず上がるだろう。


特にロックで激しい曲の時、彼女の歌声は光る。


彼女の歌は、Vtuberの中でも類を見ないオリジナルワンだ。


それが、ギリーの評価だ。


……不動瀬都那は、それが非常に苦痛だった。


それでも、彼女は歌えることに感謝していた。


もう二度と、日の目を浴びる場所で歌えると思っていなかったからだ。


ライブもすることができて、嬉しかった。


が。


歌うたびに、胸が痛くなる。


痛くて仕方ないのだ。


彼女はVtuberになってから、歌がますます歌えなくなってくるのを自覚していた。


歌唱力はぎりぎり維持できている。


だが、気持ちは、歌えば歌うほど心が真っ黒に染まっていく。


理由は分かり切っている。


分かっているのに、変わらない。


変えられない。


それは、まがいなりにも、彼女のこだわった部分でもあって……。


(……一人だ)


少人数体制で、一人のVtuberのために使用されるスタジオで、彼女は一人孤独だった。


(ステージに立つとき、いつも仲間がいた。けど、Vtuberって何がいいんだろうなぁ。リアルじゃないし、客の顔もモニター越し。なのに……なんでアイツは楽しそうに歌っていたんだろうなぁ)


目を瞑って、苛立ちを抑えながら、彼女はマイクを握った。






『さぁあああオマエラ、最後の出演者の登場です!』


ドン☆が叫んだあと、会場のボルテージは最高潮に達した。


オタップV大佐だけが首をかしげていた。


「むむ。2曲だけでござるか!? 勿体ないでござる……彼女、ポテンシャルが高いですぞ。これは帰ってチェックすべきですなぁ」


『最後は、なんととんでもない人が来てくれた。あの、アイギス・レオから、遂にソロ曲を引っ提げて、新曲のお披露目もしてくれる、最高の新人の登場だ!』


ドン☆は、心の中のわだかまりを、首を振って無視した。


『それではお呼びしようぜ! アイギス・レオ、歌担当! ギリィイイイイイイ!!!』


「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおお」」」」」


それは、なんとも武骨な登場であった。


スタンドマイクと、その前に立ってる少女が一人。突然パッと現れた。


それだけで、全員の気持ちが高ぶった。


「「「「「「ギリー!!!!!! ギリー!!!!!!」」」」」」


全員が叫ぶ中、ダウナー気味に、青髪のロングの美少女が呟いた。


「……ども。ギリーです。よろしくおなしゃっす」


「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」」」」」」」


(それじゃ、始めるか。仕事の歌……)


ため息をつくように、息を吸った瞬間、ドン☆が叫んだ。


『それでは、特別な演奏を披露してもらうためにぃ!! 演奏者を交代させてもらうぜ!!!』


「……は?」


初耳だった。


これまでの打ち合わせでも、そんな話は聞いたことがなかった。


佐藤が、意図的に情報を与えなかったとは、露ほども思わなかった。


「……なんで」


ドラムとベースの顔に、見覚えがあった。


ギタリストの顔が、やけに鮮明に映った。


DJブースに、先ほど演奏していた少女がいた。


そして。


「よいしょ、よいしょ……ふぅ」


スクリーンに、自分の隣に、白銀くじらが映っていた。


「……なんで」


何故。何故?


何故、かつてのバンドメンバーがいるのか。


何故、神宮司がいるのか。


何故、白銀くじらがそこにいるのか。


「……なんでっ」


「――、私、言ったじゃないですか」


おそらく、会場にはこの音声は流れていない。


マイクの音は、会場に届かず、二人の間だけに。


「今日は、全力で頑張りますって」


白銀くじらは、じっと、ギリーの顔だけを見ていた。


「不動さんが、歌が嫌いになった理由は、聞きました。そして、今も歌うことがきつくなっているのも、知ってます」


「――おまえ」


「歌が好きな、不動さんに帰ってきてほしい。それが、私たちの願いだったんです」


「いったい、なにを」


「不動さん、いや……」


白銀くじらのマイクが、会場につながった。


「今夜は、スペシャルライブ。特別な日です。だから」


白銀くじらは、ギリーを指さして宣言した。


「ギリーさん、私と勝負だ」

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