きっとうまくいくって信じてます
君島 寝(きみしま ねる)は南森と小学校の同級生だった。
君島は気弱で、いつも誰かの服の裾をつまんで歩いているような女の子だった。
それでいて成績も良く、努力をする子だった記憶があると南森は改めて思う。
しかし、中学に行く際君島は転校した。
そして高校生になった南森の隣の席に君島の名前を見つけたとき、少し喜んだ。
更に良いことがあるとするならば、その君島の引っ越し先が自宅の隣だったのだ。
また仲よく遊べる、そう思っていたが、彼女は一度も学校に来なかった。
家に行ったこともあったが、彼女の父親が会わせてくれなかった。
だからたまに、南森は自室のカーテンをめくって、隣の様子をチラ見していた。
(ずっと、何か悩んでて学校に来れないんだろうなぁって思ってた。だったのに、まさかかの有名なVtuberになっているなんて!?)
「あ、あの……ネルちゃん? 本当に?」
「うそ、なんで知ってるの? オタクじゃなかったじゃんいっちゃん……」
いっちゃん。そのあだ名をまだ覚えてくれていたんだ。
南森は気分が高揚していくのを感じる。
「す、すごい!」
「ひょえ?!」
また君島が奇妙な奇声を発する。
「寝(ねる)ちゃん、学校に名前があったのに来ないから、不安だったんだけど、まさかすごい人になってるなんて! ビックリだよ! 頑張ってたんだね。しかも私の憧れの世界の新星になってるなんて世の中分からないなぁ……」
「……あの、えっと、……??」
君島の胸には妙に明るい緑色の光が刺している。
灰色の煙のようなものの隙間から光はあふれ出していて、それがどういう心境なのかは理解できなかった。
明るくなったから光が刺したのか。
もともと光っていたのに雲がかったのか。
南森は、少しだけ気に留めつつ、自身の気持ちに従った。
「あの、寝(ねる)ちゃん。その、えっと……」
「な、ナニっ!?」
「……その、サインとかって貰えたりする? その、一凛ちゃんへって」
南森は、意外と欲望に忠実だった。
「おー……ここが、ネルちゃんがお父さんとマイムマイムした収録部屋……」
「うぐぅ、い、嫌なこと思い出させる……。で、デモ久しぶりに会った気、しないね、いっちゃんは」
「そうかな……? 私はもっと早く会いたかったよ」
「う、ウン、うん、ウレシイ、ワタシモ、うん」
南森は押し掛けるように君島の部屋に入り込む。
今、君島の親はいないようで、すんなりと入れた。
「うわぁ、すごい線がいっぱい。これ、録音機材? マイクだー。このマイクについてるアミアミはなに?」
「アミアミ……、あ、ポップガード? こ、コレないと、ノイズは入っちゃうから……」
「この体育館とか放送室にありそうな機械は?」
「み、ミキサー? や、やすっ……、安いやつ買ったの……」
「すごい、まるで夢の空間……!」
「……ホントニオタクニナッチャッテル」
「えっ?」
「う、ううんなんでもない」
生放送は君島が部屋に入った瞬間切ったようで、放送終了の画面が映し出されている。
「すごいね寝(ねる)ちゃん。ホントにVtuberになってるんだ」
憧れと、尊敬が心を満たしていく。
友人が有名人だと、気持ちも「負けないぞ!」と自然となっていく。
「……。Vtuber、なりたいの?」
君島が自分の部屋であるはずなのに部屋の隅で体育座りで南森の様子を伺っている。
「うん、プロデューサーと一緒にね」
「き、企業勢なの?」
「やー、あはは……。ううん、個人勢だよ、多分」
「えっ。でも、プロデューサーってことは、その、企業っぽいよね」
「……そうだねぇ」
南森は自然と、目の前の少女であれば、自分の話を聞いてくれるのではないかと、少しだけ期待した。
Vtuberを知らない人には話せない、彼女なりの悩み。
「……私ね、実は、企業のVtuberのオーディションを受けたんだ」
「す、すごい……、鋼メンタル」
「ううん、でも、その時期に私の推しのVtuberさんが辞めてて。それで、Vtuberは推せる時に推さないとって思った。そして、出来るならVtuberもやってみたいって思ったんだ」
(あの人と同じ景色を見たかったから。あの人が万が一、帰ってきたとき隣で笑ってみたかったから)
「い、イイネ。そういうの大事」
「うん、それでね。もうほんとにボロボロだった。周りはアマもプロも関係なし。今まで何か頑張ってきた人たちばかりが集まってた。……私、なーんにもしてなかった。だって、普通の女の子だったんだもん。中学も普通に部活に入って、才能なくて打ちのめされて、勉強言うほど出来なくて。……あこがれだけで、オーディションを受けるのは間違ってたんだって」
「そ、ソンナコト………うぐぅ……」
何か言おうとして、君島が目と口を食いしばった。
きっと何かしら思うことがあっても、言えなくなるようなことに心当たりがあるに違いなかった。
「それでね。たまたまオーディションを見てたプロデューサーが、「基礎だけなら、教えられるぞ」って話しかけてきたんだよね。最初、すごく眉毛が濃かったから不審者かと思っちゃって」
「ま、眉毛?」
「うん。眉毛が濃い、繭崎さんって人」
「ナニソノ眉のためだけに生まれてきた人」
「ははは、……それで縁があってね。そのプロデューサーと一緒に活動してるんだ」
「ソナンダ。……? じゃあ、なんで企業勢じゃないの?」
南森は、何かを諦めた表情で、自虐的に笑った。
「プロデューサーに基礎を教わって、奇跡的に二次面接も受かったんだ。そして……」
南森が下を向いた。
君島が首をかしげて、鳴くように「いっちゃん?」と呟いた。
夜に溶けるような音だった。
「私は交通事故にあって意識不明に。繭崎さんは……仕事を首になったの」
静かな夜になった。
街灯は絶えず誰もいない道路を照らしてる。
聞こえてくるのは、二人の少女の息遣いだけだ。
「……Vtuberをやってみたいって気持ちだけで、こんなに大ごとになるとは思わなかったけれど、それでも、やってみたい気持ちが抑えられなかったんだぁ」
「ア、 ソノ……エット……」
「ごめんごめん、急に重たい話しちゃって。でも、Vtuberに私なりたいんだ。だから今、頑張ってるよ。あ、そうだ」
気持ちを切り替えるように、南森はほほ笑んだ。
「寝(ねる)ちゃんて、どんな風にVtuberやろうとしてるの? こう、事前準備とかさ、どんな風に考えてやってる?」
「え、別に何も……」
「わぁ、天才肌タイプ……」
「エト、そうじゃなくて、ソノ……」
君島はスマホを取り出して、アプリを起動する。
「あの、いっちゃん、金髪ツインテール好き?」
「え? 私、髪は茶髪のボブとか好きだけど……」
「じゃ、っ、じゃあ、服は? メイド服とか」
「いやいや、普通の服だよ私。森ガールファッションにあこがれは若干あるけれど」
「はい、デキタ!」
「?」
「画面見て!」
南森が言われるがまま、君島のスマホの画面を見る。
顔があった。南森の顔ではない。
アバターがあったのだ。それも、南森の好みの髪型、髪色、服装のアバターが。
「え、と。これアプリの、『ホロライブ』? 『REALITY』とか『カスタムキャスト』って雰囲気ではないし」
「は、はい! これでVtuberにナレタ!」
「え?」
南森は動揺した。
(え? これでVtuberって……、あ、でもそっか、アバターがあって、生放送をすれば、もうVtuberだ)
「アノ、やってみたいって、思ってやればもう出来る、よ。だから、その……やりたいって思ってやろうとするのは、イイコト、うん、イイコト」
「寝(ねる)ちゃん……」
「私は……そんな風に始めたから、何も考えてなかったし。うん、やりたいと思って、やってみただけ。だから、その、じぇったい、うぅ……、ぜ、ぜっ、たい、あこがれで前に進むことは、間違ってないよ……。やりたいこと、やる。やりたいことやるの。Vtuberって、そういうものだもん、きっと」
「やりたいことを、やる。……そうだね」
「だから、その。……、イッショニガンバロ」
「うん」
「わ、わたわ、私、いっちゃんがVtuber知ってて、嬉しかった、ヨ? ヤリタイコト、ヤル。アコガレタカラ、ヤッテミル。それが、うん、一番いいことだよ」
「……ありがと、寝(ねる)ちゃん」
「ふ、フヒヒ、ま、まぁ、Vtuberの、しぇんぱひぃ、ごほん、先輩だしね……」
「……滑舌、悪くなったね。寝(ねる)ちゃん」
「う、うっひゃい! うぅ……。人と話すの、パパ以外久々で……」
南森は、不安で仕方がなかった。
自分の好きなものを共有できる人がいなさ過ぎて、自分の好きまで否定されているような錯覚も覚えることがあった。
もちろん被害妄想だということは、本人も理解していた。
それに、その世界に入ることに、一種の神聖さを感じていた。
自分なんかが入ってもいいのだろうかと、何度も夜に思っていた。
だが、近くに同じようにVtuberをやっている友達がいて、同じ話題で盛り上がれることに心が落ち着いた。
悩みを打ち明けることができなかった少女が、自分が蓋をしていた悩みを聞いてくれた。
救われたような気がした。
だから、この調子でいけばなんとかなる。
漠然とそう思っていた。
そう、思っていたのだ。
「おい。どういうことだ?」
繭崎が眉間に皺を寄せる。
「やだなぁ、そんなに怒らないでくださいよ、先輩(・・)」
一人の、男が繭崎の目の前に立つ。
「イベントの運営は、今日から僕たちも噛むことになっただけですよ」
南森のいないところで、確実に何かが動き出していた。
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