「大人の都合」
二ヶ月前。
南森がサーシャの家に泊まった、次の日の夜のことだった。
「どうして仕事辞めたの」
東京は上野で、繭崎とサーシャは二人でバーにいた。
二人は向かい合って座っていたが、サーシャの目つきは恐ろしかった。
しかし、繭崎はただただ真剣に話を聞いていた。
「私はね、繭崎。あなたがまだ芸能事務所で働いてると思っていたわ。だって、年賀状はあなたと所属アイドルの憎たらしいツーショット送ってきたし、四月にした同期飲みの時も、まだ働いてたじゃない」
「……あぁ、懐かしいな。前も言ったが、あのツーショットは不本意ではあったんだ。だがあまりにあの子がいい笑顔だったから使わせてもらった」
「誤魔化さないで。今はあなたの仕事の話よ! いつから? いつから仕事を辞めたの」
「お前に南森と挨拶に行った、2ヶ月前だ。6月の頭にな」
「なんで言わないの!」
ガシャン、グラスが揺れて大きな音を立てた。
周りの客も振り返って繭崎とサーシャの様子を見た。
しかし、肩で息をしながら顔をしかめるサーシャの剣幕に驚いて、目線を逸らした。
「……悪かった」
「なんで、なんで……! ……バカじゃないの……。じゃあ、じゃあこの前提示した100万はどうするつもりだったの? 私は、事務所からの依頼金だと思って吹っかけたのよ。あなたがプロデュースしたアイドルが売れてて、だから、だから!」
「……退職金で払える額だったからな」
「な、によそれ。バカじゃないの? それじゃ私……とんだ悪党じゃない……」
声を震わせるサーシャを見て、繭崎も頭を掻いた。
「すまん。予算に関しては確かに最初は舐めていた。想像以上に金がかかるとも思った。だが、俺はお前の力を信じてるから、だから、金に糸目は付けられなかった。まぁ、あと一年は生きていける金もある。失業届出してるしな」
「そうじゃない。そうじゃないわよ……」
サーシャは香りを楽しむ気も起きず、ワインを一気にあおった。
「馬鹿、変な飲み方するな。体壊すぞ」
「はぁ、はぁ、……なんでもっと早く言ってくれなかったの……? 信頼してないの?」
「迷惑をかけたくなかった。それに、南森にも心配かけたくなかった。意地張ってたのは、認めるさ」
「そう、そうよ、南森ちゃん、あの子の為にぽんっと100万出すって、一体何があったの?」
繭崎の顔色が少し赤くなっている。
「ウチの事務所は、アイドル専門の事務所だった。だが新規事業を始めた。昨今の状況は、CDやライブ、物販だけだと事務所が生き残れないと踏んだんだろうな。それで、目をつけたのがVtuberだった。インターネット発で、オタクカルチャーの最新の流行。目をつけたのは自然だった。だが、流行に乗るのは遅すぎた」
力が入ってきているのか、表情が無くなっていく。
「それで白羽の矢が俺に立った。俺は一年あれば売れるアイドルを生み出せる、そういう売り文句もあったしな。事前情報なしで、幹部どもにやれって言われたよ。それでまず、Vtuberを研究するところから始めたが、俺には理解できなかった。Vtuberの魅力が、分からなかった。だからアイドルと同じようにプロデュースしようとした。その方がノウハウもあるし、企画も作りやすい」
ふっ、と息を抜いた。
思い出すように、繭崎が微笑んだ
「オーディションで、南森と出会った。素人がオーディションに受けてきたなって思っていた。だが、彼女はVtuberオタクだった。Vtuberについて、誰よりも詳しかった。だから、俺は彼女に注目していた。必死に全力で頑張ってたよ。そして、オーディションが終わった後、帰り道の井の頭公園に、彼女がいた。今日できなかったことを必死に練習してたんだよ。だから声をかけた」
「下手すれば変質者よ」
「そうだな。だが、彼女は素直に練習したよ。企業系のVtuberになりたいからってさ。あの子は本気で、俺が魅力の一つもわからなかったVtuberを本気で目指してた。……俺、夢を本気で追いかける奴大好きなんだよ」
「知ってる」
「あぁ、そして度々教えてたんだよ彼女に色々。……そして、事件が起きた」
「……事件?」
繭崎が本気で悔しそうな、苦しそうな顔で、歯を食いしばった。
「彼女は、車に轢かれた」
「なんですって?」
サーシャが身を乗り出す。
「事故ってこと? あの子無理して無いでしょうね?」
「……後遺症みたいなものが残ってるよ。だが、問題はそこ以外にもあった。裏があったんだ。これは、ただの事故じゃない」
「?」
「……彼女は覚えてない。ただ、たまたま、俺は見ていた。あの夕暮の闇に隠れるように、井の頭公園で、南森は誰かに突き飛ばされて車に轢かれた」
「……は?」
「その後は、俺が何故か彼女に、裏営業を持ちかけたとしてクビになった。俺の話は誰も信じなかった。いや、幹部どもは完全に口裏を合わせるように俺をクビにした。そこで初めて分かったんだよ。ハメられたってな」
「い、一体何を言ってるの繭崎」
「……南森が受けていたVtuberオーディションには、何かがあった。思惑が、利権が、南森の憧れを本気で壊しにかかる悪意が! 俺は人の夢を否定する奴を許さまい、だから」
「待って!」
サーシャが繭崎の肩を掴んだ。
「あなた、酔ってるし、クビになったから疲れてるのよ。悪い運が重なっただけかも。そういうのはあなたが抱える悩みじゃない……警察に全部任せれば」
「……そう、考えた方がいいんだろうな。だが、警察は捜査を打ち切った。圧力をかけた奴がいるんだ。根拠はない。俺はあの事件の真相を知りたい。そして、南森の夢に泥を塗ったやつも許せないんだ」
「あなた、あの子をダシに、妄想かもしれない想像だけで復讐じみた計画してるんじゃないでしょうね」
「……」
繭崎がグラスを回す。
赤ワインの香りが花開くように広がっていく。
「別に、あの子を俺の都合で縛るつもりはないよ。ただ、あの子を応援したかっただけだ。丁度、独立してみたかったしな」
「……そこだけは、間違い無いのね?」
「あぁ」
「そう、分かった」
サーシャが繭崎が机に置いた手を重ねる。
「100万はいらない。30万で依頼を受ける…品質は変えない。出世払いで残りを払いなさい。出世払いで、100万の3倍のし付けて返しなさい。いつでも待ってるから」
「何を、お前にだって生活が」
「その代わり!……その代わり約束して? あの子を、南森、いいえ、一凛(いちか)ちゃんの期待を裏切らないであげて……あの子はまだ未成年よ。あの子には将来がある。……絶対に、守ってあげなさい」
「……言われるまでも無いよ」
「分かってない、絶対あなた分かってないわ。分かるわよ、あなたバカだから」
サーシャが泣きそうな声で繭崎の手を潰すように握った。
(なぜ、今更そんなこと思い出してしまったんだろうか)
そして二ヶ月後。
南森と君島が出会った次の日。
繭崎は迫り来る新人ライブの打ち合わせに来た。
主催者である男性個人vtuberの「ドン⭐︎ 先一(どんぼし まずいち)」は、個人勢の中でもかなり成功している部類のvtuberだ。
⭐︎を星と読むのが嫌な人が非常に多く、大半の人からドンと呼ばれている。
彼は新人Vtuberオタクであることをバックボーンに、「あらゆる新人に日の目を」という企画を度々行なってきた。
今回のイベントは、音楽ライブ。しかも「今回が初デビューでもいい、デビュー一年未満のVtuberオンリーイベント」という集客性度外視を実行してしまう力。
渡りに船ではあったが、成功するかは分からない。
期間はもう少ない。
今は10月。
あと4ヶ月で、本番。
(南森は、間に合わないかもしれない)
繭崎は当たり前の事実に直面していた。
(残念だが、あの子は天才じゃない。4ヶ月では実力はやはり素人に毛が生えた程度にしかならない。……天才を見たことがあるからこそ分かる。今のままではダメだ。どうすればいいのやら)
懐に忍ばせていたタバコに触れて、昔の、井の頭公園で面倒を見ていた時のことを思い出した。
(「繭崎さん。タバコ吸いすぎですよ!」……か。はぁ、……まぁ、禁煙にはちょうどいいさ)
顔合わせを行ったことはあるが、細かい打ち合わせや変更点を4ヶ月前に行われると思わなかった。
(さて、面倒じゃなきゃいいんだが)
渋谷の某貸し会議場に入る。
まだ開始1時間前だからか、主催者と数人に
しかいない。
いや。
数人、いてしまったと言う他なかった。
「……。ふざけろ。なんでアイツがいやがる」
奥歯が凹むくらい力が入る。
目線の先には主催者と2人の男女。
ドン⭐︎先一と、知り合いが1人、他人が1人だった。
「あぁ! 繭崎さん! 御世話になってます!」
アロハシャツを身に纏った背の低い小太りの男、ドンが駆け寄ってくる。
会社勤めが嫌で、スーツも嫌いなのでアロハシャツを着続ける男は、クリエイターだから許されるのだろうと繭崎は頭で処理する。
しかし、それ以上に看過できないことは……。
「……どうも。お世話になっております。……なぜ、岩波芸能事務所の方がいらっしゃるんです?」
岩波芸能事務所。
アイドルを専門としていた、芸能事務所。
最寄駅は井の頭公園及び吉祥寺、徒歩7分。
繭崎の古巣である。
「あれぇ? 繭崎さん、お知り合いだったんですか? いやぁそうなんですよ。何せ、今後あちらの運営の方と共同でイベントを開催することになりまして!」
「なに?!」
思わず言葉を吐き出してしまう。
繭崎の驚いた様子を見て、ニヤリと笑いながら男が近づいてきた。
繭崎が毛を逆立てるように眉間にシワを寄せる。
「おい。どういうことだ?」
「やだなぁ、そんなに怒らないでくださいよ、先輩(・・)」
一人の、男が繭崎の目の前に立つ。
「イベントの運営は、今日から僕たちも噛むことになっただけですよ」
「……佐藤っ!!」
細身の体系に、スーツを着用したメガネの男、佐藤 由和(さとう よしかず)。目にクマを付けて、全く笑っていない瞳で、口元だけ歪めた。
「あぁそうそう、ついでにご紹介しますよ。ほら、挨拶して」
佐藤に言われるがままに、暗い影を顔に落とした女が頭を下げた。
「……ども、初めまして。【アイギス・レオ】でギリーって名前のVtuberやらしてもらってます、不動 瀬都那(ふどう せつな)って言います……よろしくどうぞ」
崩れ落ちてしまいそうになる感覚を覚えながら、繭崎は声を震わせた。
「佐藤っ……お前が、アイギス・レオ担当!?」
「えぇ、……そうですよ」
若干の苛立ちを見せて佐藤が返す。
「先輩がなるはずだった、アイギス・レオのプロデューサーではないですけどね」
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