第7話 拒絶と本心

「久しぶりだな、イズメイル! 暇ができたからお前に会いに来てやったぞ!」


 エウリアスは言って、手を腰に当てて彼の全身をつぶさに観察した。相変わらず小柄で華奢ではあったが、窶れている様子はない。身なりもきちんとしているし、少々面食らってはいるが目も生き生きしている。問題はなさそうだった。


「もし死にかけていたらどうしようかと思ったけど、元気そうだな」


 エウリアスはイズメイルの肩を叩こうと手を伸ばす。彼は、イズメイルも自分との再会を当然喜ぶものと思っていた。わざわざ会いに来てやったのだから、相手も自分を歓迎して迎えてくれるに違いないと無意識に期待していた。だから、目前の少年が眉をひそめながら自分から距離を取るように一歩下がった時、エウリアスは狼狽えた。


「どうしたんだイズメイル」


 自分でも思いもよらない不安げな頼りない声が出た。イズメイルとは確かに友人になりえる絆を感じたのに、今の彼の行動はまるで自分に対する裏切りのようにも感じられる。イズメイルにすがるような眼差しを向けるが、彼はエウリアスを見ることもその声に答えることもせず、膝をついて恭しく頭を下げた。


「……エウリアス第三皇子殿下。先日は大変なご無礼を致しましたことをお詫び申し上げます。私が今このように不自由なく過ごせるのもすべて殿下の御好意のお陰。寛大なお心に感謝を……」

「やめろよ!」


 たまらず、エウリアスは声を荒げた。


「やめろ、イズメイル。俺はお前にそんな態度を取ってほしくてここに来たんじゃない!」


 イズメイルが顔を上げようとして、慌てて伏せる。貴人の前で許しもなく顔を上げてはならないというのは宮廷では常識だ。だから、彼の行動は何も間違ってはいない。それなのに、イズメイルにされるとなぜかひどく腹立たしく、まるで拒絶されているようでいたたまれなかった。

 イズメイルに顔を上げるように命じるが、それでも彼は、頭を下げたまま微動だにしない。怒りに任せて怒鳴り声を上げると、ようやく彼はのろのろと顔を上げ、目前のエウリアスを見上げた。困惑した表情、そして、なぜ来たのかと言わんばかりの冷ややかな眼差し。エウリアスは無性に苛立った。


「こいつと二人で話がしたい。適当な場所を借りるぞ」


 イズメイルの腕を引っ張り立ち上がらせると、有無を言わさない態度で彼を引っ張り客間を飛び出した。ニクスールが慌ててついてこようとするが「来るな!」と一喝する。ニクスールとエゼルキウスが呆然とこちらを見つめていたが、エウリアスは気にしない。客間の外で、先ほどの若者と少女が様子を伺うように佇むその横をすり抜けると、イズメイルと共に邸の奥へと駆けていった。



 ***



「待ってください、エウリアス殿下!」


 客間を飛び出し、通路を走り抜けて中庭を取り囲む回廊の一番奥まで来たところでイズメイルが立ち止まり、エウリアスの腕を振り払う。吹き抜けになった中庭は青々とした低木が点在し、地面には柔らかそうな芝生が植えられ日の光が燦々と差し込んでいる。心地のよい空間だったが、今のエウリアスにそのようなことを気にする余裕はなかった。


「いきなりやって来て、何をなさるおつもりですか!」


 憤って顔を赤くするイズメイルの胸ぐらを掴んで捻り上げると、エウリアスは食いしばった歯の間から唸るように言葉を絞り出した。


「お前、なんだよその態度……! 宮廷の奴らみたいな言葉遣いしやがって」


 友達になれると思ったのに。結局は彼も、皇子としてしか見てくれないのか。表面上の言葉だけは美しく取り繕いながら心は距離を置いて一線を引こうと、そういう心積もりなのだろうか。


「お前、あのとき、俺の身分なんかどうだっていいって言ったよな。あれは嘘だったのかよ?」

「……あれは、私があまりにも貴方に対して礼儀知らずであったが故の愚かな発言です。どうかお忘れください」

「忘れるもんか。俺はお前の言葉で救われたんだ。お前、宮廷の奴らを見返してやれって言っただろう? だから俺は変わったんだ」

「……まさか、真に受けたのですか? あのような、無礼な発言を……」


 イズメイルが口元を引きつらせながら言う。


「当たり前だろう。お前がやれって言ったんだぞ。だから言葉通り、俺はお前に言われたこと全部実行したんだ。そうしたら皆の俺を見る目も変わったし、お前も助かった」


 エウリアスにとっては嬉しい誤算だった。イズメイルの助言を実直に行動に移したことで、すべてが良い方向に変わったのだ。ニクスールは自分を馬鹿にしなくなったし、メトディオス帝も、自分の努力を認めてくれた。廷臣たちの中にも彼を見直す者が増えたし、兄カハディーンには直接武術指南もしてもらっている。そして、真面目に勉学に励むようになったことで知識が増え、学ぶ楽しさの片鱗に触れることができた。勉強が苦手なことに変わりはなかったが、それでも大きな成果だった。


「俺は、お前のお陰で人生が変わったんだ」

「そんなの大袈裟です。私が言わずとも、いつかご自分で活路を見出だしておられたはず」

「違う。お前のお陰だ。少なくとも、俺はそう思っている」


 エウリアスはイズメイルの両腕を掴んで自分に向き直らせる。彼から目を背けるようにしていたイズメイルと視線がぶつかった。二つのエメラルドが揺れ動いている。目の前の彼はひどく怯えているようだった。まるで、自分と関わることを恐れ、距離を取ろうとしているように見えた。


「なぜ、貴方はそこまで私に執着するのですか? わざわざこんなところまでやって来て……」


 引きつった表情で尋ねられ、エウリアスは執着じゃないと言おうとして口をつぐんだ。わざわざ外出許可を取り付けてまでここまで来たのだ。これが執着ではなくていったいなんだと言うのだろう。ではなぜ、自分は彼に執着するのか。そんなの分かりきっている。


「お前と友達になりたいから」

「どうして……」

「お前が、俺に正面からぶつかってきてくれたから」


 イズメイルが顔をぽかんとさせる。エウリアスは真っ直ぐにイズメイルを見据えた。


 数多の人が溢れるきらびやかな宮廷で、エウリアスは常に孤独だった。父帝は彼を省みない。母は七つの時に彼を置いて病でこの世を去った。カハディーンを除く八人の兄弟たちは、母親の身分の低さを理由に、彼を兄弟として認めず、唯一自分を認めてくれているかもしれないカハディーンも、気まぐれに彼を虐げる。

 幼い彼の心に寄り添う者は皆無だった。皆、皇子である彼のご機嫌取りだけはうまかったが、その裏で彼らが自分を身分卑しい奴隷の子と軽んじていることを、エウリアスは嫌というほど知っていた。だから彼はあえて身分を笠に着て威張り散らし、周りを困らせ、悦に入ってそれを楽しむことを繰り返してきた。それでも孤独感は満たされなかった。

 そこにイズメイルが現れたのだ。彼の迸る怒りには差別心も身分を慮る気持ちも一切含まれていなかった。彼は、ただただ自分の不躾な振る舞いに怒り、和解すると真摯な助言と激励の言葉をくれた。それは、生まれて初めての経験だった。生まれて初めて、自分をひとりの人間として見てくれる相手と出会えたと思った。それはエウリアスにとって、何にも変えがたい出会いだった。

 彼は恩人だ。イズメイルのお陰で自分は自分の居場所と希望を見出だすことができたのだ。


「……だから、俺はお前と一緒にいたい。俺は、俺をちゃんと俺として見てくれるお前じゃないと嫌なんだ。頼むから、そんな態度と言葉遣いはやめてくれ」


 話しているうちに視界が歪み、ぼやけ始めた。エウリアスは溢れ落ちそうな涙を乱暴に拭う。


「俺にはお前が必要なんだ、イズメイル。お前、言ったじゃないか。俺が将軍になったら、俺の側で支えてくれるって」


 そう言って彼の腕を握りしめた手に力を込める。イズメイルは俯いたままなにも言わなかった。エウリアスが沈黙に耐えきれず、口を開いたその時。イズメイルが肩を震わせながら引きつった笑い声を上げた。


「あんた、馬鹿じゃないの。あんなの真に受けてさ」


 顔を上げた彼は、嘲笑と憐れみの入り交じった眼差しをエウリアスに向ける。


「正直僕はあの時、あんたなんかどうでもよかったんだよ。だから適当なこと言ったんだ。早く帰って欲しかったし、眠たかったし。そうしたらあんた、僕を助けてくれるっていうからあんな約束したけど、はなから守る気なんかなかった。あんたはすぐに僕のことなんか忘れるって思ってたし。なのにまさか、本気にして、僕の言ったこと馬鹿みたいに守って、こんなところまで来るなんて。頭おかしいんじゃないの?」


 頭が真っ白になった。一瞬なにを言われているのか分からなかったが、その言葉を理解するにつれ、身を震わせるような激情が全身を支配する。


 裏切られたと思った。


 イズメイルの言葉を支えに自分は厳しい訓練に耐え、彼と並んでも遜色ない人物になるべく努力をしてきたというのに、それを当の本人が否定し、扱き下ろしている。


 エウリアスの頭に血が昇った。イズメイルの胸ぐらを掴み、一発殴ってやろうと腕を振り上げたところで、彼の頬を涙が伝って流れていることに気づく。彼は振り下ろそうとしていた拳を宙に留めた。


「僕みたいな奴に助けられたって、本気で思ってるなんて、お前は馬鹿で阿呆で、とんだ間抜けだ。僕は平気で嘘をつく卑怯者だし、お前が思うほどいい奴でも、お前を助けてやれる存在でもない。お前が変わったのはお前が頑張ったからで、僕はなにもしていないし、なにもできない。お前のためにできることなんかなにもない」


 イズメイルはエウリアスの手を振り払うと、くるりと背を向けた。その華奢な肩が小刻みに震え、時折鼻を啜る音が聞こえる。

 エウリアスは深く息を吸い、吐き出した。熱く煮えたぎっていた肝がゆっくりと冷やされてゆく。


 彼の言うことはあまりにも身勝手で不誠実だ。だが、彼は自分の無責任な発言と誠意のなさを後悔している様子でもあった。だからこそ、この憤りをどこにぶつければよいのか分からない。約束を反故にし、自分を嘲笑する彼を詰ればいいのか、それとも泣いている彼を慰めるべきなのか。


 エウリアスは空を仰ぎながら中庭の長椅子に腰掛けた。足元に咲く小さな黄色い花がサンダルを履いた足をくすぐり、青臭い植物特有の匂いが鼻をつく。


「お前も座れ」


 そう言うと彼は土の上に座ろうとしたので、慌てて腕を掴んで長椅子の自分の隣に座らせる。イズメイルはエウリアスから距離を取りつつも長椅子に浅く腰掛けたが、後ろめたいのか決して彼と目線を合わせようとしない。


「俺は確かにお前に俺を支えろって言ったけど、お前にその気がないのなら無理に戦場までついてこいとは言わないよ」


 エウリアスがぽつりと呟いた。上空で鳥が鳴く声が聞こえた。風に揺れる中庭の木々が爽やかな音を奏で、葉の香りを漂わせる。


「俺は馬鹿だよ。多分、大馬鹿者だ。でも、お前がそんなに悪い奴じゃないって知ってるし、それに、お前が本当に俺のことどうでもいいって思ってたら、泣いたりしないだろう? だから俺とお前、いい友達になれると思うんだけど」


 エウリアスがそう言うと、イズメイルは驚いたように涙で濡れた目で彼を見上げた。

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