第2話

学生寮と校舎は目と鼻の先にある。 場所的には近いんだけど、学校所有の山のせいで通学路は驚異の坂道。お陰で寮生は、実家通いの特待生並に疲れた顔で登校する。 一般生徒は専用バスがお出迎えですよ、贔屓だ。だからこの坂道を歩く生徒は、寮生か特待生。 そういう意味では特待生が唯一羽を伸ばせる時間かもしれない。 お金持ちのよくわからない圧力ってなめちゃイケない、本当に。


そんな理由もあり、この坂道は辛いけど嫌いじゃ無かったりする。 隣が山だから空気も美味しいしね。って、僕一応一般生徒何だけどなぁ。 肩身が狭いのは何故なんだ、特待生でもないぶん余計タチが悪い。跳び箱なら超得意なんだよ、でも跳び箱ではスポーツ特待生になれないんだよ、ぐすん。お父さんごめんなさい、高い入学金と授業料ですがよろしくお願いいたします。 正式にはお祖父ちゃんですが。


ってぅわあ! ヤバイ、遅刻する! 僕は模範生じゃないと在学の危機なんだ! こんな初めから遅刻したら二学期は無いよ!


急げ、走れー!


「おはよう」


既に生徒はいない通学路。 木漏れ日とか小鳥の声とかがお洒落に朝を演出している坂道。それに負けじと美しい声が聞こえた。

低くて、でも何だか甘くて、男の人の声にあまりこういう言葉は使わないけれど、美しい。たった四文字の言葉で意図も簡単に僕を真っ白にするくらい、美しい声だった。


「おはよう」


そしてもう一度、今度は笑うような調子で美しい声が聞こえる。声の主は、僕と同じ制服を着ている。 あ、でもバッジの色が二年生だ。逆光に目を細めながら、何とか見えた美しい声の主の顔を見て、一瞬目を疑った。さっきまで、あの声より美しい物はそうお目にかかれないと感動の余韻に浸っていたのに、あっさり記録が更新されました。サラサラと風に靡く茶髪。 後ろで軽く縛ったその髪は、まるで光の粉を撒き散らしてるかのようにキラキラしている。負けじとキラキラしている白めの肌は、すべすべにも程があるくらいすべすべで。 切れ長な細目からチラリと覗く瞳は、多分何かの宝石なんだろうな。 あぁこの人最高級の人形なんだな。 でも微かに動いた唇は、あぁ畜生やっぱり美しい。 長身で華奢な体しやがって! 逆に貴方様の美しくないとこはどこですか!


僕のボキャブラリーではおおよそ半分も伝わって無いけど、何度も言う、その人は美しかった。呆然と立ち尽くした僕に、彼はうっすら笑いながら手首を見せた。 その手首には腕時計があって……


「ぁああ遅刻するっ!!」


遅刻しても良いからもうちょっと眺めていたい気持ちもあったけど、よく考えたら彼も生徒だもん、遅刻しちゃうよ!いやこの美しさと落ち着きからして一般生徒なんだろうけどね! 僕だって一般生徒さ! 扱い的には一般生徒(仮)だけど!


「あまり急に走ったら、お腹を痛くするよ」


走り出そうとした僕の腕を掴んでにっこり笑う美しき人。 美しい上に優しいなんて貴方さては出来杉くんって名前ですね。 一層清々しいです、もっと完璧になって下さい。でもね、でもね。


「ぼ、僕は模範生じゃないといけないから、お腹痛くなっても盲腸になっても、遅刻するわけにはいかないんです」


あぁ、もうチャイムが先かカップラーメンが先かってとこまで迫ってます。


「大丈夫、鞄を貸して」


首を傾げながらも美しい人に鞄を渡す、と、美しい人はそれを自分の鞄と一緒に、ニメートルはある塀の向こうへ投げた。そして軽々塀に登り、塀の上から僕に手を差し出す。


「掴まって」


小さいながらも、そりゃあ人間ですから結構な重みがある僕を、華奢な腕は片手で軽々引き上げ、そして手を掴んだまま塀を降りた。為すがまま塀から落ちた僕をしっかり受け止め、笑いながら鞄を差し出す。


「これで大丈夫だね」


塀の向こうは校舎で、裏口のすぐ近くだった。 僕の教室は正門からより裏口のほうがずっと近い。 これなら間に合う。


「ありがとうございます、助かりました」


そう言って頭を下げた時、何だか懐かしい気分が込み上げる。なんだろう、これ。


「上履きはSHRの後に取りに行ったらいいよ」


そう言った美しい人は、とても嬉しそうに笑った。またしても僕の美しい物ランキング上位は更新されてしまったようだ。

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