第85話 魔界の魔人
魔界の地を朝日が照らす。
黒がゆっくりと白に変わっていく瞬間だ。
あの日から数えて49日目——。
エリ村から始まり、こんな所までボクを導いた運命の風。
過去を振り返ると、たくさんの笑顔や泣き顔が現れては消え、消えては現れて、その度にボクの心も引きずられる。
ほんのりセンチに浸るボクに、タイミングを見計らったかのようにアイちゃんからの念話が届いた。
(リンネさん、今すぐニューアルンに戻ってください。そこは危険です!)
(えっ? なんで?)
(理由は後で説明します!)
(わかった!)
「アユナちゃん、クルンちゃん、一旦戻るよ! 転移!」
「「はい!」」
★☆★
「えと、調子悪いです?」
「?」
「?」
クルンちゃん流ツッコミの意味がわからず、辺りをキョロキョロ見渡すボクたち。
ふと視線を飛ばすと、大きな魔物が飛び交う空の先で視点が定まる。霊峰ヴァルムホルンが、ボクが削り取ったはずの山頂を相変わらず見せつけている。
う~ん、
(アイちゃん! そっちに直接転移できないみたい。戻るのに3時間くらいかかっちゃうけど、何があったの?)
(異空間の壁は越えられませんでしたか·····あ、失礼しました。ウィズが魔界にいるのなら、いつでもリンネさんの所に現れる可能性があります!)
(それって、どういうこと?)
(リンネさんの
「ストーカー!!」
「どうしたの?」
「あっ、声が出ちゃった。今ね、アイちゃんから念話がきて、ウィズはいつでもボクの所に転移できるって!」
「えぇ~っ! まだ魔神様にも会えてないのに」
「うん。だから、安全なニューアルンに戻るようにってアイちゃんが——」
「居ないです。魔人ウィズは魔界には居ないです」
「クルンちゃん?」
「でもさぁ、
エリーン婆さんかっ!
と、心の中だけでツッコミを入れる。
「占ったです。今は地上に居るです。3日間は居るです」
クルンちゃんの占いは絶対だ。それも、神様の一言なんかよりも正確なくらいに。
詮索はしないけど、何かの意思が彼女を導いてくれているような気がするから。
(アイちゃん、ウィズは今は地上らしいよ。ということで、ボクたちは地上に戻らずに魔神を探すね)
(わかりました。今日、明日、明後日の3日間だけですよ? ウィズが居なくても魔界は危険です。油断しないでくださいね!)
(うん、ありがとう! 絶対に魔神に会う。魔王も何とかしてもらうから、ハンバーグ作って待っててね!)
(ふふっ。約束しましたからね!)
魔神かぁ。リーンさんみたいに話せる相手ならいいな。
「リンネちゃん、早く行こうよ! で·····まさか、北の大迷宮のときみたいに走らないよね?」
「あ、そっか。そうだ、ドラゴンたちを召喚してみるね。スノー! スカイ!」
『ギュルルゥ!』
『シュルルルゥ!』
左手の指環から、スノーとスカイが待ちわびたように飛び出した。良かった!
「う、精霊さんは全員出てきてくれない……嫌われちゃったのかな……」
どこから拾ってきたのか、棒切れを片手にしゃがみこみ、地面に(T_T)という落書きを始めたアユナちゃん。
「違うよ。多分だけど、精霊界は魔界と繋がってないんだよ。だから召喚できないんだと思う」
「だよね、仲直りしたばかりだもん!」
(T_T)から\(^_^)/に変わる顔文字――小学生は疲れる。気分がころころ変わるから。
顔文字に影がさしたかと思いきや、クルンちゃんがボクたちを覗きこんでくる。
「リンネ様、魔神さんはどうやって探すです?」
「えっ? 占ったんだよね? 暗い場所だっけ?」
「どこかわからないです」
「神様って、1番大きな城とかにいるんじゃないの?」
「そうそう、神殿とかね」
「夜だったかもです·····」
「··········」
「··········」
言われてみたら、そうだ。
神様なんて普通は出会えない存在。お城や神殿に居るとは限らない。どこかのJK神も人里離れた洞窟に居たし。
「う~ん·····」
「う~ん·····です」
ドラゴンと遊び始めたアユナちゃんを放置し、ボクとクルンちゃんはお互いの顔を見ながら暫く考え込む。
こういうときは、無闇に動き回ると時間の無駄になりかねないもん。よく考えないと。
そうだ!
「「占って――」」
実はクルンちゃんの生占いは初めて見る。
地べたに女の子座りをして尻尾を抱き寄せるクルンちゃんに、2人+2匹の視線が集中する。
どんな神秘的な占いなのだろうかと期待が高まる。
3分後、クルンちゃんの身体が左右に揺れ始めた。もしかして、
さらに3分後……身体が揺れに耐えきれずに横倒しになる。背中が軽く上下運動をしていてる以外に変わった様子は見られない。
「寝てるよね」
「これがトランス状態というやつだよ」
そのさらに10分後……突然何かを思い出したように飛び起きたクルンちゃんが呟く。
「ひょふにぇみゃしちゃ」
「えっと……クルンちゃん、占いの結果は?」
座ったまま、口に手を当ててキョトンとした表情で何かを必死に思い出そうとするクルンちゃんに、アユナちゃんがジト目を向けている。
「占ったです。ずっと東……えと、地上だとフィーネがある辺りです」
「寝てたよね? 絶対さっき、“よく寝ました”って言ったよね?」
「さすがエルフは耳が……よしっ、出発しよう!」
[アユナがパーティに加わった]
[クルンがパーティに加わった]
★☆★
スカイが空から偵察を行い、ボクたちはその後ろをスノーに乗って疾走する。
フィーネは遠い。
急行馬車でも丸8日は掛かる距離だけど、スノーが休まずに走り続ければ何とか3日目の朝には着く見込み。
可哀想だけど頑張ってもらうしかない。帰りは転移すればいいし。
道中は地上と同じく、いや、地上の2倍近い数の魔物を見た。この魔界もまた、滅びの道を進んでいるのかもしれない。
迂回する時間も惜しいので、アユナちゃんに安心安全結界を張ってもらい、強行突破を繰り返す。
メルちゃんの青い壁は物理的な、アユナちゃんの結界は精神的な安心感があるね。
『誰か助けて!!』
!?
「悲鳴が聞こえたです!」
「ボクも聞こえた!」
「リンネちゃん、あそこ!」
アユナちゃんが指差す先の茂みから魔物の姿が見える。
「《
◆名前:ソウルイーター
種族:下級魔族
称号:魔人ハンター
魔法:
魔力:72
体力:33
知力:29
魅力:25
重力:40
「助けに行くよ!」
「「はい!」」
近づくにつれ、状況が明確になる。
蒼白い焔を纏った死神が女の子を襲っている。近くには壊された馬車、多数の死体――。
先行して魔物を牽制してくれているスカイがサッと距離を置いた一瞬、ボクは魔法を放った!
「
地を這う光速の矢が50m離れた
金切り声が聞こえたと同時に、ボクの前に瞬間移動してきた蒼白いフード――消えたはずの右腕が見える。
「
続けざまに連発する!
雷矢が貫通した直後、ヌルッとした光が破けた衣ごと身体を再生していく。
「こいつ、実体がない!」
「
クルンちゃんが放った狐火が
バチンッという過負荷爆発で発生した黒い煙が、岩石砂漠を縫うように広がって道を染める。
魔物の気配は――ない。
劣勢を悟って逃げてくれた様子。良かった。
煙が晴れた路上で、アユナちゃんが誰かを介抱していた。
「リンネちゃん、この子、怪我もしてないし、気を失ってるだけみたい。でも……魔人だよ」
「魔人さんです!?」
クルンちゃんが驚いて跳び上がる。
でも、ボクは何となくわかってた。
ここ、魔界だもん。魔界の住人が魔人と呼ばれるのは意外と普通だし。
でも、魔族って魔人の下僕だと思ってたよ。魔族が魔人を殺すなんて……。
「さすがに、放っては置けないか」
車軸が折れて使えそうにない馬車の中と外、視線を巡らさなくてもたくさんの死体が見える。
魔界では魔人が死んでも魔素に変換されないのか。なんだ、地上の人間と同じだね。
無惨に切り裂かれた死体に手持ちの布を掛けて、ゆっくりと地に横たえる。
魔界流の弔い方なんて想像もできないけど、近くに穴を掘り始める。肉体は大地に、魂は天に還るというからね。
「リンネちゃん!」
「ん?」
あ、あの魔人の意識が戻ったみたい。
戦いたくないな、もう戦うのは嫌だ。
『俺は助かったのか……うっ……生き残ったのは俺だけなのか……天使、人間、獣人……殺してくれ! 俺を、俺を今すぐ殺してくれ!』
並べられた死体を見るなり、魔人の男性が暴れ始めた。そっか、大切な人を失ったんだね。
ボクだって、お父さんお母さんが死んじゃったときは同じことを考えたかもしれない。
でも――。
「殺してなんて言うな! 生きたいと願って、それでも死んでいった人だってたくさんいるんだよ。その人たちの分まで生きて、生き抜いて、幸せになってよ!」
手が痛い。
初めて、あっちでもこっちでも初めて、人をグーで殴った。
こんなにも、手が、胸が痛いんだ。知らなかった。
殴られた本人だけじゃなく、アユナちゃんやクルンちゃんも驚いて目を円くしている。
号泣するボクに3人が戸惑う姿を見て、ちょっとだけ理性が戻ってきた。
「人生なんて辛いことばかり。その中で、戦って、戦って、たった1割ほどの幸せを掴み取る。それが生きるってことでしょ。だから、生きることを諦めちゃだめなんだ!」
『お……俺には……もう、何も無いんだ』
ギベリンさんと同じこと言ってる。
いつだって、お父さんお母さんのことを忘れたことなんてないけど、この世界に来て、大好きな仲間たちと出逢えたから、声を上げて笑える今のボクがいるんだ。
みんなも、もっと幸せを求めてよ!
「生き残った意味があるじゃない! あなたが他の人を幸せにすればいいの! そしたらあなたも、きっと、必ず、幸せになるんだから!」
『俺にはそんな力、資格は――』
「あるよ! 誰にだってあるよ! 聴かせてください、あなたのことを。ボクたちはきっとあなたの力になれるから」
もう、涙が止まらなくて何を言ってるのか自分でもわからない。
ボクは、たくさんの死を見てきたから。死にたくないと苦しむ姿を見てきたから。生きたいともがく姿を見てきたから。
だから、悔しい気持ちと怒りと悲しみが、全部一気に涌き起こった。
言葉なんかではなく、滅茶苦茶に号泣するボクの涙が、種族の壁を越えて彼の心を揺さぶった。
魔人の彼は、ギュッと閉ざした口を震わせ、ぽつりぽつりと話し始めた。
『俺は……フラムという。サンという村の出身だ。コレは……うっ……彼女は、俺の嫁だ』
魂を抜かれて干からびた紐のような物を指さし、慟哭を必死に抑えつける魔人フラム。
『昨日……結婚したんだ……幼馴染みでね、俺の片想いだったんだが……やっと……やっと、夢が叶ったんだ……。そう、思ったのに……幸せな家庭を……ううっ……作ろうって……町でたくさん家具を買って……でも……彼女はもう……』
そうだったんだ――。
そっと振り返ると、馬車に積まれたたくさんの家具が目に入った。
家具を選ぶ幸せそうなカップルの笑顔が脳裏に浮かぶ。
死は、誰にでも無情に訪れる。
悲しいね、悲しいよ!
でもごめん、ボクはフラムさんの悲しみの、全ての深さまでは理解できていないのかもしれない。知ったようなことを言ってごめん。
何も言えなくなったボクにできることは、彼を……フラムさんを強く抱き締めることだけだった――。
歳はボクとそう離れていないように感じる。魔界の結婚制度なんて知らないけど、まだ高校生くらいだと思う。
辛いよね、大好きな彼女を失うことは。幸せの絶頂から突然訪れた絶望。辛いに決まってる!
ボクは無性にこの人を守りたくなった。
「フラムさん、ご家族は?」
『父と嫁だけ·····だった』
再び死体を見て嗚咽を漏らす彼。
「家まで送りましょうか」
『帰っても1人。きっと辛くなるだけだ。そうだ、人間――』
「ボクはリンネ。それと、アユナちゃんとクルンちゃん」
『助けてくれた恩人の名も尋ねずに済まない。俺も……君と、リンネたちと共に行っては駄目だろうか?』
思わぬ展開に、ボクたちは顔を見合わせる。
よく見ると皆、泣きすぎて酷い顔をしている。でも、頷いてくれた。打算も嫉妬もない、そこには純粋な優しさが溢れていた。
アユナちゃんが死者を弔った。
魔人とはいえ、魂が天に還るのが見えた気がする。
家具はボクの
辛い想い出も、いつかは変わると信じたい。だって、たとえ魂が離れ離れになったとしても、家族は必ず見守ってくれているはずだから。
★☆★
『魔神なんて本当にいるのか?』
「魔界の住人すら知らないとは思わなかった。でも、必ずいる。秩序神リーンがいたんだから」
『それにしても……人間と天使と獣人、そして魔人か。不思議な巡り合わせだな』
そう言うと、フラムさんは初めて笑った。
口を開けて笑ったわけではないけど、花のような綺麗な笑顔だった。
「地上だと、魔族は魔人の下僕なんだけど?」
『馬鹿な! 地上の人間は、凶暴な動物を下僕にするのか? 魔族なんて、魔物の中でも魔に染まった邪悪な存在だ。一緒にしないでもらいたい!』
何となく理解できたような気がする。
魔人を人間に例えるなら、魔族はライオンとかだ(さすがに喋れるライオンはいないけど)。魔物は総称、つまり人間や亜人全てを指すようだ。
「そう、ごめんなさい。じゃあ、地上だと魔人が死ぬと魔素に変わったんだけど?」
言い終わった後に後悔した。
嫌な話題を振ってしまった。案の定、アユナちゃんが肘でツンツンしてきたよ。
『それもだ。地上にも魔人がいると聞いたことはあるが、俺たちとは全く違う。あいつらは魔族と同じで魔素が創る邪悪な存在だと言われている。俺たち魔界の魔人は……両親が愛し合って産まれてきた存在だ』
ちょっと顔が赤くなったのは羞恥心?
その後にまた、悲しそうな表情に変わってしまった。
『それにしても……リンネは強者だな』
会話しながら魔法で魔物を追い払うボクを見て、フラムさんが呟く。
「リンネ様は勇者なんです!」
「そう、リンネちゃんは1000年に1人現れるという伝説の勇者なんだからねっ!』
「そんな大袈裟なもんじゃないよ!」
『え? 物語とかで、魔王を滅すると言われる勇者?』
「ちょっと待って! スライムならまだしも、魔王になんて勝てそうにないよ! だから、魔王の産みの親らしい魔神に交渉しに行くんだから!」
『それで魔界に来たのか。それでも、俺は凄い人に助けられたんだな』
「全然凄くはないんだけど、そうあろうと覚悟は決めてる。魔族は·····アレだけど、魔人と人間が共存できる世界を作りたいんだ!」
『壮大な目標だな。俺にも、人生を賭けて手伝わせてくれないか?』
嬉しかった!
魔界に来て、夢を共有できる人に出会えるとは思っていなかった。
自然と涙が流れた。嬉し涙って、最高だよね!
その後、スノーの背中でボクたちはたくさん語り合った。
日が沈み、翌日になっても語り続けた。
やがて、スカイが興奮した様子で飛んできた。
遥か先を眺めると、地平線の彼方に広大な城が見えてきた。
「あれは……?」
『あぁ、大陸最大の都市キュリオ・キュールだ。俺も初めて来た。折角だから寄ってみないか』
「えっ?」
この時はまだ、魔界で渦巻く陰謀に誰もが気づいていなかった――。
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