第84話 魔界へ

 地境の狭間に作られた空間で、浅い木桶の中に身を隠すリーン。

 邪視を遮るパーテーションも無ければ、宝体を隠すタオルも無く、上から下まで丸見え状態……。

 

『か、神様の御神体だからね……いろいろ見られちゃまずい部位があるから! 着替えるまで向こう向いててよ!』


 顔を赤らめ懇願する神――というか、中身はただのJK。そこには残虐性の欠片も見当たらない。

 ボクは、心の中でリーンに対する怒りや疑念が急速に冷めていくのを感じた。


「わかりました」


「なんでそんな所に髪の毛が!」

「神様の身体は特別です?」


「そういうのはいいから!」


 リーンの裸に興味津々のaバージョン2人を引っ張り、後ろを向かせる。


 ふと、視線の先に、この空間を照らす光源が目に入った。


 キャンプファイアのように燃え盛るほのおと、その揺らめく焔の中で輝きを放ち続けている半径2mほどの球体――思わずその美しさに見惚みとれてしまう。



『それが、魔王の身体だよ』


 フリルが足されたヴァルキリー風の服に身を包んだリーンが、ボクたちに近づきながらつぶやいた。


「ま、魔王!? なら、今ここで消し――」


『やめて!』


 杖を振り上げ焔に向けようとするボクの前に、リーンが両手を広げて割り込む。


『君とは戦いたくない』


 リーンの、あまりにも悲痛な表情がボクの戦意を刈り取る。たくさんの悲劇を目の当たりにしてきたことを伺わせる顔——。


 ボクと似ている。

 リーンは多くの別れを乗り越えここにいるんだ。悲しみが、魂をなぞるように伝わる。胸が、心が軋む。


『こんなんでも魔王は生きてるの。憎悪の感情を持つ者を惹き付け、吸収して糧とする——私はね、たくさんの命が失われる瞬間を見てきたよ。だからこんな僻地にコイツを隔離して暮らしているんだよ。それに、君は星を集めすぎてる。もう崖っぷちだって言ったでしょ。君は身体ごと乗っとられるよ!』


 アイちゃんの推測はあながち間違ってはいないかも。それなら——。


「それなら、魔王を倒すにはどうすれば良いの? またボクの中にいる両親の魂を奪い取るとか言うわけ?」


『君にとってかけがえのないものならば、2度は言わない。私にだって親の存在が支えだったときもあるし。他に魔王を滅ぼせるとしたら——そうね、それは唯一、産みの親である魔神だけだと思う』


「魔神……」


 魔王すら倒せないのに、神である魔神を倒すなんて絶対に無理でしょ!


『何か勘違いしてる? 正確なことはわからないけど、魔神は話せる相手だと思うよ。君が魔物と人との共存を目指すのなら、魔神も力を貸してくれるかもしれない』


「魔神が、自分の子供魔王を倒すのを手伝ってくれるってこと?」


『考えが浅い。少なくとも、天神も魔神も人と敵対する存在ではないはずだし、魔神が魔王を生み出した意図がわかれば、戦わずに済む可能性だってある』


 なるほど——。

 今日はボクの召喚から48日目だから、魔王復活まで残り52日しかない。

 その短期間で、魔王の復活を阻止しつつ、戦わずに済む手段を探さないとだね。後者は遥かにハードルが高いと思うけど。


「なら、ボクたちがすべきことは、魔王を復活させないか、魔神と交渉して魔王を何とかしてもらうか、ですか?」


『うん。私もその認識で間違いないと思っている。魔界にも天界にも行けない私は、ここで魔王の身体を見張ることしかできない。魔王が魔人と接触し、糧を得ようものなら——魂が集まるのを待たずしての復活も有り得なくはない』


 魔人と魔王の接触——。

 そうか、リーンがここを動けない理由はそれか。完全なかたちではないにしろ、魔王を今復活させたら大変なことになるもんね。


「畏れながら、クルンが申し上げます。魔神様はリンネ様を待っています」


「クルンちゃん、それホント? リーンさんだって、ボクたちを待っていなかったみたいだし(お風呂してたもん)」


『それは、白い狐っ娘の《占い》とやらか? 何処にいるとも知れぬ魔神に、どうやって会いに行くと?』


「闇の中にも一番暗い世界があります。そこに行けばわかるです」


 今までの経験上、ツッコミどころはあるけどクルンちゃんの占いは絶対当たるんだ。


「クルンちゃん。ボクたちは、魔神を探しに魔界へ行くべきってこと?」


「はいです。魔界に——」


「ちょっと待って! 私たちは召喚石の話をしに来たんでしょ! エルフの敵はどこにいるの?」


 そうだった!

 エルフの集落を蹂躙し、最後の召喚石を奪い取った奴を探しに来たんだ。それが、リーンなのか、違うのか——。


『山吹色の天使ちゃん、犯人のウィズは魔界にいるよ』


「「ウィズ!?」」


『あぁそうさ。君が軽率だったせいでね』


「どうやって結界を破って召喚石を? ボクにしか無理なはずなのに!」


『念のために言っておくが、私も結界を抜けて召喚石に触れることはできる。でも、アイツは恐るべき方法で不可能を可能にした』


「恐るべき方法? まさか、生け贄とか?」


『違うんだ。アイツは……』


「ウィズは?」


『アレは……』


「「?」」



『お前のシャツを着て、縞パンを被った』


「「最低!」」


『さすがは異世界。異次元の変態だね』


 ボクの顔は羞恥心で一気に発熱する。

 今すぐ魔界に乗り込んで消し去りたい!


 顔を真っ赤にして怒っているアユナちゃんと、両手で顔を覆って泣き始めたクルンちゃんに挟まれていると、逆に少し冷静さが戻ってきた。


 その程度で突破できちゃうこの世界のセキュリティってどうなのよ——。


 あ、そうだ!


「ウィズには召喚は可能なんですか?」


『その件は私も考えていたよ。結論だけ言うと、次元を司る存在が力を貸せば、可能だと思う』


 次元って、あの神様っぽい光?

 もしかして、ウィズも異世界から来たってこと?


『あれは全ての理を統べる存在。人が望んで会えるものではないと思う。もちろん私にもね』


 読まれた!

 リーンとアイちゃんには嘘は通じそうにないなぁ。まぁ、口を開く手間がはぶけて楽だけどね。


 う~ん、ウィズがボクたちの仲間集めの邪魔をするくらいならまだマシなんだよ。

 最悪のケースは、クルンちゃんやクルス君の召喚みたいに、中途半端に成功しちゃうこと——。


『召喚された者の魂は、召喚者に従うと考えるのが自然だね。つまり、最後の勇者は魔人ウィズの下僕に堕ちる』


「それだけは絶対に阻止しなきゃ!」


「うん! あ、リーン姉さん——」


『姉さん?!』


 天使の羽繋がりで、アユナちゃんはリーンさんに親近感が湧いているのかも?


 ボクの心を読んだリーンが、そういうことかと1人納得した様子で頷く。


「もしだけど、仲間じゃなくても、8人全員が召喚されたら何か起きますか?」


『妹よ、それは私にもわかりかねる。試す価値はあるけど、敢えて私が召喚石を探さなかった理由はわかるかな?』


 ボクたちは、お互いに顔を見合わせて首を振る。


 確かに、召喚石がリーンに力を与えるアイテムだとしたら、それを集めることで魔王や魔人を滅ぼせるかもしれない。

 でも、なぜそれをしなかったんだろう。


『難しく考える必要はない。前に言ったと思うけど、やっぱり私は私、リーンはリーンなんだよ。召喚石を集めた結果、本物のリーンが復活して私自身が消えるのが怖かった。ただそれだけの話。異世界チートを楽しむつもりだったけど、旅先で出会うのは悲惨な現実ばかり——無理な現実逃避に限界を感じていたんだよね。そんな時、この世界を救おうと必死に召喚石を探している女の子たちの噂を聞いてね。急いで君たちに会いに行ったのよ』


「リーンさん……」


 8つ全ての召喚が行われたとき、秩序神リーンの記憶が甦り、今の彼女が消滅する可能性——確かに、有り得なくはない。

 ボクならどうする?

 積極的に手を貸すどころか、邪魔したくなっちゃうかも。


『ふふふ。運命に身を委ねるなんて神様の私が言うのも変だけどさ。あぁ! 恋の1つでもしてみたかったよ! 異世界イケメンとかいないの?』


「イケメンはいます!」


「スタップアユナちゃん!?」


「アルンの王太子様とか、竜の牙のハルトさんとか!」


 ハルトさんはともかく、中身が腐ってるレオンはやめといた方がいい!


『はははっ! 性格は環境で作られるんだから、本人を責めるのはお門違い。平和になったら会いに行ってみるかな』


「そんなことより、ウィズはどうして魔界にいるんですか?」


『あぁ、そうだった。仲間集めなのか帰省なのか、目的まではわからないけど、まだ召喚石は使われていないわね』


「まだ召喚していない?」


『うん。それは確実。召喚石は私の魂の一部だからね。使われたらピピピッてくるんだ』


「それなら、ピピピとくる前に取り戻すです!」


『今はアレとの安易な接触を避けるべきとは思うが、本音を言えば私も小狐ちゃんに賛成かな。それも、なるべく早く』


 たとえ戦うことになっても、絶対に召喚を阻止しなきゃ!

 勝手に召喚した挙句、命懸けの役目を押し付けてきたボクなんかが言う資格はないかもしれないけど、ちゃんと責任をとる覚悟ならあるんだから。


「ボクは魔界に行きます。ウィズから召喚石を取り返します。魔人に会って魔王復活を止めてもらいます!」


『責任をとる覚悟というのは、命を棄てる覚悟とは真逆だよ。仲間を守り、自分も生き残ること。いいね?』


「……はい」


「リンネちゃん大丈夫?」


 潤んだ黄金色の瞳と目が合う。


「うん。大丈夫」


『地境には魔界へと通じる魔域がある。私に付いてきて』


 リーンはそう言うと、地境の奥へと歩きだした。


 いつの間にか、白と黒の仮面の生物がボクたちの背後に立っていた。


「行ってきます」


 その仮面が少し微笑んだように見えて、思わず挨拶をしてしまった。


「リンネちゃん早く! 神様が行っちゃうよ!」


「わかった!」


 

 険しい下り道を小1時間ほど歩いただろうか。東京タワー2つ分くらい潜った感覚がある。

 そして今、ボクたちは地境の最奥とも言うべき場所まで到達している。


『ここ』


 リーンの白い指が向かう先には、黒曜石のように濃紺渦巻く空間の歪みがあった。


 あまりの不気味さに背筋が凍る。


 1度、ミルフェちゃんを救うために魔界に行った経験は——全く役に立たなかった。

 あの時は無我夢中だったから。

 いざ、こうして魔界の中を覗くと、純粋な恐怖しか湧いてこない。


『怖くなっちゃった?』


 ボクの思考だけでなく、心の中まで見透かすようなリーンの言葉がグサリと刺さる。


 ボクの腕に震えが走る。

 密着しているアユナちゃんとクルンちゃんの恐怖が伝わる。


 勇気を振り絞らなきゃ!


 仁義礼智忠信孝悌——ボクたちは1人じゃない。たとえ1人1人が弱くても、みんなで力を合わせて立ち向かえばいい。


「行きます。なるべく早く戻ります!」


 脚が震える。

 太股をパチンと叱る。


 ボクたちは、手を繋ぎながら闇の世界に足を踏み入れて行った。




 ★☆★




 暗闇を進む。

 ウィルオーウィスプは召喚に応じない。

 魔が深いためか、異空間のためか。


 ボクの目を頼りに、結んだ手の温もりを勇気に変えて、ひたすら闇を進んでいく。


 険しい上りが体力と精神力を奪う。

 既に3時間以上は歩いているはず。


 もう少しだよ、という励ましの言葉を喉元で飲み込む。


 フラグ回避が功を奏したのか、ボクの目は次第に世界の色を取り戻してきた。


 黒みがかった岩が重なる道なき道を、光の濃い方向へ突き進む。


 そして——。


 大岩をようやく乗り越えた先、そこは長く深い洞窟の出口だった。


 地上へと辿り着いたんだ!




「あひゃ?」


 感慨に耽っていると、突然アユナちゃんの口から変な音が漏れた。


「ここ、見覚えがあるです」


「あ……そういえば、魔界は地上世界と同じだったっけ」


 2度目に経験する未知の世界——魔界。

 ここで、どんな人がどんな国を作っているのかはわからないけど、きっとボクが想像している魔界とは違うはず。


 だって、遥か彼方には、東の空から昇る陽光に照らされた南の霊峰が見えるもの。


 ボクたち3人の向かう先には、ボクが吹き飛ばしたはずの尖端を有したヴァルムホルンが堂々と聳えていた。

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