第76話 白の召喚者

『白神様! 大切なお話が御座います。つきましては、2人きりでお話する機会を御与えください』


 拝光教の最高司祭を名乗るその男シラヌイは、クルンちゃんを教皇の地位に迎えたいらしい。

 クルンちゃんとボクを離れさせ、さらに説得を重ねようと畳み掛けてきた。


 クルンちゃんはその申し出をかたくなに拒み続け、挙げ句の果てには涙を流しながらボクと2人きりにさせてほしいと訴えた。

 その結果、ボクたちは宮殿の客室と思われる一室に案内された。



「クルンちゃん、落ち着いた?」


「はいです。でも、こんな豪華な部屋は初めてです。クルンはそわそわしてるです」


 確かに、ボクも正直緊張している。

 王宮やギルドのマスタールームのきらびやかな豪華さとは趣を異にする美しさが、ここにはある。

 一言でここを表現するなら“彩度ゼロ”。

 ただし、単色ではない。カーテンやベッド、テーブルだけではなく、床や天井も含めて全てが白だけど、蛍光灯のように透き通るような白もあれば、銀色や金色を帯びた真珠の持つ荘厳な白もある。大理石の重厚さやミルクのような柔らかさまでが表現されている。

 ここは無彩色の白、つまり色とりどりの白に飾られた部屋だった。


 その白さの中でも一際輝きを放つのはクルンちゃんの髪。その白く美しい髪を垂らし、クルンちゃんは思い詰めたように俯いたまま考え込んでいる。

 やがて、何かを決意した様子で語り始めた。



「クルンはリンネ様に内緒にしてましたです」


 ボクはクルンちゃんの目をじっと見つめながら、優しく頷く。


「クルンたちは、違う世界から来たです」


 やっぱりそうなんだね。《鑑定魔法ステータス》で見たとおり。でも、誰がどうやって召喚したんだろう。


「うん、そんな感じがしてたよ。ボクも、メルちゃんも、レンちゃんも、アイちゃんも同じ。アユナちゃんだけ違うけど、みんな大切な仲間だよ」


「前の世界での記憶が無いです。名前だって思い出せなくて……自分で付けたです」


「大丈夫! みんなそうだったから、安心して!」


「そうなんです? でも、1つだけ覚えてるです。絶対に忘れられないです。クルンがどうやって召喚されたのかです。とてもとても辛い記憶です」


「召喚時の記憶?」


 ボクがあの天秤の光の力でここに来たみたいな?

 最近になって、あの時に見たシャボン玉はもしかしたら人の魂かもしれないと考えたことがある。もっと言えば、召喚石はそれの結晶――それは今はおいておこう。


「――はいです。辛いけどリンネ様には伝えるです。クルンは多くの生け贄の代わりに召喚されたです。その中の女の子の記憶がクルンにあるです」


 そう言うと、クルンちゃんは記憶を辿り、泣きながら全てを語ってくれた。




 ★☆★




 彼女の目には、地面に書かれた巨大な魔法陣と、たくさんの子どもたちが映っている。

 魔法陣の中に座る子どもたちは、みな髪を白く染め、白衣を着ている。ざっと、その数は自分を含めて100人――。


 魔法陣を囲むように立つ神官が呪文の詠唱を始めると、子どもたちも口々に『世界の平和のために!』と笑顔で叫び始めた。


 彼女も強張る喉を酷使して同じように叫ぶ。


 でも、心の中では世界の平和なんて望んでいなかった。家族と過ごす幸せな時間さえあれば――そんな想いが言葉に出てしまう。


「助けて! お父さん! お母さん! 助けて!!」


 とめどなく流れる涙を堪えきれず、嗚咽を抑えきれず、彼女は泣き叫んだ。


 やがて、魔法陣は白い光を放ち始める。

 1人、また1人と子どもたちの命が弾けるように消えていく――。


 彼女の番がきた。


 儀式を否定するかのような彼女の叫びを聴きつけ、神官たちが急ぎ近づいてくる。

 痛みと共に、胸から突き出た槍先を目にする。そしてその瞬間、彼女の視界が真っ白に点滅する。


 視線の先には、輝くような白い髪をした2人の子どもが抱き合って座っていた。

 彼女は必死に手を伸ばし、心の中で叫び声を上げた。助けて!!と――。


 しかし、その手を掴む者は居なかった。

 やがて、彼女の意識は途切れた――。



 気づいたら、クルンちゃんとクルス君は森の中に居た。故郷の森ではなく、植生から地理から何もかもが見慣れない森だった。

 双子の狐人は、不安を抱えながらもお互いを励まし合いながら生きた。


 数日後、幸運にも人間に助けられて建物に連れて来られた。

 安全で、しかも食べ物は1日に2回も貰えた。しかし、部屋は狭く窓も無い。鉄の棒で入口は封鎖され、遊び盛りの彼女たちにとっては決して良い環境ではなかった。

 ただ、あの辛い記憶に比べれば、この程度は小さな小さな不幸せだった。


 10日が過ぎたとき、銀色の髪の綺麗な女の子がやって来た。


『今までよく頑張ったね、君たちには今日から幸せになってもらうから! ボクと一緒に行こう!』


 素敵な笑顔で優しく声を掛けてもらった。温かく抱き締めてくれた。その子はなぜか泣いていた。私たちですら泣いていないのに。


 優しく温かい手に引かれて小さな部屋を出た。たくさん美味しいものを食べさせてくれた。

 一緒に他の町に行くかと訊かれたとき、連れて行ってくださいと泣きながらお願いした。この人と一緒に居たいと心から願った。彼女は私の英雄、眩しすぎる光。ずっとずっと一緒に居たいと願った。




 ★☆★




 それがクルンちゃんたちとボクとの出会いだったそうだ。

 召喚対象が2人になってしまったための誤作動なのか、それとも、流された赤い血が白い世界に起こした些細な悪戯か――最南端の国で召喚されたはずが、最北端の島ノースリンクにまで飛ばされてしまったようだ。


 それにしても、世界を救うためとはいえ、よくも生け贄召喚なんて残酷な方法をするよね! 100人もの子どもたちを犠牲にするのは決して許されることではない!


 ボクは泣きじゃくるクルンちゃんを強く抱き締めながら、ぶつけどころのない怒りに身を震わせた。



「聞いてくれてありがとうです。クルンは、あの子の最後の願いを叶えてあげたいです」


 生け贄として死んでしまった子を助けることはできない。だから、クルンちゃんがしようとしていることは最初から不可能だとボクは知っている。

 でも、クルンちゃんが諦めないのなら、ボクも絶対に諦めたくない!


 死んでしまった子どもたちのご両親を捜して守ってあげることも、彼女の願いを叶えることにはなるかもしれないけど、ご両親の悲しみを拭い去ることはできないだろう。

 それどころか、子どもたちの死の元凶であるクルンちゃんに対して怒りを覚えるかもしれない。

 でも、何か、何か方法があるはず――。


 そのとき、白い部屋の中で、眩しいほどに白く輝く光を見た。


「この光、召喚石かも」


「光が溢れているです」


 ボクの声にクルンちゃんも反応する。


 見渡すと、光源はすぐに見つかった。

 部屋に置かれた白亜の女神像が高々と掲げる杖の先に、それはあった。


 溢れ出る光の中を、その上流に向かってボクは歩き出す。


 杖の先にある白く輝く召喚石にそっと触れてみる。召喚石はボクの手の中に吸い込まれるように杖から飛び出した。


 これはきっとクルンちゃんの召喚石だ。そうだ、形だけでもいい、今からクルンちゃんの召喚儀式をやり直してあげよう。

 生け贄召喚なんて辛すぎるもんね。クルンちゃんの心が少しでも軽くなるようにたくさんお願いするよ。


 白の召喚石を胸に抱く。

 溢れ出る光はふわっとボクを優しく包み込む。まるでボクの指示を待つかのように。


 ボクは光に応える。

 召喚石を持つ両の手を、クルンちゃんに向けて突き出す。びっくりしているクルンちゃんのつぶらな瞳をじっと見据えて、朗々と頭に浮かぶ言葉を紡いでいった。



「その者は優しき星、その者は世界の光。その者が愛しき者を護りたいと欲するとき、きっと、誰よりも強く美しく輝く! リンネの名に於いて命ずる。白の勇者クルン、いざ、召喚!!」


 召喚石はボクの手を離れてクルンちゃんに向かって飛んでいく。

 クルンちゃんは、両手でしっかりと受け止め、ボクがしたように優しく胸に抱き締める。


 一瞬の煌めき――。


 部屋を、神殿を、聖都を、世界中を照らし出すほどの光。その真っ只中に居て何も見えないはずのボクの目には、優しく微笑み手を振る子どもたちの姿が映っていた。


 やがて、光は収束していき、点滅する白の召喚石を胸に抱くクルンちゃんが現れた。



「リンネ様、今のは――」


「今、ボクがクルンちゃんを召喚しました。クルンちゃんは生け贄の代わりに召喚されたのではありません。今日から貴女は白の勇者クルンです。ボクたちと一緒に行こうね!」


 偶然、クルンちゃんを助け出したときの言葉と重なっちゃったけど、今度のは全然違う。笑顔でかっこよくガッツポーズを決めたからね!


 クルンちゃんが抱き付いてきた。

 嗚咽を洩らし号泣するクルンちゃんを、精一杯の力で抱き締め返す。もふもふしていて、日向ぼっこのいい匂いがする。本当に可愛いキツネさん。


 あの子どもたちの姿を思い出す。

 あの子たちが、せめて報われる方法があるとしたら何だろう。




『今の光は何でしょうか? あのような神々しい光を我らは初めて見ました』


 いつの間にかシラヌイさんが部屋に入って来ていた。


「あの光は、クルンちゃんの光です」


 召喚石をパクったことは伏せておこう。

 代わりに紙を丸めて填めておけばバレないかも。


『さすがは白神様! 素晴らしい御力に御座います。ところで勇者リンネ様、是非に2人きりでお話をしたいのですが」


 クルンちゃんをチラ見すると、クルンちゃんも不安そうにボクを見てくる。

 でも、ボクも拝光教には聴きたいことがある。良い機会だし、話をしてみよう。


「わかりました。2人でお話をしましょう。クルンちゃん、アイちゃんに今後のことを相談してもらえる? お願いね」


「リンネ様、わかりましたです」




 ★☆★




 ボクは司祭のシラヌイさんに連れられて執務室らしき部屋に来ている。大丈夫、床に落とし穴はないし、魔法も問題なく使えそう。

 危なくなったら《時間停止クロノス》をして逃げればいいよね。


 失礼ながらシラヌイさんのことも鑑定させてもらった。知力以外のステータスは、見事に“ザ・凡人”だった。

 でも、怪しい道具を持っているかもしれないから油断しちゃダメだね。



『勇者様。光が無ければこの世界は存在致しません。光はそれ程に尊いので御座います』


「確かに」


 言っていることは現代科学的にも正しい。

 リンゴが赤く見えるのは、太陽光のうち青緑の光が吸収され、それ以外の反射光が目に入るからだし、バナナが黄色く見えるのだって青の光だけを吸収するという同様の原理からだ。

 つまり、光が無ければ物は見えない。ボクたちが見ているこの世界は成り立たない。


『そして、光は白から始まり白で完結する、我らが教義の真髄は此処にあるので御座います。故に、全てを白で満たすとき、闇は消え去るので御座います』


 光の三原色?

 確かに全ての光を合わせると白くなる。美術で習った加法混色というやつだと思う。絵の具なんかの色材は黒になるけどね。

 拝光教が白色に入れ込む理由は分かったよ。


 でも――。


「貴方たちは、どのようにして平和な世界を作ろうとしているのですか? まさか、世界中を白く塗り潰すってわけじゃありませんよね?」


『その、まさかで御座います。聖都を御覧になられたかと存じます。我らが白き都は1度たりとも魔物の侵攻を許してはおりません』


 まさかでしょ?

 確かに都市を結界だか加護だかが包んでいたけど、白くするだけで魔物が入れないなんてことある?

 たまたま魔族のターゲットから外れていただけじゃないの?


「んー、ちょっと信じられませんが――もし魔物の侵入を確実に防げるのなら、魔物を討伐せずに共存を目指せるということですか?」


『其れは違います、勇者様』


「世界を白く塗り潰せば平和になると考えていると?」


『勿論で御座います。全てが光の御加護を受けられるよう白き姿に成りさえすれば――』


「不可能ですよね?」


『……』


「夜中ずっと影ができないくらいの明かりを灯し続けられるの? 外も中も白い食べ物だけを選んで食べて生きる? 森の木や花は? 土や海や川や空は? 人や動物たちは? 自然の色まで変えるなんて無理。矛盾しています」



『――理想が遠い彼方に在る事は、我らも重々承知致しております。ですから、力在る者に委ねる必要が御座いました』


「それで、あのような残酷な召喚術を?」


『残酷と仰られますが、贄に選ばれた者共は真に平和を望み、喜んでその身を捧げました。然るに、残酷などでは御座いません』


「絶対に違います。本心は、平和のために身を捧げるのではなく、平和の中に生きたかったはずです。大切な家族や恋人や友達と一緒に。貴方も、愛する家族が生け贄に選ばれたら、喜んで差し出せるんですか? ボクには理解できません」


『――我らは贄を強要してはおりません。世界が滅亡の危機に瀕する中、自ら率先して神の御心に寄り添うべきだと判断したのでは御座いませんか?』


「亡くなった子たちの両親は、愛する子がいない世界で生き続けて幸せですか? ボクはそうは思わない。犠牲なんていらない。全部まるっと救って、みんなで生きなきゃ幸せじゃないよ!」


『其れは、力有る者の論理で御座います。我ら弱きは、身を寄せ合い、必要な犠牲を甘受し、悲しみを隠し、心を狭めながら生きるしか無いので御座います』



 そのとき、執務室の扉が開き、数人の神官たちに伴われてクルンちゃんが入ってきた。


「リンネ様、クルンは教皇になるです。アイ様も賛成してくれましたです」


「えっ!? それがどういうことだか、わかってて言ってるの?」


「はいです。クルンは、何度も何度も占いましたです。決めましたです」


 ボクたちは一緒に居られなくなるんだよ!とは口が裂けても言うことができなかった。

 きっとアイちゃんにも考えがあってのことだし、1番辛いのはクルンちゃん自身だろうから――。


『白神様、いえ、クルン様! 素晴らしい御決断で御座います。本日より、南の新興国は、クルン光国こうこくと改めましょうぞ! 我らが悲願、教皇を頂く平和国家の樹立に御座います!!』


 ボクには、号泣し始めたシラヌイさんたちを見ていることしかできなかった。


 平和のかたちがいくつもあるように、そこに至る道もたくさんあるはず。

 容易に納得できないけど、今のボクには過去を非難するより、未来を切り開くことの方が大切かもしれないね。




 ★☆★




 その日のうちに、教皇の戴冠式が厳かに執り行われるらしい。


 クルンちゃんの白い法衣姿は神秘的だった。

 本当は喜ぶべきところなのだろうが、ボクの心の中には寂しさしか見当たらない。そう、とてつもなく寂しいんだ。ずっと一緒に戦う仲間だと思っていたのに――。



「リンネ様、似合いますです?」


「うん……」


 何でクルンちゃんはこんなにテンションが高いんだろう。寂しいのはボクだけなんだね。

 リハーサルがあるからと追い出されちゃったよ。もう、泣きたい。



 神殿の3階部分に、外に突き出したバルコニーみたいな所がある。

 クルンちゃんと、シラヌイさん始め数人の高位司祭がそこに立っている。多分、クルンちゃんは土台の上に乗っているはず。シラヌイさんと同じ身長のわけが無い。


 ボクは一般市民に混じり、神殿前の広場からバルコニーを見上げている。

 ボクの、銀髪に白を基調とした賢者のローブは、この国にあっても違和感を感じさせない。大丈夫、浮いていないはず。



 夕陽を受けて神々しく輝く神殿。

 いよいよ戴冠式が始まる。



『我らは、偉大なる光の聖女クルン様を教皇に迎えるに至った! 我らが悲願はきっと成就されるだろう! 我らは、クルン光国の建国を、本日此処に宣言する!』


「えっと、教皇のクルンです。狐さんです。苦いのと熱いのは嫌いです。好きなのはリンネ様です。みなさん、よろしくです。さっそくですが、明日から大陸統一に向けて戦うです」

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