第7話 勇者と魔人

 歩いては振り返り、また少し進んでは振り返る。残してきたものがあまりにも大きすぎて、気持ちが前に向かない証拠。


 最初は励ましの言葉をくれたリザさんも、今では何も言わなくなっていた。

 優しい言葉はかえってボクの涙を増幅させてしまうと思ったのか、それともただ急ぎたいだけなのか。


 今朝、食卓にアユナちゃんの姿がなかった。彼女の小さな部屋の中から、すすり泣く声だけが絶えず聞こえていた。


「泣かないで、またきっと会えるから」


 扉越しに慰めの言葉を掛けた。


「我慢してたのに。泣いちゃったら、もっと悲しくなるって、わかってたのに。でも、涙が勝手に、出てきちゃうの」


 一睡もせず、ずっと泣き続けていたのをボクは知っている。彼女の、人に見せられないくらいに泣き腫らした顔が目に浮かぶ。


「ボクは泣かないよ。また会えるって信じてるから」


 ううん、本当は吠えるように泣きたいよ!

 でも、今は弱さを見せられない。だって、一緒に泣いてしまったら、誰が君を悲しみから立ち上がらせるのさ。


「ほんと? 絶対、また会える?」


「うん、約束する」


「絶対の絶対、約束だからね!」



 結局、彼女の顔を見ることなく、今こうしてボクたちは遠ざかっている――。


 村にいるとき、ボクの使命は村を守ることだとずっと信じていた。でも、今は村に戻ることは考えていない。だから、心にもないことを約束してしまったことに、それが最後の別れの言葉になってしまったことに、ボクはずっと後悔の念を抱き続けていた。


 でもね、ずっと考えていたんだ。

この世界でボクが何を知り、どう生きていけばよいのか、その答えがにあるんじゃないかって。


 世界を守ったという勇者は何者だろう。

 考えられるのは、2つ――。


 勇者がボクを操っていた邪神自身である場合と、そうじゃない場合。

 ボクは後者だと思ってる。アレは自らの手を汚さず、惨劇を楽しむような奴だから。

 どちらにせよ、ボクは勇者を捜し出さなきゃいけない。前者なら勇者と戦うために、後者なら勇者を手伝うためにね。



「ねぇ、リンネちゃん。あれって昨日の――」


 無言を貫いていたリザさんの突然の声で、ボクの意識は前方に集中する。

 リザさんが指差す先、そこには角の生えた黒ウサギがいた。


「仕返しに来たのかな」


 10m先、小径の中央にドンっと居座る黒いラグビーボール。赤く光る眼が、ボクたちを真っ直ぐに見据えている。


「珍しいわね」


「はい?」


「ブラックラビットは、獲物の足にがむしゃらに飛び掛かる習性があるの」


 確かにそうだった。でも、今はじっと動かずにこっちを見続けているだけ。


「戦意がないってことかな――」


「あっ、逃げちゃった」

「ほんとだ」


 彼我の距離が5mに迫るかというとき、ウサギは突然脇の茂みへと跳び込んだ。


「リザさん、見て。何か落ちてる」

「あれは――」


 黒ウサギがいた場所には、巨峰ブドウのような果実を実らせた小枝が残されていた。


「そういうこと、なのね。リンネちゃん、この実は貴女の物よ」


「どういうこと、です?」


 小枝を拾い、もぎ取った紫色の果実を布で丁寧に拭いてからボクに渡してくるリザさん。


「これは、あのウサギさんからの贈り物」

「猛毒か何かじゃ――」

「大丈夫だから、早く食べちゃって!」

「やっ、やだっ! まだ、死にたくない!」

「無理にでも食べさせるわ! よし!」


 ボクの手をがしっと掴んだリザさんが、とうとう巨峰をボクの口に突っ込む。


「ん!? うわっ! 何これ、熱い!!」


 お腹の中が燃えるように熱い。今まで感じたことのない力がみなぎってくる。


「ね、大丈夫だったでしょ。それが魔力。その実はね、魔力の実という――」


 リザさんによると、これは魔素の濃い場所に稀に実ると言われる魔力の実。特定の植物系魔物が大地や大気から吸い寄せた余剰魔力を集めたものだとか、魔物に殺された別の魂が封じられたものだとか、またはそれ自体が魔物の卵だなど、諸説様々あげられているらしい。

 売れば銀貨数枚は下らないそうだけど、本当に貰っちゃって良かったのかな。


「あ、魔力が上がった? これで魔法が使えるかも!」


「ほんの少量だけどね。試しに《時間停止クロノス》を使ってみて」


「はい、やってみます!」


 頭の中に描くのは、あの青髪の女神クロノスのカードだ。


 まずは、魔力を練り上げる。

 お腹の中に在るこの不思議な感覚、それを一点に集中させて、おへその辺りを中心にグルグルっと回して温めていく。


 次は魔法のイメージを固める。

 少しずつ落下していく砂時計の砂が、だんだんと遅くなり、やがてピタリと止まるようなイメージ。


 止まれ、止まれ、時間よ止まれ! 止まれ、止まれ、時間よ止まれ! 止まれ、止まれ、時間よ止まれ! 止まれ、止まれ、時間よ止まれ!!


 頭の中が停止した砂時計で一杯になるくらい強く念じたとき、時の大精霊クロノスの口が静かに開いた。


『時間を止めます。最大効果は、1秒/1日』


「えっ?」


「リンネちゃん?」


「女神様――大精霊クロノスさん?が、喋った!」


「はぁ!?」


「1日で1秒だけ時間を止める効果だって、クロノスさんが言ってた――」


 信じられないとばかりに口をぽかんと開けていたリザさんだけど、少し経ってからやっと再起動が完了した。


「大精霊様とお話できるなんて羨ましいわ……まぁ、肝心な魔法の効果はまだアレだけどね、これから魔力が増えたり、訓練して中級に上がればもっと変わってくるはずよ」


 なるほど!

 今は1秒だけど、これから1時間くらい止められるようになったりしてね! なんちゃって。


「悪いことには使わないようします!」


「突っ込まれる前に自白するなんて。リンネちゃんの素直さを見習いたいわ」


 ボクたちはウサギさんに感謝しつつ、襲い来るチューリップを跳び越えて小径を急ぎ下って行った。




 ★☆★




 大森林には樹齢100年を超える木々が多い。その中に、時々バオバブの木に似た物も混じっている。

 バオバブ――初めて知ったのは『星の王子さま』というお話の中だった。見つけ次第引っこ抜かなければ、星を破壊してしまうほどの有害な巨木。でも、いざ図鑑で調べてみると、高さ40m、樹齢1000年を超える物もあるという雄大な姿、そこからは有害な感じなんて全く受けなかった。エルフの村にあった聖樹のような、神聖な感じさえしたのに――。


 何故こんな話をしているのかというと、ボクたちが今、現在進行形でのちっこいのに囲まれているから。


「トレントは私たちと同じく森の妖精種。でも、もうこの子たちは魔に侵されている」


 トレント――聞いたことがある。西洋のファンタジーに登場する木のお化けだ。


「戦わずに済む方法は?」


 黒い棒をいつでも袋から抜けるように構えながら、リザさんに問う。

 時間を1秒間停止する《時間停止クロノス》が脳裏に浮かぶが、すぐに打ち消す。この魔法だとリザさんも停止してしまうだろうから。


「眼を見て」


「眼?」


 高さ5mほどの幹の中ほどで輝く2つの赤。ボクたちを取り囲む10を超えるどれもが赤い眼をしている。


「赤、ですね」


「敵意がない場合、魔物の眼は緑色をしているそうよ」


「ってことは――」


「万事休すってこと」


 一撃を覚悟しながら突破口を探っていると、トレントの眼が次々に色を変えていく。


「何か、何かがこっちに近づいてる!」


 リザさんが今までにないくらい緊張した表情を浮かべている。


 数秒おきに聞こえるドスンという地面を叩くような音、遅れて感じる大地を揺るがす振動。それが、明らかに近づいてくる。


「リンネちゃん、逃げよう!」


「は、はい!」



 トレントの足元を全力で駆け抜けたボクたちは、木々の上にその巨体の一部を突き出す巨大な魔物を目にした。


『グァオーン!』


 耳をつんざくような空気の振動とともに、叫び声が木霊する。


 亀? それとも象?

 どっちにしても、ボクが知っているそれらとは大きさが極端に違う。500mも離れた今だからわかる。そいつの体高は、30mを遥かに超えていた――。


「何て禍々しい魔力なの――」


 遠く離れても未だに身を震わせているリザさん。


「大き過ぎですね。でも、お陰でトレントから逃げられた」


「いいえ、私が言ってるのはあのデカブツじゃない。その背に跨っていた魔人」


「え?」


「姿ははっきり見えなかったけど、あの禍々しい気配は魔人で間違いない」


 リザさんの話を纏めると、数億いるとされる魔物の中にもはっきりとした序列があるとのこと。

 魔物とは邪悪な魔素からなる魂を持つ存在の総称で、その中でも一定以上の魔力を有する存在を魔族と呼ぶらしい。

 当然、その頂点に君臨するのは、今は封印されし魔王。そしてその下には、魔王直属の精鋭である魔人がいるそうだ。

 魔族と魔人を分かつのは、魔王直属であるということ以上に、有する知能の差。魔族の中にも言葉を解するものは存在するが、魔人のそれとは比べ物にならないらしい。


「ということは、魔王が既に復活しているってこと?」


「そうとは限らない。魔王が封じられても魔人は己の意思で生き続ける。魔王復活を企てているのは魔人と考えていい。そもそも魔人が何体いるのかまでは、わからないけど――」


「魔人の動きが活発になっているってことは――」


「ええ。本当に魔王の復活が近い、そう考えるべきね」


 ボクが思っているより、遥かに猶予はないようだ。

 でも、魔人が向かっていたのは村とは反対の方角。そのことだけが、唯一安心できる材料だった。




 ボクの目の前には、大森林の西端が見え始めている。

 斜めに射し込む陽光が、森の境界線を明暗くっきりと分け隔てていた。


 とうとうここまで辿り着いた――朝からずっと歩き詰めで、やっとこの森を抜ける所まで来たんだ!


 思い起こせば想像以上に長く険しい道のりだった。

 トレントから逃れた後、小径から外れた道なき道を進んだ。纏わりつく下草の魔物を跳び越え、時には岩山をよじ登って魔物の襲撃を避け、時には崖を飛び降りて戦闘を避けながら進んで来た。

 そして、今やっと森を抜ける寸前まで来た。やっと平坦な道を歩ける、それが素直な感想。


 ふと木々の隙間から燦々さんさんと輝く太陽を見上げる。南中高度から見て時刻はまだ午後2時くらいだと思う。

 15kmを約8時間で走破してきたと考えると、残り5kmを2時間で歩ければ、午後4時には念願の交易場に到着する計算。

 何度か命の危険はあったけど、ここまではほぼ理想通りと言っても過言じゃない。



 そう、ここまでは――。


 森が切れた先をやや見下ろすように眺めると、道幅5mほどの街道が、森の縁を迂回するようなルートを辿って伸びている。


 ここから数100m先のその街道上で、豪華な馬車を囲んで、物騒な怒鳴り声と金属音が鳴り響いていた――。

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