第6話 幸福の意味

 この不思議な世界に堕とされてから2日目の夜を迎えた。


 明日の朝は早い。リザさん曰く、日の出前にはもう村を出るらしい。

 それもそのはず、隊商との交易場までは片道およそ20km。大人の足でも7時間は掛かるそうだから。



「ポーション5つと、毒消し、麻痺消し、聖水がそれぞれ2つずつ。あとは、携帯食料が3日分に、生活に使う道具類と、お金が銀貨5枚と銅貨20枚、つまり520リルじゃ」


 エリ婆さんが、旅に必要な物一式を用意してくれていた。


 自然に飛び出したお金の話――。

 自給自足と言ってたけど、都市ではさすがにそうはいかないよね。でも、田舎はあまりお金を入手できないから貴重なはずで。

 この村の現状を理解しているが故に、気になってしまう。


「リルってのはお金の単位ですよね?」


 ボクのいた世界と通貨単位が違うことに気づいたのか、エリ婆さんが詳細に説明を始める。


「そうじゃ。銅貨1枚が1リル、銀貨1枚は銅貨100枚分で100リル、さらに金貨1枚は銀貨100枚分、つまり銅貨1万枚じゃから10000リルじゃ。魔法書を買うなら5000リル、銀貨50枚以上は必要じゃな。ううむ、ちょうど中古の小さな家が買えるくらいかのぅ」


 中古の小さな家って――えっ、魔法書1冊が、家1軒分もするの!?

 

 ちなみに、1リルはいくらだろう?

 中古住宅を500万円だと仮定すると、

 5000リルが500万円で、

 1000リルは100万円だから、

 1リル=1000円かな?


 あれ?

 ちょっと待って!


 えっと、さっき貰ったお金は520リル、つまり52万円?

 これは貰い過ぎでしょ!


「こんな大金! さすがに頂けません!」


 貰った銀貨5枚をエリ婆さんの掌に返す。


「全く使わんのじゃから、持って行っても構わんよ」


 再びテーブルに置かれた銀貨を見つめる――やっぱり駄目だ。

 お母さん指ひとさしゆびから赤ちゃん指こゆびまで、8本の指をきちんと添え、丁寧にテーブルの銀貨を押し返す。


「もうたくさんの物を頂いています。お金はいざという時のために、村に残しておいてください」


 夕方の事件だって、お金を払えば誰も怪我をせずに解決できたかもしれない。それが本当の解決になるのかわからないけど――。


「リンネちゃん、食事や宿、馬車のお金とかはどうするの? すぐに稼げる目処めども無いのでしょう?」


「そう、ですけど」


 リザさんに痛いところを突かれてしまった。

 お金が無いなら無いで野宿をしたり、雑草をかじったり、歩けばいいんだけど、それは現実的じゃない。交易場で何か言い訳を作って戻って来ようと考えていたボクの作戦が――。


「金はな、本当に必要としている者が持つべきなのじゃ」


 エリ婆さんの一言で決断する。

 とりあえず、今は借りておこうと。


「わかりました。お借りしますね」



 これから水浴びでもしようかと考え、汚れた服に手を掛けたとき、来客があった。


 そこからは、あれよあれよという間に話がまとまって、ボクは今、こうして夜道を歩いている。


「リンネお姉ちゃん、今日はありがと」


 鼠男から救出した可愛いエルフさん、アユナちゃんがボクの手を引っ張って歩く。女の子と手を繋いで歩くのは久しぶり。でも、こんなに緊張することだっけ。

 顔は絶対、トマトみたいに真っ赤っか。でも、薄暗さのお陰で羞恥心も半減だよ。


「もっと早く助けられれば良かったけど――」

「ううん、凄くかっこよかった!」

「そんなこと……」


 キラキラ輝くような黄金の瞳で見つめられると、心臓がバクバクして、喉もキュッと閉まって声が出せないよ。


 鼻歌で誤魔化しながら小道を歩くこと数分、ボクたちはほんのり灯る薄明かりの下に辿り着く。そして、薄い木戸を優しく叩いた。


「リンネさん、よく来てくださいました」

「疲れているのにごめんなさいね、この子がどうしてもってしつこくて――」


 美人ママに肩を抱かれながら、えへへっと照れ笑いをするアユナちゃん。


 アユナパパも笑顔だ。

 エルフ男性って、鼻が高くてイケメンですね!

 アユナママの、恐縮し過ぎてあたふたしている顔も可愛い。華奢きゃしゃというか、食生活が厳しいんだろうね、手足が本当にガリガリ。

 この幸せそうな笑顔を守ることができて良かった。この一家がずっとずっと幸せでいてくれると嬉しいな――。


 危ない!

 見惚れていて伝え忘れるところだった!


「いいえ、おつかいもありましたので。これ、エリバ……ベート様からです」


 そう言って、預かってきた瓶を2本手渡す。


「あらまぁ、ポーションを2本も!」

「貴重な物なのに、宜しいのですか?」

「はい、こういう時のための備蓄だそうで、『遠慮せず使え、明日も農作業に励むのじゃぞ』って言ってました」


「あははっ!」

「ぷぷっ、こらアユナ、笑うのは失礼だぞ……ぷぷぷっ」

「うふふ、それなら、遠慮なく頂くわね」


 棒を杖代わりにして腰を曲げ、梅干を食べたように口をすぼめたまま、喉を痙攣させるように言い放つ。

 エリ婆さんの物真似は案外好評だった。お陰でお互いに打ち解けた気がする。




 ★☆★




「あれ? リンネお姉ちゃんのお胸、大きくない? まだ12歳なんでしょ?」


 そう。目の前には真っ裸のアユナちゃんが居るんだ。

 自然な流れで一緒にお風呂に入ることになってしまってね。打ち解け過ぎたのを少々後悔もしている。


 アユナちゃんはボクより1つ下、11歳らしい。数え年とか早生まれの差もあるのかなと、彼女の身体を見て考えてしまう。そもそもエルフの11歳って、人間とどう違うのかな?


 エルフが長寿というのは、勿論知っている。300歳まで生きるとか、800歳まで生きられるとか、永遠の命を持つとか――ボクが知っている異世界情報はとってもテキトウで、無責任だ。

 ただ、エルフは貧乳、ダークエルフは巨乳――という情報だけは、割と真実なのかもしれない。


 そういえば、友達同士で見せあったり、触りっこした時期もあったなぁ。中には反則的な子もいたんだけど、私はちょうど平均くらいだったよ?


 でも――これはさすがに、板すぎる。

 まぁ、こういう未発達なのが好きだ!という変わったご趣味の方々も日本には存在するらしいけどね。うちのお父さんはきっと違う。そう信じたい!

 って、なんでボクはこんなに必死に否定しようとしているんだろう。


 ちなみに、こっちの世界に来てから、ボクはまだ自分の顔を見たことがなかった。

 今初めて、水面に映っている銀髪美少女を見て、不覚にもドキッとしてしまった。


 だから、ボクの身体の寸評をくれたアユナちゃんに対して、ボクは無言と赤面しか返せなかった――。


 でも何故だろう、どっぷりお湯をたたえた湯船の中だから丸見えではないのに、これほど緊張するのは――。


 確かに、日本のアイドルとは訳が違う。

 髪や目の彩りの違いもあるだろうけど、妖精種独特の神秘性がある。だから、可愛いエルフっ娘の裸を目の前にして、緊張しない人なんていなんだよ。


 でも――ボクの緊張は、ある意味別次元。

 お父さんの魂の影響があるのは確実だよね。


 だけど、ここは白黒ハッキリさせないとダメだ。“わたし”と“お父さん”の魂、どっちが主役かってね。

 そして、それを明確にする実験方法は、既にボクの頭の中にあった。



「そんなことないよ、アユナちゃんもすぐに大きくなるよ! 毎日欠かさず触ってあげるといいみたいだよ? こんな感じで――」


 ボクは自然な流れを装って、さりげなくアユナちゃんの板に手を伸ばす――。


「えっ――」


 お巡りさん、こっちです!

 こっちにアブナイ人が居ます!


 ボクの脳内でサイレンが鳴り響く。


 旅の恥は掻き捨てとは言うけれど、異世界でもセクハラは犯罪だ!


 アユナちゃんに迫っていた魔の手は、くるっとUターンする。

 そして、自分自身のそれをマッサージし始めた――。


「毎日頑張ってモミモミするんだぞ~!」


 アユナちゃんの羨望の眼差しを受け止めつつ、小さな手を駆使して、笑いながら円運動を行う。

 真っ赤にゆで上がったボクの顔、自己犠牲という尊い代償を払った円運動――何とか無事に誤魔化せたかな?


「うん、わかった! リンネお姉ちゃん目指して毎日頑張る!」


 ふぅ、疲れた――。


 女の子同士なら触れると思ったのに、思いっきり無理だった。でも、自分の身体は問題なく触れたし、これはやっぱり“わたし”の勝利でしょ。

 と、脳内で必死にお父さんに向けて勝利宣言しつつも、鼻血がつーっと湯船に滴るのが見えた――。


 その後は、健全に洗いっこ&湯船で遊んでから出ましたよっと。




 ★☆★




 現在、小さな木製の食卓を囲んでのパーティ中――といっても、ディナーは芋1つだけですが。


 助けてもらったお礼にと出されたのは、茹でられた芋――テニスボールくらいの大きさで、綺麗に皮が剥かれている。

 本体は丸々ボクの前のお皿に置かれ、剥かれた皮は3等分されてアユナちゃん一家のお皿の中に収まっている。


 美味しそうに皮を食べ始めたアユナちゃんを見て、ボクも1口分に小さく切って、頬張る。


 温かい。

 ほんのりと土の味がする……。


 でも、残りを食べるのは後だ。


 ボクは、エリ婆さんから貰ったパンを食卓に捧げる。


 見るからに強化版フランスパンだね。この硬さは立派な武器だよ。あのオオグモの脚よりも硬いかもしれない。

 どうせ明日の夜には戻ってくる予定だから、貰ったばかりの保存食を出しても構わないでしょ。お風呂での罪悪感解消のためにも。


「こんな立派なパンを食べるのは何年ぶりでしょうか――」


 何度も遠慮を言うアユナパパを、ボクは強引に説得した。

 さすがに、ボクの方からされた“お願い”を断ることはできなかったらしい。


 嬉し涙を流しながら硬いパンに噛り付くアユナちゃん一家を見て、どれだけ自分がエリ婆さんから優遇を受けたのか、今さらながらに思い知った。

 このパンがボクの袋にはあと7本もある。ただ、同情でこの家族にお金や食べ物を渡すのは違う気がする。正しい優しさではない気がする。

 そう考えると、ボクは何も言えなかった――。


 食卓で、いろいろな話を聴くうちに、どうやらアユナちゃんは1人っ子で両親は共働き、それでもかなり貧しい生活をしているということが薄々わかってきた。

 小さな畑で芋や野菜を育て、時々森に入っては薬草を採取する。食生活はとても質素で、肉類は5年に1度食べられるかどうからしい。衣類や家具は他の家庭からのお下がりだったり、またはDIY自作だったり。


 日本で底辺生活を味わっていたボクから見ても、これは耐え難い生活に思う。

 だけど、豊かさが幸せとは限らないからね。日本でも自給自足の生活に憧れる人はいたし、同情とか哀れみとかの感情を抱くことは失礼なんだと思う。正直、この辺の感情コントロールと表現は難しい。


 ボクたちは、その後もかなり遅い時間までたくさん話して笑いあった。生活は貧しくても、明るくて素敵な家庭だと思う。


 こうしていると、何だかとても懐かしい気がした。

 家族3人で一緒に暮らしていたときの記憶が甦る。


 戻りたい、あの幸せな頃に――。

 そんな気持ちが強く湧き出してきた。


 エリ婆さんは、この村は半年も経たずに滅びると言っていた。あの鼠男も、魔王が復活する予兆があると報告しに来た。ボクが頑張って強くなったとしても、世界が滅亡するのを防ぐことまではできっこない。

 どうすればこの素敵な家庭の、村の幸せを守れるのだろう。


 ボクはこの村に残ろうと考えていたけど、それが平和への途だとは断言できない。本当の平和を手に入れるためには、どうしても魔物と対峙しなくてはいけないんだ。

 平和が幸せに繋がっていることだけは、自信を持って言えるのだから。


 勇者を捜そう――。


 ふと、脳裏に浮かんだ考え。

 この家族を、この村を救うためには世界を救わなくてはいけない。そう考えると、これは自然な、必然の帰結だった。


 まずは、そこから1歩を踏み出そう。



 アユナちゃんの替えのパジャマに着替え、小さなベッドで2人寄り添う。

 こうしていると姉妹みたい。妹がいたらこんな感じなのだろうか。


 あっ、そうだ!

 気になっていたことがあったんだ。


「ねぇ、アユナちゃん。あの手紙、何て書かれていたの?」


「あはっ、ちょっと恥ずかしいけど読んであげよっか」


 アユナちゃんはボクから手紙を受け取り、ベッドの縁に座って読み始めた。


『拝啓 リンネ様。

 この村に来てくれて本当にありがとう。

 短い間だったけど、私たちと一緒に過ごしてくれて本当にありがとう。

 貴女は違うと言っていたけど、私たちにとって、村の皆にとって、貴女は勇者です』


 そして最後に、子どもたち4人の将来の夢が書かれていた――。


 ☆俺は何があっても村を守り抜く(ニール)


 あの変態少年か。凄く力が強かったもんね。


 ☆早く大きくなってリンネ様を守る(アユナ)


 様なんて付けてるし。気持ちだけでも凄く嬉しいよ。


 ☆村で一番お裁縫が上手になる(ユミィ)


 あの小さい子か。素敵なお嫁さんになれるよ、きっと。


 ☆大きなおイモを掘ってみんなでおイモパーティする(シャル)


 もう1人は男の子だったか。うん、パーティ楽しかったよ。



「うぅ……ごめん、涙が出ちゃった」


「大丈夫?」


「うん、ひっく、ありがと」


 この子たちに訪れる将来のことを考えると――ううん、きっと夢は叶う。ボクが頑張って叶えてあげるんだ!


 明日は朝早く出発しよう、前に進むんだ!

 皆を守るための、幸せにするための1歩を踏み出すんだ!



 幸せとは何だろう。


 食べたいものがいつでも食べられること? なりたい職業に就けること? 好きな人と自由に結ばれる身分差別のない社会? 1日中遊んで暮らせる生活?

 異文化や異世界に触れたとき、今まで抱いていた価値観が揺らぐ。何が正しいのかわからなくなる。そんなとき、どう考え行動するのが正解なのか、そして理想なのか――。


 アユナちゃんと一緒に寝ながら、涙が自然とボクの頬をぽろぽろ伝って流れて落ちた。


 アユナママが、優しく抱き締めながら涙を拭いてくれたような気がした。

 そんな温かい夢を見た。

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