第2話 ロンダルシア大陸

 これは――。


 ぼんやりと映るのは沢山のシャボン玉。大きさも色彩もそれぞれ違うけど、どれもが光り輝く星を内包している。まるで、細胞とその核のように。


 その1つ、白いシャボン玉がゆっくりと近づいてくる。


 ぶつかると思った瞬間、視界が白く弾けた。


 振り返ると、大きな青いシャボン玉がゆっくりと遠ざかって行くのが見えた。


 いや、違う。

 私自身が白いシャボン玉に吸い寄せられているんだ。


 とうに手足の感覚を失っている私は、抗う術も逆らう意志もなく、そっとその不思議な感覚に身を委ねた――。

 

 背後へと高速で流れ去る景色は、まるで虹の中をジェット機で旅しているかのよう。青と赤、黒と金と白、そして緑と桃色に輝く金平糖のような星が、幾度も交わりながら私と競走していた。


 そんな旅路も、体感数秒足らずで終焉を迎える。


 引力の源、自分が向かう先をじっと見つめると、そこには、亡き両親の懐かしい笑顔が見えた気がした――。




 ★☆★




 ――温かい。

 

 目覚めてすぐに飛び込んできたのは、視界一杯に広がる緑――ではなく、私の身体を包み込む柔らかな光だった。まるで、お父さんとお母さんに抱き締められているような、あの温もり。


 胸に手を当てると、心臓の鼓動が伝わってくる。


 生きている。


 確かに、生きている――。


 私だけじゃない。

 お父さんも、そしてお母さんも一緒に此処にいるんだ。


「ごめんなさい、本当にごめんなさい――」


 今に至るまでの記憶――邪神に操られるがままおこなってきたことは、私の中に鮮明に残っていた。嘔吐するかのように、思わず謝罪の言葉が漏れた。

 でも、涙ながらに出たその言葉とは裏腹に、私の心は両親と共に生きられることへの感謝の気持ちで一杯だった。

 


 バサバサッ!


 突然の、何かが羽ばたく音に背筋がぞくりとした。


 意識が途切れる直前、最期に聞いた言葉を思い出す。


『――知るがよい。彼の邪神が創りし地獄の世界を――』


 天国も地獄も、他人を効率よく支配するために作り出しただ。神と悪魔だって、人間の弱い心が作り出した虚像だ。


 でも、あの光と天秤は違う。紛れもない本物だった。

 信じたくはないけど、信じざるを得ない。


 ということは、ここは地獄――。


 周囲を警戒しながらゆっくりと立ち上がる。


 見渡すと、私が居るのは薄暗い森の中だった。

 視界一杯に広がる緑が、この森の深さを物語っている。


 樹海の陰に隠れて太陽は見えない。

 どんよりと空を覆った暗雲のせいで、朝なのか昼なのかすら読み解くことも叶わない。


 ちくっと刺さるような痛みを足に感じて見下ろすと、数cmほどの棘を持つつるが足に絡みついていた。


 必死に足踏みをしながら辺りを見回す。


 風を感じないのに木々はガサゴソと揺れているし、暗闇には2つ4つと赤い光が見えている。


 怖い――。


 地獄に住んでいるのは魔物か悪魔だよね?


 走る、走る、走る。

 転んでもすぐに立ち上がり、飛ぶように木々の隙間を駆け抜ける。


 振り向いたらダメだ。

 背中から迫ってくる“恐怖”という名の闇に飲まれてしまう。


 とにかく、木々の薄い方へ! 明るい方へ!

 今すぐ、死に物狂いで逃げなきゃ、死んじゃう! 殺されちゃう!


 呼吸を忘れるくらいの恐怖を引きったまま、無我夢中で魔の森を走る。



 かなり走った。

 もう、方向なんてお構いなしに、ひたすら走り続けた。シャトルランだと、500や600は軽く超えるくらいに。


 心臓が口から半分飛び出しかけていたとき、天をくような大樹が目に入る。


 そこを目指すべきだと、私の直感がささやく。


 しつこく絡みつく植物を蹴飛ばし、泣き叫びたくなるくらい大嫌いなクモを巣ごとぎ払い、凶暴そうな角を持つウサギを踏みつけ、一直線に、それこそ死力を振り絞って突っ走る。


 そして、大樹が傘のように広げる葉っぱの下まで到達したとき、景色が一変した――。




 これは――村?


 まるで、樹海に沈んだジャングルジム。

 森の一部を切り開いて建造物を配置したのか、街がすっぽり森に覆われたのかわからないくらい、両者は同調している。


 でも、よく見ると、高さ50mほどの大樹の幹に寄り添う大きな建物以外は、ログハウス未満の質素な物が10軒足らず見えるのみ。


 人間の、現代の文明には遠く及ばないけど、村と呼べるくらいの集落群。

 それでいて、さっきの森とは雰囲気が全く異なる。


 魔の侵攻を妨げる、それはまさに聖域――そんな気がした。


 回りをキョロキョロ見渡すが、ぱっと見たところ動くものは1つもない。



 警戒しながら村のふち沿いを歩く。


 学校の体育館ほどの広場を囲むように家々が並び、舗装されていない剥き出しの地面には、自然豊かな野草が道を縁取るように生えている。


 白や黄色、ピンクの可愛い花に誘われて歩いていると、ここが地獄であることを忘れてしまいそうになる。


 膝丈より少し長いくらいのスカートの中を、そよ風が駆け抜けていく。


 疲労で火照ほてった傷だらけの脚が、スースーしてとっても気持ちいい。


 限界を遥かに超えて運動した後だけど、手足は思ったよりも動く。

 逆に、乱れた呼吸が徐々に落ち着いていくのを感じる。

 森には癒しの力があるとよく言われるけど、まさにそんな不思議な力を全身で浴びているような感覚だった。


 地獄を感じさせない牧歌的な村の風景に、私はいつの間にか笑顔になり、鼻歌まで歌いながらスキップしていた。


 風に乗った爽やかな森の香りが鼻孔をくすぐる。


 その中に、鳥が囁くような声が混じっていた。


 歌、だよね。


 聞き耳を立てていると、どうやらあの大きな建物から聞こえてくるみたいだ。


 透き通るような清らかな歌声――。

 しかも、不思議なことに言葉がわかる。だからこそ、理解もできる。

 この村の住人は、邪悪な存在ではない、と。

 

 それでも、恐る恐る建物に近づく。


 大きな木製の扉の上部には、金属製の像がめられている。

 なるほど、ここは教会のような所かもしれない。


 近づいてそれを見上げると、手を組んで祈るような女性の姿をかたどった像だった。

 さらによく見ると、女性を小さな円が囲っている。

 1番上に銀色の円、そこから時計回りに合計8個が描かれているようだ。


 すると、突然扉が内側に開いた!


 びっくりして変な格好のまま固まってしまう。

 視線が激しく交差する――。


 あ、耳が長い――人間ではない!


「何事じゃ。皆は早う、農作業――」


 停止した時の中、穏やかな叱責と共に、コツコツと音を立てて歩み寄る者がいる。


 薄暗い建物から耳長族を押し退けて出てきたそれを見た途端、思わずって叫んでしまった。


「え、閻魔えんま様!?」


「誰が閻魔じゃ!」


 いかにもな漆黒のローブ。

 数多あまたきらびやかな指環は、互いの美を競いあうかのように枯れた手を無駄に飾っている。その手に握られているのは竜を象ったかのような、いかつい木の杖――見間違いようがない、この方は、女性版閻魔様だ。


 その後、目が合うこと数秒――老婆はいきなり地面に崩れるように伏し、祈りを捧げ始めた。

 そのめしいた目からは滂沱こうだの涙が滴り落ち、祈りの言葉には嗚咽おえつが混じっていた。


 老婆に遅れること数秒、その場に居合わせた人ならぬ者たちも、地に頭をつけて伏せる。


「えっ、な、な、何ですか!?」


 何がどうなっているのかわけがわからず、私も皆と同じように土下座を始めることにした――。




 ★☆★




 それから、教会の一室で自分の過去を一通り話した後、会話は無限ループに陥っていた。


 こういう場合、私が読んだことのある小説だと、自分のことをひた隠しにするんだよね。焦れったくて仕方がない。

 でも、今はそういう高レベルの腹芸が要求される場面なんかではなく――。


「生きているうちに勇者様に――」

「人違いです。私、勇者ではありません」

「勇者様歓迎の祭りをせにゃ――」

「だ・か・ら・ね、お婆ちゃん、人の話聴いてる? 耳に穴開いてる? 勇者なんかじゃ、ないんだってばっ!」


 しつこいくらいに連呼される単語にうんざりし、思わず大きな声が出てしまう。


 だって、そうでしょう?

 地獄に落とされた私なんかが勇者だなんて、絶対にありえないんだから。人は、褒められ過ぎると馬鹿にされてる気分になるんだよ。


「見えるんじゃよ、このまなこには」


「ナマコ?」


 白く濁った盲目の眼差しが、じっと私に向けられている。


「勇者様、エリザベート様は鑑定魔法リサーチができます」

 

 老婆の後ろでずっと沈黙を守っていた女性が、たまらず口を挟んできた。


 腰まで真っ直ぐ伸びた綺麗な金髪。そこからぴょんと出た耳は、申し訳なさそうに垂れ下がっている。それでも私の2倍は長くて鋭い。高校生くらいの歳だけど、モデルさんみたいにすらっと背が高い。そして何より、今まで見てきた誰よりも綺麗な顔をしている。

 目を合わせるのが気恥ずかしくなるのは、きっと私の中にあるお父さんの魂の影響だ。


 雑念を振り払い、目を閉じて思考モードに入る。


 魔法――。

 ここが、地球とは雲泥の差だってのはわかっているつもり。なら、まずは知ることだ。そこから、何をなすべきかを考えよう。


「えっと、エリザベート様と――」

「リザと申します」

「――リザさん。私はこの世界でどう生きていけば良いのかわかりません。この世界のこと、教えていただけませんか?」



 その後、リザさんのフォローと私の質問を挟みながら、かれこれ腹時計で3時間ほど、エリザベート様のレクチャーは続いた。その長々としたお話の概要は以下の通り――。



 ここはロンダルシアと呼ばれる大陸の東南、魔の大森林にあるエルフの隠れ里らしい。なんと、鬼じゃなくてエルフだった!

 ロンダルシア大陸は横に広い楕円形で、形だけ見れば四国やオーストラリアに近い。広さはイマイチわからないけど。


 有史以来およそ2000年の間、他の大陸からの侵攻を受けることなく独自の文明を築いてきたらしい。

 でも、それが常に平和だったかというと全くそうとは言い切れず、独自に進化した魔族、異世界から現れたらしい悪魔、それらを統べる魔王のせいで、辛うじて文明を繋ぎ止めてきたに過ぎない。

 特に1000年前に起きたと伝えられる魔族大侵攻では、人は大陸の9割を失いながらも奇跡的に魔王を退けることに成功したそうだ。


 その時に活躍したのが、エリザベート様たちが信仰する勇者様だ。白銀のローブを纏う彼女は、一太刀で山をも消し飛ばし、百を超える魔法を使いこなし、魔王を永劫の業火に封じたらしい。

 伝承の多くは後世において盛大に脚色されてはいるが、彼女を神と同一視する説が有力なのだそうだ。

 そして、彼女の最大の特徴でもある白銀に輝くオーラ、それが私にもあるのだという。


 リザさんの言った鑑定魔法リサーチ

 これは、対象物のオーラから情報を読み解く効果があるとのこと。それによると、私はこんな風に鑑定された――。


◆名前:リンネ

 性別:女性

 年齢:12

 職業:なし

 称号:銀の使者

 魔力:0

 筋力:23

 知力:37

 魅力:77

 魔法:なし


 え、名前が――。

 何故だか、私の里央りおに、お父さんの賢治けんじとお母さんの真里音まりねが1文字ずつ足されている感じ?


 それか! この世界に来てからずっと感じていた違和感の正体がやっとわかった気がする。

 今まで使ってきた1人称“私”が、何だかちょっと気恥ずかしくなるときがあったんだ。きっと、お父さんの魂が混じり込んだせいだ。お父さんは自分のことを“俺”って言っていたもん。

 “私”も“俺”もどっちも恥ずかしいなら、間を取って“ボク”にしようか。ちょっと安直だけど、多分この辺りが妥協ラインだと思う。


 よし、決まりっ!

 今日から私は、“ボクっ娘リンネ”として頑張る!


 そして、称号――。

 肩に垂らした髪を手ですくって見つめる。

 なんだか、白寿のお婆ちゃんみたい。


 人は極度の恐怖体験をすると白髪になるって聞いたことがある。見つめるほど泣きたい気持ちになるけど、今は前を向いて生きるよ。

 この称号銀の使者は今の自分にぴったりだ。こっちの世界でも、あの恐怖と罪悪感を忘れずに背負って生きなさい、そういうことだよね。

 

 あと、しょぼい数字が4つ――。

 これ、テストの点数だったら笑えるね。



「エリザベート様。勇者、リンネ様の魔力は本当なのでしょうか」

「間違いではない。確かに0とある……じゃが、これはいったい……」


 やっぱりちょっと涙が出てくる。

 魔力もない、魔法もない、しかも無職ときた。


 思いっきり持ち上げられた後、頭から谷底に叩き落とされた感じ。


「ふふふっ、だから言ったでしょ? 勇者じゃないって。ボクがいた世界には魔法なんてなかったんだから」


「「ボク?」」


 この世界だとボクっ娘はオーパーツ場違いな人工物過ぎたかも。


「そんなツッコミは良いですから、ボクはこの世界で生きていけますか?」



 数分の深い沈黙の後、リザさんがやっと口を開く。


「お茶を持ってきますね――」


 空気の重さに耐え切れなくなったリザさんが離席してしまった。


「ゆ、リンネ殿。この称号に心当たりは?」


 今、勇者と言おうとして止めたね。

 まぁ、良いけど。


「銀はこの髪のことでしょうね。元は黒かったんですが――色々あってお婆ちゃんに。それと、使者というのは“異世界から来た”という意味では?」


「異世界……白銀の……銀の宝玉……やはり……」


 何かをこじつけたがっているみたい。

 このままでは、また無限ループが始まっちゃう。


 そんな時、グッドタイミングでリザさんが戻ってきた。

 トレイに載せられた木のカップ――異世界ドリンクが3つ見える。


「ただいま戻りました。これは里の特産で――キャッ!」


「熱い!!」


 何もない所で盛大にコケたリザさん。

 そして、3人分の熱湯がボクを襲った。


「リンネさん、早く服を脱いで! 早く!」


 全身火傷寸前、ボクは何とかワンピースを脱ぎ捨てて緊急脱出する。


「はぁ、また死ぬかと思いました――」


 故意ではないと思って強く出られなかったボクに、リザさんは笑顔で大きな袋を差し出してきた。


 そして、一言。


「その汚い服で魅力77でしたら、この服に着替えれば80を超えますよ!」

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