やばい女(その3)
翌日の昼下がり、浮多郎は清水門外の先手組の役宅へ出向いた。
火盗とは火付盗賊改方のこと。幕府直属の武装警察軍で、与力と同心あわせて最大60名ほどの組織だ。
町人・武士・僧侶を問わず、主に窃盗・強盗・放火の重罪犯の捜査に当たり、岡っ引きも使った。
「池乃屋の手代・仙吉は押し込み強盗の先乗りだった。池乃屋の前は、日本橋の呉服商や霊厳島の廻船問屋などで同じような悪事を重ねていた」
浮多郎の顔を見るなり、小頭の重野清十郎が高い鼻をさらに高くして、仙吉がすべて白状したといった。
まず拷問からはじめる火盗の乱暴な取り調べは、『罪なき者も、罪ある者にする』と、江戸の市民は嫌っていた。
仙吉はじめ昨夜の強盗の5人組は、朝に拷問を受け昼には白状したということか。
自慢話が一段落すると、
「どうだ、泪橋の若親分。奉行所の腑抜け同心の下請けなど止めて、火盗の岡っ引きにならんか」
重野は、猫撫で声で浮多郎を火盗に誘った。
「岡埜さまは、腑抜けではございません」
きっぱりと答える浮多郎に、ちょっとびっくりした重野は、
「東洲斎という牢人者と近しいようだな。あの者は、お上に目をつけられている危険人物だ。有り体にいえば、火盗が監視しておる。何なら、少し手心を加えてもよいが・・・」
「東洲斎さまに何か罪があるなら、拷問でも何でもしてみてはいかがでしょうか。お情けで手心を加えてもらうことなど、あのお方はお望みではないと思います」
そう啖呵を切ると、浮多郎は深々と頭を下げ、清水門外の先手組の役宅を飛び出した。
―その足で、浮多郎は浅草寺裏の元締めの辰治をたずねた。
たしか『お美津にご執心の男は三人いた』と、いっていたが、もう仙吉は外してよいので、残りはふたりということになる。
「そうですか、池乃屋の仙吉は、盗賊の手先でしたか。そういえば卑しい顔でしたな」
狸の置物のような風体のテキ屋の辰治は、ひとり合点顔でうなずく。
「あとのひとりは、若い侍。もうひとりは牢人者・・・だったと思います。若い侍は、この辺でちょくちょく見かけます。・・・なんか見回りしているような。でも、奉行所の定町廻り同心が夜に見回りなんかしませんな」
「夜見廻る侍なら、火盗か?」
「それそれ、火盗!・・・でもちがいます。火盗が女をかどわかすはずはない」
「たしかに」
「するってえと、牢人者が怪しいですな」
「どんな、牢人で?」
「牢人ですが、こざっぱりしたなりをして、まだ三十前でしょうか。五日ほど前にはじめて見かけました」
「五日ほど前というと、お美津さんが居なくなった夜の前夜あたりですね?」
「そうです。お互いにびっくりした顔で見合っていました。知り合いかと思いました。牢人者は、顔をそむけるようにしてすぐ立ち去り、お美津さんは立ち上がって追いかけようとしましたが、すぐ諦めました」
「顔見知りの牢人者、・・・追いかけようとした?」
腕組みをして、しきりにあれこれ考えながら、浮多郎は泪橋へもどった。
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