見えない首輪
他の人には見えない、何処までもリードの続く首輪をもらった。
皆が学校へやってくる時間、まだ校門も開いたばかりの時間に僕は教室に入っていく。
教室には机に突っ伏して眠そうな有海がいる。もしかしたらもう寝ているのかもしれない。
「有海、おはよう」
「おはよぉ……」
眠そうな声が返ってくる。彼女とは普段話せない。男女で関わるグループが違うからだ。朝のこの時間、眠そうな有海とだけ毎日少し話す。
彼女の眠る横顔を見ていると、自分の中に柔らかな、くすぐったい感情が湧くのを感じる。僕は彼女が好きだ、誰にも、彼女にすら言えないけど。
僕は、手に握った『首輪』をじっと見つめた。
▽▽▽
数日前のこと、不思議なおばあさんと帰り道で出会った。
「いいものをあげるよ、見ていかないかい?」
塾帰りで疲れていたからか、それともおばあさんの異質な雰囲気からか、僕は話を聞いてしまう。
「これに触れてみな」
そう言われて、おばあさんがグーの状態で差し出した左手へと僕の手を伸ばす。おばあさんの手に触れる前に、何かに触れる感じがする。
その瞬間、それまで無かった空間に首輪が突然現れる。
「今の私たちにしか見えないのさ、これは。仕組みがあるんだよ、仕組みが」
「不思議です」
「このリードは何処までだって伸びる。この首輪をつけたら何処までも首輪の持ち主につながれることになるのさ」
「何のために?」
「それは使い方次第。君にこれをあげよう」
「どうしてですか?」
「さぁねえ、話を聞いてくれたお礼かしらね」
そう言って、おばあさんは笑った。
▽▽▽
僕はそれから首輪の使い道を考えて、思いつかないまま学校へ持ってきていた。
有海と話をしていると教室にまた別のクラスメイトが入ってくる。有海の友人だ。
「有海おはー。聞いてよ〜、あっトイレ行きたい。トイレ行ってくる!」
そういって有海の友人は有海の返事も聞かないまま出て行く。僕の存在なんてかけらも認識していない。
有海が「もー、何言ってんのよー」と友人の言葉で笑う。僕との会話なんてもう何処にも無いみたいだった。何も無かったかのような、有海。
僕は暗い感情が自分の中でドロリ、とするのを感じる。
「はぁ、もうしばらく寝てようかな」
そういって、有海が机に顔を伏せる。
僕は、ゆらりと有海に近づいて、首輪をはめる。
がちゃん、首輪はあっさりと有海につく。有海は反応しない。
僕は自分の席に戻って、他の人に見えないリードをずっと見ていた。
家でまたリードを見る。何処までもするすると伸びていて、学校でも有海は何処までも行けた。でもリードを僕が伸ばさないように意識すると、それ以上リードは伸びていかないようだった。
自分の部屋でリードをピン、と張らす。リードの先をイメージする。くいっ、くいっ、と軽く引っ張る。僕はそうして満足して、眠る。
それからしばらく何かあるとリードを引っ張った。有海が友人と登校してきた日、有海が休んだ日、有海が部活で活躍した日。僕はなぜかそういう時にドロリ、とした感情がまとわりついてきて、リードを引っ張った。
「おはよう、有海」
「おはよぉ」
有海と朝の教室で話す。なんだかそのやりとりを久しぶりに感じた。ここのところ、有海も忙しかったし、僕はリードを引っ張ったりしていて、ついつい夜更かしをしていたからだ。
たわいもない話をして盛り上がる。有海と話すとなんだか柔らかな、くすぐったい感情が湧くのを感じる。
「有海ー!」
でも、そんな時でも有海の友人は入ってくる。朝の時間が終わりになる。
「聞いてよ神センがさ!朝から授業の道具運べって言ってくるんだよ!ちょっと有海も手伝って!」
そういって、有海の手を掴んで有海の友達が教室を出て行こうとする。僕は、いないことにされて、反射的にリードを握る。
まてよ。そう思って、リードを引っ張る。
有海が、急に紐で引っ張られて、立ち止まる。
「いたた……」
そう言って、有海が首のあたりに手をやる。
「え……」
僕はその光景に、気づく。
有海が、首のあたりの空間を掴んで見つめている。まるで、首輪が見えているように。
いつから? いつから見えていた?
僕は頭が真っ白になる。動悸が激しくなる。
——今の私たちにしか見えないのさ、これは。仕組みがあるんだよ、仕組みが。
もしも。もしも、この首輪が触れた人にしか見えないのなら、有海は最初から全部知って。
走り出す。教室から逃げるように。逃げた先が何処かもわからないのに。
「ねえ違うの! 待って!」
有海が僕に向かって何か叫んでいて、その声の意味がわからないまま、僕は何処までも走って、逃げた。〈了〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます