9 きっと大丈夫さ



見せられている風景は前回と同じで、あの日の状況をそっくりそのまま再現していた。一度、経験してしまえば何のことはない。すぐに幻だと気がつくことができた。


ただ、薄れていく意識の中で、京也は何かとすれ違った。

もやもやとした黒い煙のような、よく分からない何かがいた。


逃げられる前に、慌てて手を伸ばす。

端の部分を掴み取り、引きずり下ろした。


そいつは決まった姿を持っていないらしく、ゆらめいているだけだった。

自分と喋るつもりはないのか、ずっと沈黙を貫いている。

だからといって、何かするわけでもない。正直、不気味だ。


「お前が竜なのか?」


肯定するでも否定するでもなく、黙っているだけだった。

姿かたちが変わるわけでもないから、表情も分からない。


「どうしたもんかな……何か話してくれよ。ようやく会えたんだからさ」


自分の中に眠る竜を目の前で確認できた。

京也が一方的に話していても仕方がないと思う。


あるいは、この竜が何か話してほしいと思っているのだろうか。

言い方を変えれば、京也が捕まえた竜も自分自身である。

彼が問いかけたように、何か話をしてほしいのかもしれない。


ずっと大人しくしているから、京也の話を聞くつもりはあるらしい。

そのつもりなら、何か話してみるか。


「橋の下にいた時は全然気づかなかったのにな。

お前、その時何してたんだ?」


聞いても答えはない。壁にでも話しているみたいだ。

いや、答えづらい質問であることには変わりはないか。


無意識のうちに竜の姿へ変わっていた。

その無意識をどう答えろというのだろう。

自分がした質問だというのに、おかしくて吹き出してしまった。


「あの時はあの女の気を引くために、わざと挑発したんだけどさ。

まさか、あんなもんを見せられるとは思わないよな」


そのときの絶望感が引き金となって、竜の力が再び目覚めてしまった。

本当にその場にいたのではないかと思ってしまうほどの、再限度だった。


「なあ、お前もアイツの話、聞いてたか?

俺より年下なのにすげえよな、頭が上がらないよ」


あの日の夜のことを思い出す。


自分の体の中にいたのであれば、ルードラの言葉は聞こえていたはずだ。

彼の能力が目覚め、本心を知ってしまっても人を嫌いにはなれなかった。

人の心を見て傷ついてしまうくらいなら、誰よりも人を信じることにした。


その決意と優しさに救われた。竜の力と向き合う勇気をもらえた。


「俺のことは大丈夫だって、言ってただろ? 怖くないってさ。

本当にそう思ってんのかは知らないよ。俺には分からないし。

けど、信じるって言ってくれたからな」


『僕は否定したくない。竜の君も人間の君も』


あの日の夜、河原で言われた言葉を思い出す。

逃げるものでも否定するものでもない。

自分の力を信じて受け入れることだった。


「だから、俺もお前を信じてみるよ。

全然怖くないわけじゃないし、すぐには慣れないだろうけど。

俺たちならきっと大丈夫さ」


京也がそう言うと、掴み取ったはずの黒い何かはいなくなっていた。

周囲に漂う異臭で、吸血鬼が燃やされていることを思い出す。

意識もはっきりしている。幻から目が覚め、現実に戻ってきたのだろう。


ただ、とてつもない力が湧き上がるのを感じる。

その力を信じて、女の腹に一発、拳を叩きこんだ。

息の抜ける音が聞こえ、膝をついた。


「容赦ないわね~……大事なものが飛び出てくるかと思ったじゃない」


何度かせき込みながら、京也をにらみつける。

これでしばらくは動けないはずだ。


「それはアンタも同じだろうが。何回やれば気が済むんだよ」


おそらく、次からあの光景は見えなくなるだろう。

目の前に現れても、落ち着いて対処できるはずだ。

ただし、ぞっとする光景であることには違いない。


正直、もう見たくないし、味わいたくない絶望感だ。

もしかして、それから逃げるために竜の力が目覚めたのだろうか。

今となってはもう分からないことだ。


ただ、先ほど交わした会話も覚えているし、勝手に変身することもない。

自分の手を見る。爪は多少伸びていたが、気にならない程度のものだ。


「そうか、信じてくれたのか。お前も」


拳を握りなおす。自分の中にいる竜が背中を押してくれる気がした。


「そんな綺麗な話で済んでよかったわね、うらやましい限りだわ。

その力も完全に覚醒してしまったみたいだし。

あなた、もう二度と普通の生活には戻れないわね?」


腹の痛みか嫉妬からか、女の笑顔も歪んでいた。


「そんなもん、とっくに諦めたよ」


あの日の事件から、普通の人間と同じ生活を送れることができないことを悟った。

いずれこうなっていたことを考えると、あの日の出会いは本当に運命だったのかもしれない。


「それなら、私たちの仲間入りね」


ヴィヴィアンはゆっくりと立ち上がった。

その瞬間、地面から茨が生え、京也の足にきつく巻き付いた。

地中で固定されているのか、足がまるで動かせない。


もがけばもがくほど、茨が絡みついて離れない。

聖水はまだ残ってはいるが、とてもじゃないが投げられない。


「どうにもならないって? 

だって、これはそういう魔法ですもの。

そう簡単に逃げられるわけないじゃないの」


「本当に仲良くする気はないんだな」


あくまでも、自分の目的が優先らしい。

仲間の大半が燃やされても、まるで動じていない。

執念と言っても過言ではない。


「言ったでしょう、血が欲しいって。

貴方と違ってこうでもしないと、私は完全にはなれないの」


彼女の口から白い牙が見えた瞬間、乾いた音が何回かした。

女がばたりと倒れ、背後に銃を構えた老人の姿があった。

すぐ横にルードラがいて、ほっとしたように息をついていた。


「まにあった、のか?」


銃をしまいながら、彼は首をかしげた。

地面に倒れ伏した彼女を中心に血の海ができている。


「割とすぐ戻って来れたってことは、竜の君も信じてくれたんだ」


「結局、何も喋ってくれなかったけどな」


一言も話してはくれなかったが、力を貸してくれた。

これでもう怖いと思うことはなくなった。


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