6 否定したくない
二人並んで、河原に座る。
夜の川は黒く染まり、穏やかに流れている。
向こう岸にある高層ビルの照明が点々とついており、町を彩っている。
湿気のあるぬるい風が二人の間を抜けていく。
「お前の声、ちゃんと届いてたよ。反応はできなかったけど」
竜の力が暴走している間のことは、やはり覚えていない。
それでも、以前より少しだけ、周りは見えていたように思う。
彼の声がしっかりと聞こえていたからだろうか。
「よかった。やっぱり、君はそこにいたんだね。
意思が読み取れなかったから、不安だったんだ」
「俺も自分が何だか分からなくなっててさ。
まさか、あそこまで姿が変わっちまうなんてな……そりゃ、隠しておきたくもなるよな」
あの時の自分の姿は人間離れしていた。変身と言っても過言ではない。
竜の姿に何度も変わっていくうちに、人間でなくなってしまうのだろうか。
「落ち着くまでここにいたって言ってたけど、本当に大丈夫だった?
僕たちのところには、退魔師っていう化け物を相手にする人が来たんだけど」
「あそこの橋の下にいたからな。誰にも気づかれなかったと思うけど」
京也は近くの橋を指さす。
影を落としており、何も見えない。いい死角となっているのは確かだ。
「ただ、通行人には見られてたかもな。俺のこと」
「潮煙だとめずらしくもなんともないから、きっと大丈夫だよ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ、割と」
意外と他人は自分を見ていないらしい。
竜の姿でも、この町では受け入れられるようだ。
「正直、クビになってもおかしくないと思ってたんだけどな」
「あの店を仕切ってるの、じいちゃんだからね。
何も言わないってことは、クビにするつもりはないんだと思う。
もしくは、京也から言い出すのを待っているのかも」
怖いことをさらりと言う。
本音なのか、わざと言っているのか、分からない時がある。
「けど、あの日から雰囲気が変わっちゃったから。
気になってしょうがなかったんだ。
僕のことを避けてるみたいだから、少し話をしたかった」
「そのつもりはなかった。って言ってもだめだな。
正直、心を読まれるのが怖かったんだよ」
「本当にそれだけ?」
その言葉がずしんと心に突き刺さる。
それだけではない。それ以外の理由が主だ。
彼の能力はただの言い訳に過ぎない。
自分でも分かっているのに、うまく言葉が出てこない。
何も言えないでいると、彼は自虐的に笑った。
初めて見る表情だった。
「よく言われるよ。お前は人に本当のことしか言わせないってさ。
そのくせ、何考えてるかよく分からないって。僕は本音しか言ってないのにね」
嘘もごまかしも、彼の前ではすべてが無意味になるのだろう。
人の心を見通せてしまうゆえの弊害だった。
「そういうのが必要なときがあるのも分かってるよ。
けど、見過ごせないんだ。悲鳴も一緒に聞こえてきちゃうから」
嘘の奥にある本音も見通して、つい踏み込んでしまう。
本心を引き出そうと思っても、そう簡単にできるものでもない。
よほど信頼している相手でもない限り、無理な話だ。
自分の領域を踏み荒らされたくないのは、みんな同じだ。
彼は何度も地雷を踏んで、相手を傷つけてきた。
自分で制御できるまで、地獄を見たらしい。
遠回しに何度も拒絶され、人を避けてきたのは彼も同じだった。
「いろいろと苦労してきたんだな、お前も」
「そんなことはないよ。
そう考えると、能力を封印しちゃうのも悪くない話なのかもね。
何も知らずに過ごせるわけだし」
その表情はどこか、遠くを見ていた。
今まで見てきたものを思い返しているのだろうか。
知りたくもない物をどれだけ見てきたのだろうか。
「初めて人の心が見えた時、あれほど怖い物はないと思ったよ。
言葉なんて信用できないって思った」
彼は兄弟の中で覚醒の年齢が一番早かったらしい。
能力との相性が良すぎて、暴走してしまうことも多々あった。
本心と言葉のすれ違いで何度も苦しんでいたようだ。
幸か不幸か、本音と建前があることを幼い頃に知ってしまったのである。
「それでも、人を嫌いにはなれなかった。
考えていることはみんな違っていて、言葉で簡単に表現できるものではないけど」
本音を言える友達が欲しいとよく言われた。
心が見える自分はその中には入らないらしい。
それと同じように、嘘やごまかしを言える相手が欲しかった。
人は思っている以上に複雑だ。それは自分も同じだ。
適当に嘘をついて、それ相応にごまかしたかった。
それを許さなかったのは周囲のプレッシャーか、自分なのかは分からない。
それでよく生きていけるなって、何度思ったかも分からない。
ただ、それだけで人を嫌いになれなかったのは確かだ。
「だから、まずは信じてみることにしたんだ。
疑わなくても、その気になれば分かっちゃうから」
どう頑張っても人は嫌いになれない。
好きになるのはもっと難しい。だから、疑うことをやめた。
嘘を言うのもごまかすのも、全部やめた。諦めたといった方が正しいかもしれない。
彼らはある意味、似たもの同士だった。
どうしようもできない強い力を持ち、怯えて暮らしていた。
「僕は否定したくないq竜の君も人間の君も」
かつての自分もそうだったように、否定してほしくなかった。
だから、彼は最後まで信じることにした。
「言ったでしょ、君との出会いは運命だって」
まっすぐに一点を見つめているその姿が非常に眩しかった。
「だから、怖いと思わないんだな」
「それは最初から変わってないよ。あの日の未来を見たその時からずっと」
彼の言う「大丈夫」も強がりじゃなく、本心から言ってることだ。
本当に「大丈夫」なのだろうし、裏切ることもない。
それで馬鹿にされたことも何回もあったのだろう。
人を信じることはやめなかった。
能力に対する責任でもあるのだろうが、純粋さを支えていた。
「また、あの時みたいになったらって、思うと怖いんだよ。
自分じゃなくなるっていうかさ、別の何かに変わるんじゃないかって」
そう思うと、安心感と共に言葉も自然と口から出てきた。
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