5 聞こえてんだろ?


いつのまにか、まだら髪の吸血鬼は姿を消していた。

三人を取り巻いていた男たちもいない。彼らを追いかけても仕方がない。


今は目の前にいる京也を止めなければならない。

地面を揺らすような咆哮を上げ、爪が伸びていく。

彼は竜の姿に変わろうとしてた。


「これがあの時の……!」


思わず、ルードラは片膝をついた。

力の波が強すぎて、とてもじゃないが立っていられない。


「あの女も厄介なことをしてくれたな!

ワシらじゃどうにもできんぞ!」


バハ爺は両腕で顔を覆う。

二人が逃げる時間を稼ぐために、京也は自ら囮になろうとした。


彼女は彼に何らかの攻撃をしたらしい。

それが竜の力を再び目覚めさせるきっかけとなった。

このままでは、町に被害が出てしまう。


何としてでも、彼を止めなければならない。

しかし、ニュースで見た時とは、状況がまるで違っていた。

手先から爪が伸び、頭から二本の角が生えていた。


変身した姿はまさに竜のそれだった。完全に覚醒してしまった。

視点の合わない目で、どこかを見ていた。


「京也!」


ルードラが声を張り上げて、彼に呼びかける。

彼の心に届くように、声を張り上げる。

京也はゆっくりと、虚ろな視線をルードラに向けた。


「あの声を聞いてハンターが来るのと、どっちが早いかのう!」


彼は何もしゃべらない。

ただ、二人をじっと見据えていた。


「待って、彼はまだ消えていない! 大丈夫だから!」


入社式の映像では、我を忘れて暴れまわる彼の姿があった。

自分では力が抑えきれなかったのだろう。

その間のことは本当に何も覚えていないようだった。


会場内をめちゃくちゃにした後、すぐに逃げ出したとのことだった。

本人はその間のことを何も覚えていない。

ただ、自分にあった変化には気づいたらしい。


「ねえ、京也!」


彼の心に必死に呼びかける。

竜の力によって彼の意志が読み取れない今、心に訴えかけるしかない。


「僕の声、聞こえてんだろ? 応えろよ!」


届け、伝われ、導け、響け。彼に何度も言葉をかける。

そう簡単に諦めてたまるものか。


竜の力に飲まれていても、まだ彼の意志はそこにある。死んでいない。

何度も言葉を送っているうちに、彼は少しだけ目を見開いた。


「京也!」


ようやく反応を見せ、ほっと息をついた。

彼は周囲を見まわした後、自分の手を見た。


「これ……嘘だろ?」


伸びきった爪で、頭に生えた角を恐る恐る触った。


「マジかよ、何でだよ……」


ぽつぽつとつぶやきながら、両手をゆっくり下ろした。

自分の変わり果てた姿が信じられないのだろう。


「ごめんな!」


彼は背を向け、走り出した。

その姿はあっというまに見えなくなり、闇に消えた。

追いかける間もなく、入口の方から鋭い声が聞こえた。


「先ほど、こちらの方から大きな音というか、声のような何かが聞こえたのですが。

少しお話を伺ってもよろしいですか?」


バケモノと戦う機関に所属している証明として、彼はライセンスを二人に見せた。

その場に取り残された二人は顔を見合わせ、ため息をついた。


「友達と大喧嘩しちゃったんです。

それで、つい大騒ぎしちゃって……本当にごめんなさい」


「ワシも止めようとしたんじゃが、どうにもできんくてな。

忙しいのに、手間かけて悪かったのう」


二人は素直に頭を下げた。

京也はうまいこと逃げられただろうか。


「友達と喧嘩って……その方は、今どこに?」


ルードラはスマホで、京也の番号を呼び出す。

電話をかけても、彼は出なかった。

とてもじゃないが、出られるような状況じゃないはずだ。


「多分、家に戻ってると思うんですけど……」


苦笑交じりにスマホをしまう。

家に戻ってるといいなあという、希望が混ざった言い訳だ。


「こんな時間ですし、近隣の方のご迷惑になるようなことはもうしないでください。

それに、夜は特に危険なんです。何が出てきてもおかしくありませんから。

とりあえず、家までお送りします。いいですね?」


正直、これだけで済んで本当に良かった。変に話が進むと余計にややこしくなる。

ただ、二人が店に戻っても、京也の姿はなかったのである。




しばらくしてから、彼は戻ってきた。

竜の力はすっかり落ち着いたらしく、人間の姿に戻っていた。

それでも、彼の表情はどこか浮かばないものだった。


「よかった、無事だったんだね。そっちは大丈夫だった?」


二人が出迎えると、彼は気まずそうに眼を泳がせる。


「どうにかな。ただ、落ち着くまで時間がかかってさ。

電話、出れなくてごめんな」


「いいんだよ、全然気にしていないから」


暴走は止まっても、どこか表情は暗い。

ああなるとは思わなかったから、立ち直れていないのだろうか。


「ごめん、今日はもう寝る。お疲れ」


短く言って、自分の部屋に戻った。

その背中はどこか、悲しげだった。


「力をあれだけ外に出したんじゃ、疲れたんじゃろ」


「そうだといいんだけど……」


表情が暗いのは、それだけではないように思える。

理由のない不安がどうしても、ぬぐえなかった。


その日から、彼の態度はよそよそしかった。

態度は平静に見えても、雰囲気は重苦しい物だった。

ルードラの目を見て話そうとしないのも気になった。


何かから逃げているように見えた。

自分が落とす影におびえているのだろうか。

あの時の姿に恐怖しているのだろうか。


笑顔を見ることもなくなった。

とにかく、聞きたいことも話したいこともたくさんある。

今は彼と向き合わなければならない。


「ねえ、京也。ちょっと来て」


業務がすべて終わってから、彼を河原まで連れ出した。

ちょっとで済む距離ではないが、何も言わずに来てくれた。


「急にどうした」


「そんなに僕のことが怖い?」


ずいと、目と鼻の先まで歩み寄る。


「真顔でそんなに近寄られたら、誰だって怖いだろ……」


「僕は怖くないよ」


一歩下がろうとする彼の腕をつかんだ。


「僕は大丈夫だから」


まっすぐに彼を見つめる。

一瞬だけ、視線をさまよわせてから、見つめ返す。


「本当に、か?」


京也はゆっくりと口を開いた。


「ようやく、目を見てくれた」


そう言うと、彼は呆れたように笑った。





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