2 そういう意味だったのかよ
路地から離れ、大通りの一角に彼らの住まいはあった。
部屋の中は香辛料の香りで満たされ、空腹が刺激される。
そういえば、昼間から何も食べていないことを思い出した。
あふれ出てくるつばを飲み込む前に、腹の音が盛大に鳴った。
「夕飯、余ってたかのう……」
老人が笑いをこらえながら、冷蔵庫を漁りだした。
「何から何まで、本当にすまない」
「いいんだよ、気にしなくて。
大した物は出せないかもしれないけど、ゆっくりしていって」
ルードラは彼の前に座る。
どこか嬉しそうな笑みを浮かべている。
「なあ、金城さん」
「ルードラでいいよ」
「ルードラ、助けてくれてありがとな」
「僕は当たり前のことをしただけだよ。気にしないで」
彼はひらひらと両手を振る。
そんなセリフを言ってみたいものだ。
「いつも見回っているのか?」
「普段はこの周辺を回って終わるだけなんだけどね。
今日は、数十分後にあそこに君がいる未来がはっきりと見えたんだ。
だから、足を延ばしてみたんだけど」
「助けられると思ったって、そういう意味だったのかよ」
「そう。あそこにいるって、確信が持てたんだ。
けど、君との出会いは運命だって思いたいな」
未来が見えたとか言われても、正直困る。
ましてや、運命だなんてあるわけがないだろう。
どこまでもキザな奴だ。
「ほれ、寄せ集めじゃが、ないよりかはマシじゃろ」
適当な煮物と白飯、箸が京也の前に出される。
いただきますと言って、箸を手に取る。
「テレビで見た限り、あの暴走はドラゴンのそれなんじゃが……何があった?」
老人は腕を組んで、京也をじっと見る。
「アンタの言うとおり、俺は竜と人のハーフだ」
ごくりと飲み込んでから、話を続ける。
スパイスがよく効いていて、より食欲が増す。
箸が止まらない。
「竜人か……ひさしぶりに会ったのう。
バハムートとやりあったのが懐かしいわい」
顎に手をやりながら、遠い目をする。
バハムートは竜の中でも特別に強いと聞いている。
伝説と呼ばれる存在と戦い、生きて帰ってきたということか。
「ワシをただの老いぼれと思うなよ?
昔はエスパー使いとしてブイブイ言わせてたんじゃ」
両指をわきわきと動かす。
「エスパー?」
「超能力者ってこと。サイキッカーって言えば分かるかな。
バハ爺はESPよりPKの方が得意なんだよね」
名前だけは聞いたことがある。
ESPがテレパシーなど情報伝達に特化した能力で、PKはサイコキネシスや神通力など、物を操る能力のことをいうらしい。
路地裏で人や生ごみを飛ばした力がそれか。
超能力者が自分に何の用だろうか。
吸血鬼と違って、自分の血には興味はないはずだ。
竜には詳しいようだが、これといって心当たりはない。
「まさか、本当に助けるためだけにあそこに来たってのか?」
「そうだよ?」
あっけらかんと答える。
「お主、気づいとらんかったのか?
竜の血を持つ奴が潮煙にいるっちゅーんで、異形共が噂しとったんじゃが」
「初めて聞いたぞ、そんなの」
そんなに自分の存在は大きいものだったのか。
どうりで、吸血鬼が襲ってくるはずだ。
改めて、竜のすごさを思い知った。
「けど、能力自体は完全には覚醒しきっていないよね?」
「幸い、そっちにはあまり振り回されなかったからな。
初めてだよ、あんなことになったのは」
入社式を思い出す。
意識が暗闇に落ち、気がついた時には何もかもを破壊していた。
暴走していた間は何も覚えていない。
「いくら何でも覚醒の時期が遅すぎやしないか?
お主ぐらいの年齢じゃと、竜の力を存分に使えてもおかしくないはずじゃが」
「何かあるとしたら、俺の親の方だろうな。
竜の力が覚醒しないように術でもかけてたんだろ」
「あくまでも、人間社会に馴染むことを望んだわけか」
「結局、できなかったけどな」
京也はシニカルに笑う。竜の存在はおとぎ話となっている。
自分の夫であると言っても、信じてくれるはずもない。
何としてでも、隠しておきたかったのだろう。
実際、彼は自分の祖父母を見たことがなかった。
親戚にも会ったことがない。母も孤立気味だったように思うし、竜のことが知れ渡っていたのかもしれない。
「のう、竜の少年よ」
「なんだ、爺さん」
「よければ、うちの店で働いてみないか?」
嘘のような一言だった。
京也とルードラの二人は目を丸くした。
「うちはカレー屋をやっておってな。
ちょうど、裏方仕事を頼めるような奴を探しておったんじゃ」
「じいちゃん! 勝手に頼んじゃダメだよ!」
「何を言うておるか。
こんな状況なんじゃぞ、ワシ以外雇ってくれんわ」
「確かにそうかもしれないけど!」
警察に見つかるのも時間の問題だ。
ここにいても、吸血鬼たちに目をつけられてしまうかもしれない。
何を考えているんだ、この爺さん。
「本気で言っているのか?」
「おうよ、本気も本気じゃ。
うちもご多分に漏れず、人手不足なもんでな」
頑として譲らない老人を見て、ルードラはため息をついた。
「異形共なら心配いらんわい。見たところ、雑魚ばかりじゃしな」
「雑魚ばっかりでも、数で攻め込まれたらどうにもならないと思うんだけどなあ。
ごめんね、こうなっちゃうと、諦めさせる方が無理だと思う」
「いや、こっちこそ、面倒をかけてばかりで悪い」
本当にここにいていいのだろうか。
正直、感謝してもしきれない。
「じゃあ、書類取ってくるから、そこで待っとれ」
老人は立ち上がり、隣の部屋に行った。
「何が目的なのか、知りたいの?」
京也の考えていることを当ててみせた。
なるほど、エスパーも伊達じゃないらしい。
「多分だけど、何も考えていないよ」
「はあ?」
「人手不足なのは、そうなんだけどね」
ルードラは苦笑する。
本来であれば、アルバイトを雇えばいいだけの話だ。
「言ったでしょ、君との出会いは運命だって思いたいって。
多分、そういうことなんだと思う」
自分が襲われている未来が見えたから、助けに来た。
嘘は一言も言っていないのだろう。
えげつないほどの純粋さが少しだけうらやましかった。
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