星野、四年に一度の

運昇

星野、四年に一度の

 雑賀市に寒波が吹き荒れる2月の末日。

 商店街の魚屋を訪れた星野総一郎には並々ならない野心があった。


「ブリ。それはこの世の人間の舌をうならせ、そして出世魚という最高の栄誉を持つまさにこの星野を頂点に立たせるために生まれてきた魚!Oh!ブッ!リッ!」


 と星野がリンボーダンスをしながら言ったので、同伴する安元歩は慌てて止めに入った。

「やめてよ星野くん!毎回そんな恥ずかしい事、魚屋さんの前でやってんの?」


 すると魚屋の主人に「毎年やってるよ」とあっけらかんと言われ、立っているのを止めた。


「ふん。凡人は地べたがお似合いだ」


 と崩れ落ちた安元に星野は鼻を鳴らしたが、今日、一緒に魚屋に訪れたのは訳がある。


「立ち上がれ灰被りの凡人。さあ星野のためにブリを捌きたまえ」

「いやあ星野くん」と安元は立ち上がりホコリを払った。


「確かに僕は魚を捌けるって言ったけれども、でもそれはアジであってブリでは」

「甘ったれんな凡人!星野は魚が怖いのだ!」

「なんのカミングアウトだよ!じゃあ食べようとするなよ!」

「星野は切り身しか買った事がないのさ!」


 安元は唖然とした。

 そんな安元にお構いなく、星野はわなわなと体を震わせながら。


「目が恐ろしいのだあの黒目ぱっちりの目が。ボクを・・・・・・食べないでって」

「大丈夫だよ。死んでるから」

「なっ!取り憑かれたらどうするのだ!もしも星野に尾ひれが生えたらどうする気だ!」

「面白いね!」

「星野に面白さは要らない!欲するは徳と愛!それ即ちフォシィノゥ(星野)☆」

「どうやら星野くんにはナルシスさんが憑依しているようだ」


「見たまえ凡人!」と星野が自信満々にガラスケースの中を指さした。


「これが、ブリだ!」


「そりゃアカムツだね」とノータイムで店主の指摘が入った。安元は頭が痛くなった。

「な!ご主人、ブリの身はちょっと赤いぞ?赤い魚ではないのか」

「赤魚は大抵が白身さね。聞くがマグロは赤い魚なのかね?」

 星野は衝撃を受けた。

「マグロは大海原を縦横無尽に駆け回る赤い稲妻であったはず」と打ちひしがれた。

「無知に妄想を加えるとバカに見えなくなるんだね」と安元が辛辣な感想を漏らしたところで、主人が店の奥から発砲スチロールを抱えてやって来た。


「はいよ!知り合いの漁師がついでに釣ってきた上物だ」


 と店主がそう言って発砲スチロールの蓋を開けると、たくさんの氷に包まれた一尾のブリのお出まし。体長は1m。丸々と太った紡錘の体型は食欲をそそる脂のノリを大いに予感させる。

 青魚に多く見受けられる背中は青黒く、そして腹が白い。また背と腹の境界線を敷くような鮮やかな黄色の帯に星野と安元は感嘆の声を漏らした。


「僕、ブリを初めて見たけどなんか、すごいね」

「そうやってすぐ凡人は感動を一言で済ませようとする。いいか凡人、ブリは星野さ。スタアになる事を宿命に持ち、幼き頃から荒波にもまれ凶悪な魔の手を掻い潜りつつ自身の成長を栄えある名誉と結びつける。そんな生涯を母なる海に捧げてきた魚界の星野なのさ☆」

「へぇ。でもまあ人間に釣られたら栄誉も名誉もないよね」

「安元貴様ぁ、純情をどこに置いてきた!」

「 そんな星野くんみたいなイタい純情なんて要らないよ!」

「なんだと!純情を忘れた人間は獣だ。主役は純情な星野であってブリ。獣にブリは不釣り合いというもの。よって貴様はブリ大根、ブリ抜きだ!」

「理屈が異次元!僕もブリ大根食べさせてよ頑張って捌くから」

「ふんダメだ。今日という特別な日にこの星野を怒らせた罰だ」


 安元は声を詰まらせ顔をしかめた。


「ま、まあ今日は特別なんでしょ?誕生日に大勢の人達にブリ大根を振る舞える人って星野くんみたいな選ばれた人間じゃないとできない芸当だよねえ〜」


 星野はまんざらでもない顔で指をくいくいと動かした。もう一声、安元は観念した。


「さすが将来、雨坂グループの幹部になるだけの器量があるよね。しかも競走激しい演劇界のスタアを兼ねつつ世の中の経済を動かす激流のような唯一無二の存在、それが星野くん!・・・・・・ねえ一切れくらいは頂戴?」

「1分に1回褒め称えたら考えてやろう」

 安元はため息を吐いた。

「・・・・・・頑張ってみるよ」


 後悔に落胆した安元に店主が優しく諭す。


「ほらよこんなところで油を売るんじゃない。ブリは鮮度が命だ、早いとこ作っておじさんのとこにブリ大根届けてくれや」


 と言って安元に発砲スチロールを手渡した。ずしりと安元の両腕に重く乗りかかったが、半ば使命感のようなもので懸命に支えた。


「ご主人、お代は?」


 と星野が聞くと店主はさらり。

「いらないよ。昨日、いつもの嬢ちゃんが全額支払っていったからな」

「ぐぬぬ、こはるちゃんめ粋な計らいを!」


 その時安元は何も言わなかったが、器というものには大きさがあるのだとしみじみとしていた。


「それでは世話になったご主人、来年、また会おう!」

「はいよ。魚、勉強しろよ」

「行くぞ安元!次は極上の大根を求めて八百屋へ赴く」


 と星野は言うとすたすたと魚屋を後にした。安元も頭を下げ、星野を追おうとしたが店主に呼び止められた。


「そのブリ、できるだけ短時間で捌けるようおじさんが細工をしたけど、さっきも言ったようにできるだけ早めにな?」

「わかりました。多分それについては大丈夫です。僕には、とても頼れる先輩がいますから」と言ってニカッと笑った。そして喜びが隠しきれない足取りで魚屋を後にする。


 寒空の下、安元歩はブリの重みに感謝しながら歩んでいく。

 2020年2月29日。

 今日は星野総一郎、16歳の誕生日であった。

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