第4話
木材を扱う職業の例に漏れず、寒くなり空気が乾燥するこの時期は、ネイラにとっても一年で最も一番忙しい時期だと言える。それは、彼女が歌布を織る道具としている竪琴の木材を一年分仕入れる為だ。拘らなければ加工した材木を仕入れれ年中何時でもその時々で購入すればすむ話なのであるが、何せ木と魔力の相性というものがある為、木材として仕入れる事にしていた。また、同様の理由で、相性の良い木を一本一本探して切り出しす為、なかなかこれという木が見付けられないのが現状である。その為、ネイラは毎年ネウーゼにある植林地全ての木を見て回っていた。
「そりゃ大変だ。こっちも急ぎだ。困ったな、ターナクルス殿」
少しも困った様子に見えないギルスの言葉に、ルフェナガルドはこめかみの血管をピクピクと脈打たせた。
「ネイラ、どう忙しいのかはっきり言ってくれないか」
「分からないのか? 今の時期を逃すと、来年の木材が手に入らなくなるんだ」
飯の食い上げだ、とネイラは嘆いた。
音の出ない竪琴とはいえ竪琴は竪琴。ネイラは一年かけて材料となる木を乾燥させる為、この時期、出来るだけ多くの木材を確保しておくようにしていた。
そんなネイラの態度にルフェナガルドは顔を顰めると、ギルスを見遣った。
「タスナウッド殿、何時までに出立すれば宜しいのですか?」
「早ければ、今日。遅くとも明後日の朝には出発したい」
ギルスは二人のやり取りを面白がるように言った。後ろに控える二人の男はそんな彼の態度に慣れっこなのか、溜め息を吐いただけだった。
「それ以上は無理だ」
だから、ネイラ以外の人間にしてくれと言いたいらしい。
「分かりました。では、明後日の早朝六時、魔術院の白い塔の前にてお会い致しましょう。では」
そう言いながら、ルフェナガルドはギルスと強引に握手をすると、追い立てるように三人の騎士を店の外へと追いやった。
「さて、では我々も行くぞ」
振り向いたルフェナガルドがネイラの手を取って宣言した。
「はあ?」
未だ行くと了承すらしていないのに何を言うんだ、と掴まれた手を振り払いネイラは呆れた。
「ぐずぐずしている暇は無いぞ。今から今年買い付ける木を全て仕入れに行くんだからな」
ギルス達と約束した刻限までに全ての植林地を回り終えねばならないのだから急ぐぞ、と告げた。
「無茶を言うな。回り切れるわけないだろう! いや、もし回れたとしても、伐採やら値段交渉やら……材木商もいないのにどうするんだ?」
「材木商、ね。確かにそれは不味いね。でも心配はいらないよ。君の欲しい木に印を付けるだけだから、今日の所は問題ない。印を付け終えたら、後で材木商に伐採して売ってくれるよう、私が手配しておく。木は裏の小屋の中に運んでおけばいいね?」
じゃあ、行こう、と再び手を取られたネイラは、最後の抵抗を試みた。
「印を付けるのはいい考えだとは思う。しかし印を付けた所で、あんたが材木商から購入する前に売れてしまったらどうする気だ? それに支払いは? いやそれ以前に、木はただ見るだけじゃないんだぞ。魔力の相性を確認しながら、一本一本見ていかなくてはならないんだぞ」
「売れてしまうって? 売れてしまわないように結界を張っておくからそんな心配は無用だよ。支払いは院が受け取った今回の派遣手数料から払っておくから、君はただで良い木材が手に入るという訳だ。勿論、それとは別にちゃんと報酬も出す」
そう言って告げた金額は、ネイラが一年働かずとも充分食べていけるだけのものだった。
「どうだ、美味しいだろう? え? 魔力の相性? だから私も手伝うんじゃないか。聖賢魔導師では力不足かい?」
ルフェナガルドに懸念材料を悉(ことごと)く論破されたネイラは、ガックリと肩を落とした。
「……仕方がない。行くよ」
「流石、私のネイラだ! そうこなくては!」
ネイラの敗北宣言に嬉々とした声をあげると、今度こそ彼女の手を取ると、早速ルフェナガルドは店を出ようとした。
「ちょっと待て! 外套!」
引っ張られながら腕を伸ばしたネイラが辛うじて手に出来たのは、帳台に置かれたままの外套だけだった。
***
「おはようございます。お待たせして申し訳ありません」
ギルス達の前まで来ると、ルフェナガルドがにこやかにそう告げた。約束の時間ぴったりに現れたというのに、一々へりくだるあたりが嫌味ったらしい。
ルフェナガルドが勝手に約束した当日の朝、ネイラは彼に引き摺(ず)られ、その言葉通りにネウーゼ魔術院式塔――通称白の塔の前に来ていた。
「いや、時間ぴったりだ」
待っていた男の一人が、時計台を見上げて言った。先日、ネイラに食って掛かったエーミルと言う血の気の多い若者を宥める役を担っていた男だった。
あの時はネイラ自身別の事に気が散っていた為気付かなかったが、この男も黒の騎士団の一員らしい鋭さを身に纏っていた。年の頃は三十代半ば。ギルスよりも若干若く見える。
「おや? お二方だけですか?」
ルフェナガルドの言葉でその事にネイラは初めて気が付いた。エーミルと呼ばれていた若い男がいない。彼待ちだとすれば、少しは休めるだろうと、ネイラは嘆息した。
「いや、先にジャフネで待機させている」
そこで出発の準備にあたらせているのだと、ギルスが言った。ジャフネは、ネウーゼとデルゼネートを隔てるシーバル海峡を挟む海岸線に位置するデルゼネート領にある宿場町の一つである。
直ぐに出発する気満々のギルスを前に、ならば休めないのかと、ネイラは肩を落とした。
ギルス達に会って以来、未だ一度も休んでいない事を考えると正直かなり厳しい。彼等と別れたその足で、ネイラ達はネウーゼにある植林地を全て見て回った。不可能だと思われた選定作業を終える事は出来たが、その身体は作業に比例するかの如く、疲れ切っていた。
いや、疲労よりも寧ろ差し迫った問題としては、この激しい眠気だろう。ふわふわとした妙な感覚に意識が何時飛んで行くか分からない程だったが、それが不味い事なのかすら、もう判断出来る段階にはないようだ、とネイラはぼんやり思った。
「それでは、参りましょうか」
彼女と同じ状況だというのに、全く疲れた様子を見せないルフェナガルドが鷹揚に頷いてみせると、ネイラ達三人を白の塔へと誘った。
「塔?」
ルフェナガルドは単にネイラを連れて来ただけなのだと思っていたのだろう。門ではなく塔へと誘う彼に、ギルス達が怪訝な顔を向けた。
「お急ぎなのですよね?」
立ち止まってついて来ない二人に振り返ったルフェナガルドが、無表情で告げる。
「泳いで海峡を渡りたいのであれば、どうぞご自由に」
言うだけ言って、さっさと塔の中へと入って行った。
ルフェナガルドは魔術で目的地まで送ってくれるつもりなのだろうと理解すると、ネイラは二人の男に向き直った。
「急いでいるなら、ルフナの言う通りにしておいた方が賢明だと思うが?」
何時もの勿体つけたルフェナガルドの物言いに慣れているネイラとは違い、彼の意図に全く気付いていないであろう二人に彼女はそう告げると後を追うべく歩き出そうとした。
けれど肩を掴まれ、引き止められてしまう。
「どういう意味だ?」
憮然とした様子でギルスが尋ねた。
普段であるなら、ネイラも素直に教えてやっただろう。だが今の彼女は、襲い来る睡魔に、何時も以上に短気になっていた。
「ではお尋ねするが、ネウーゼの民はどうやって外と交易しているとお思いで?」
尋ねるだけ尋ねると、ネイラは二人の反応も確認せずに塔の中へ入って行った。
「お二人は?」
来る気はあるのかと、ルフェナガルドが尋ねてきた。
それに対してネイラがただ首を竦めてみせていると、間を置かずして二人が塔の中に入って来た。
入って来た二人は、この塔に初めて入る人間の例に漏れず、物珍しそうに天井を仰いだ。
塔の外観の色は違えど、中は書庫塔と同じく天井まで何も遮る物が無い空間が伸びている空間があり、そこを中心にして上へと螺旋状に部屋が配置されている造りになっていた。
「ひょっとしてあの上に見えるのがガレハンヌの聖歌布なのか?」
目を細め、天井を見上げたギルスの連れの男が言った。
創世記を描いた聖歌布は、一般的に教会に安置されている。この式塔の内部も一見すると教会のような装飾を施されている為、そのような質問が出たであろう事は容易に想像出来た。
聖歌布は、結界の役割をも担っている為、この式塔にも一枚掲げられている。
が、それは、彼等の期待するガレハンヌのそれとは全くの別物である。そもそも本来、門外不出のそれがここにあったならば、ルフェナガルドと言えども、部外者の二人をこの式塔に招き入れる筈もない。
その事をネイラが訂正しようと口を開く前に、何故かルフェナガルドが笑みを浮かべてみせた。その笑みが肯定の意味に受け取られかねないという事は、彼がチラリとネイラに寄越した鋭い視線に因って裏付けられた。
何を考えているんだか、とネイラが呆れつつも、興奮した様子の二人には事実を告げる事は出来なかった。
「こちらです」
ルフェナガルドに促されネイラ達三人がついて行くと、一階の奥に位置する部屋の一つに案内された。
式塔と便宜上呼ばれてはいるが、その実ここは魔術の研究と訓練を目的とする塔に他ならない。塔には魔術を試行する為に通常の何倍もの強度と結界が施されていた。その為、式塔には誰でも自由に出入り出来る訳ではなかった。
ネウーゼの魔術院に籍を置く魔術師達は皆、門を叩いた時点で章環という指輪を渡される。章環は、魔術院の一員であるという一種の身分証の役割の他、鍵の役割を併せ持っている。魔術の習熟にあわせ、各々に出入り出来る場所に制限がある為であるが、式塔もその章環の制限を受けている場所の一つであった。本来、魔術院の一員ではないギルス達がこの塔の中に入る事が出来たのは、偏(ひとえ)にルフェナガルドと言う魔術師が彼等の出入りを許可しているからに他ならなかった。
「……魔術の式か」
ギルスの傍らを歩いていた男が感心したように呟いた。
男の言葉通り、三人が通された部屋にも式塔らしく床に魔術式が描かれていた。魔術式とは、魔術の理を式化した物である。
魔術を使う方法は大きく分けて二つある。一つはこの魔術式を使う方法。もう一つは魔道書を詠唱する方法である。
魔道書とは、魔術理を文章化したもので、それを読み上げる事により魔術を発動させるというものである。これは魔術理を理解せずとも魔術を発動させる事が出来る為、大陸に広く広まっている方法だった。だが、その手軽さ故か、魔道書には紛い物も多く、事故も絶えなかった。
それに対し、魔術式を使う方法は、魔術理を理解して初めて魔術を発動する事が出来る為、安全且つ、確実な方法と言えた。また、魔術を発動させる者の魔力の消費も抑える事が出来る為、実用的な方法とも言える。
しかし難点は、この魔術式の構築に時間がかかる事だった。魔術が高度になればなる程、その理も難解になる為、それに伴い描かれる式も難解になる。その為、多くの魔術師達は、術具と呼ばれる魔術式を予め刻んでおいた道具を用いる事が多かった。
ルフェナガルド程の魔術師にもなれば、本来どんな魔術であっても魔術式や、魔術理の詠唱すらも不要であったが、そもそも自然の摂理に反する魔術には不確定要素が多い為、確実性を重視するような場合は、どんな高位の魔術師でも魔術式を描く場合が多かった。
「もしかして転移魔術か?」
ギルスの言う通り、床に描かれている魔術式は、転移の式であった。
一瞬にして大陸を横断する事も出来るこの魔術式のお蔭で、ネウーゼの民は他国との往来を可能にしていた。もっとも彼等の使う魔術式はこの塔にはなく別の場所にあり、転移先も固定されてはいたが。
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