第1章 ネウーゼの魔術師

第3話

「何時も無理を言って申し訳ない」

 ネイラ・アークは、そう言って馴染みの材木商の男に金を渡した。町の外れにある植林地。彼女はここに仕事道具の材料を仕入れにやって来ていた。

 空気が冷たく乾燥するこの時期、樹木を伐採するには一番適している。ネイラの他にも沢山の職人達が、木材を求めて訪れていた。

「はい、確かに。何、こっちとしても、お前さんみたいに金払いの良い客は何時でも大歓迎さ。何ならもう二、三本持って行くかね」

 代金と引き換えに領収書を渡しながら、冗談混じりに気のいい返事を返された。

「ところで木は何時ものように店に運んでおけばいいのかい?」

 確認する男の言葉に、ネイラは首を振った。

「いや。今日はこれから雨が降りそうだから、自分で持って帰る事にするよ」

「雨が? 晴れているぞ?」

 傍にいた客の一人が、彼女の言葉に空を見上げ呟いた。その言葉通り、空には雲一つ見当たらない快晴だった。 

「そりゃ不味いな。急いだ方が良さそうだ」

 しかし材木商の男は、ネイラの言葉に素直に頷いた。

「自分で持ち帰るとなると、木は少し小さくしておこうか?」

 ネイラの足元に転がる木を前に材木商は尋ねた。枝葉は、職人達の手によって既に落とされている。

「いや、大丈夫だ。それよりも急いだ方が良いんじゃないか?」

 ネイラはそう言って空を見上げた。彼女の見た所、昼になる前には激しい雨が降り出しそうだった。

 彼女の言葉に客の男達は馬鹿にしたように鼻を鳴らしたが、慣れているのか、材木商は他の客を伴い別の場所へと足早に移動して行った。

 そんな彼等の後ろ姿を見送りながら、ネイラは詰めていた息を吐いた。単なる親切心だけで言ったのでは無かった。彼女自身、一刻も早く一人になりたかった。これから行おうとしている事を余り他人に見られくはなかった。

 暫くして人の気配が無くなった事を確認するや否や、ネイラは伐採したばかりの巨木のに向かって、大きく手を振り上げた。その手の先から、小さな竜巻が起きた。それを買ったばかりの木に向け振り下ろした。そう、鞭の要領で。振り下ろされた風の鞭が木に触れた部位が刃物で切られたかのように切れ、木片が出来た。

 何度かそれを繰り返した後、最後に大きく一振りすると、風で出来た鞭は跡形もなく消えた。

 出来上がった木片を用意していた大きな布の上に無造作に移し布の端を縛り袋状にすると、布の上から小さな式を指で描いた。すると、大量の木片の入った包みが、片手で軽く持ち上がり、それを肩に担ぎ上げる事が出来た。

 丁度その時、ぽつりと手の甲に雨を感じ、ネイラは顔を上げた。気付かぬうちに、空はどんよりと曇っている。

 小さく舌打ちすると、先を急ぐように歩き出した。



     *



 ネイラが自身の店の前に辿り着く頃には、雨足が酷くなっていた。着ていた外套も、ぐっしょりと濡れている。 

「遅かったじゃないか」

 鍵を掛けて出た筈の店の中で、何故かルフェナガルドが待っていた。

 ネイラが水の滴り落ちる頭に巻いた布の下から覗き見ると、店の奥の作業場から持ち出したと思われる椅子と机、そして何処で調達してきたのか見覚えすら無い杯に入った酒を啜っていた。しかも傍には見知らぬ男が三人、鋭い目付きで窺うようにネイラを見ていた。

 剣士だろうか。中でも一番目付きの鋭い男の手を見てネイラは思った。

 が、直ぐに何も見なかった事にして無言で通り過ぎる事にした。

 店の奥へ行きそのまま作業場を抜けると、裏庭にある小屋へと入って行く。

 小屋に入るとネイラは床に荷を置き、布を解いた。中からゴロリと木片が転がり出た。採ってきた木片を部屋の隅に置かれた他の木片と同じように無造作に積み上げると、溜め息を吐いて小屋を出た。

 雨を避けるように小さな裏庭の軒先に立つと、外套を脱ぎ数回大きく上下に振った。すると外套はまるで初めから濡れていなかったかのように水滴が消えた。次いで、頭に巻いていた布を解くと、同じように振った後、腰に巻いた。

「あんたが絡むとろくな事が無い」

 店に戻るなり、手にした外套を帳台の上に放り出したネイラは独りごちたが、その言葉に、ルフェナガルドが何故か嬉しそうに笑った。

 こんな顔をしているルフナは曲者だと、ネイラは漏れそうになる溜め息を飲み込んだ。

 ルフェナガルド・ターナクルス。通称ルフナ。ネイラの腐れ縁。

 魔術師内では魔術院に属する聖賢(せいけん)魔導師として知られている。腰にまで伸ばされた波打つような白に近い金の髪の持ち主だ。学者肌の者が多い魔術院に於いて、兵士を彷彿とさせるその肉体は、異質でもあった。しかもその面差しは甘く、その容姿は彼の身に付けた資格よりも町の者には有名だった。

 また聖賢魔導師の中に於いて最も若い彼は、他の聖賢魔導師とは違い貴族の若い男が好む洒落た服装を好む傾向にあった。その真偽の程は定かではなかったが、貴族階級出身だとの噂も度々耳にしていた。

 だが、そんなルフェナガルドであっても特別な日には、必ず聖賢魔導師の盛装である金糸を施した白く地面につく程長い外套を着用していた。

 そして今日の彼の服装は、正しくそれだった。それはつまり何等かの特別な行事があった事を示していた。

「まあまあ、そう邪険にするものでもないだろう」

 へらへらと笑って告げるルフェナガルドに、ネイラは呆れたように目を回してみせた。実際、この外面に惑わされ、彼女が痛い目に遭ったのも一度や二度じゃない。

「ところで、デルゼネートとシレルケの間にあるコーラル砂漠を知っているかい?」

 ネイラの呆れた様子にもめげず、ルフェナガルドが話し始めた。

 ここ、ネウーゼは、ツェルウェック大陸の南隣に位置する小さな島の魔術国家である。魔術師達を中心に構成されたそこは、ある意味永世中立国となっており、国王ではなく所謂魔術師の協会の任をも担っている魔術院が国を運営している。

 その門は、身分や出自に関係無く、才有る者にのみ平等に開かれている事でも知られているが、そもそも大国の後ろ楯も無い小さな独立国として存在出来ているのには訳がある。ネウーゼと大陸を隔てるシーバル海峡の存在である。そもそも隣接する互いの海岸線は、険しい断崖である上、潮の流れが速く、船で渡る事も難しい。しかも資源らしい資源も無いネウーゼは、それ程までして手に入れる価値は無かった。 

 そんなネウーゼと唯一隣接するのが、デルゼネートである。

 海を挟んで北隣に位置するデルゼネートは、賢王と呼ばれたデルソス・ティザント・エーベルンが建国した国として知られている。国名のデルゼネートは、建国王デルソスから名付けられたと言われ、賢王の名に相応しい大国でもある。

 その東隣に位置するシレルケは、小国ながら大陸一の勢力を誇るデルゼネートの同盟国の一つで、その国土は小さいながらも商業大国である。また国土の大半を砂漠で構成された国であり、その砂漠こそが、コーラル砂漠である。

「知っているが、それがどうかしたか?」

 当然、子供でも知っている知識である。ネイラが尋ねると、ルフェナガルドが続けた。

「では最近、そのコーラル砂漠で行方不明者が頻発しているのは?」

 さらりと告げるルフェナガルドの言葉が、ネイラには一瞬理解出来なかった。

「行方不明者が頻発?」

 自身が確認するかのように、言葉を繰り返す。

 ルフェナガルドが頷くのを見て、その言葉の意味を理解した。

「砂漠は砂漠だが、コーラル砂漠でここ最近、行方不明者が頻発しているなんて話、聞いた事も無いぞ」

 何かの間違いだろうと暗に告げると、ルフェナガルドが何時ものふざけた表情を消した。

「いや、事実さ。つい先日もデルゼネートの隊商がコーラル砂漠で消息を断った」

“らしい”ではなく、断言。それは推測ではなく事実として述べている証だった。

「ふうん。気の毒にな。……で、私とその話に何か関係が?」

 告げられた事実を暫し咀嚼した後、訝しげにルフェナガルドに尋ねた。

「有りも有り、大有りさ」

 何時もの軽口を叩くと、咳払いを一つした。

「我々ネウーゼ魔術院魔導会が命ず。ネイラ・アーク、貴殿にコーラル砂漠の調査及び問題の解決を命ず。また、その身は一時デルゼネート国騎士団ギルス・タスナウッドに預ける」

「……何の冗談だ?」

 微妙な空気が流れた。

「残念ながら冗談等ではないよ。これはロルス陛下のたっての希望でもあるからね」

 ロルス陛下――ロルス・ティザーラント・エーベルン。デルゼネートの現国王である。

 若くして即位した王である。事実、未だ十代であるとネイラも聞いた事がある。

 しかし若いながらも利発な彼は、即位する前から建国の父であり初代国王とされるデルソスの再来と噂されている程の切れ者でもある。

「心配しなくても大丈夫。タスナウッド隊長率いる黒の騎士団は優秀だから、君の身はいたって安全だよ」

 そう言って傍らにいた人物を示した。

 どうやらこの人物がギルス・タスナウッドらしい。三人の男の中では一番の年長者に見えはするが、隊長にしては若い。皆、体つきは服の上からでも屈強であるのが見て取れる。言われてみれば、纏う雰囲気も武人独特の不遜な物だ。

 しかし、『黒の騎士団』と言うのが気に食わない。

「黒の騎士団だと? 私に死ねと言うのか?」

 苦虫を噛み潰したような渋い顔でネイラは言った。

 デルゼネートは大国である。同盟国が多い反面、反目している国もまた多い。その為、騎士団も他国に比べ数多く存在する。

 中でも『黒の騎士団』は特殊且つ実戦的な騎士団だと言われている。……対魔獣の点において。

「何だと!」

 一番年少と思われる男がネイラの言葉に気色ばむのをギルスは手で制すると、初めて口を開いた。

「うちの団も嫌われたものだな。しかし、まあ、彼女の言葉も強ち間違いではない、か」

 顎を擦り独り言ちると、ルフェナガルドに言った。

「ターナクルス殿、俺達が欲しいのは、実戦的な魔術師であって、頭でっかちな魔術師ではないと言った筈だ。悪いが、即戦力になる魔術師を紹介してくれないか」

 明らかな嫌味である。

 が、ネイラにとっては良い言い訳が出来ただけであった。

 有り難く同意の意を込めて頷いていると、「違うだろう!」と、ルフェナガルドに突っ込まれた。

 とはいえここで下手に何等かの反応を見せたら最後、ルフェナガルドの術中に陥るのは目に見えている。ここは、心を鬼にして他人事にしてしまおうと、ネイラはただ目を瞬かせてみせた。

「……ったく」

 ネイラの思惑通りだったらしい。素気無い態度を見せる彼女に悪態を吐くと、ルフェナガルドはギルスに向き直った。

「彼女が今ネウーゼにいる魔術師の中で、一番経験を積んでいます。それに魔導会は、彼女以外には今回ご依頼された件を遂行出来る者がいるとは考えておりません。もし、魔導会の判断にご不満があるのであれば、残念ではありますが、陛下にはこのお話は無かった事としてお伝え頂くほかありません」

 ルフェナガルドは聖賢魔導師然とした慇懃無礼なまでの態度でギルスに告げた。

「……ちっ。全く、これだから魔術師は好きじゃないんだ」

 先程、いきり立った若い男が、小さく悪態を吐いた。

「エーミル! 止さないか」

 ギルスと同年代と思しき男が宥めるのを余所に、ギルス自身は我関せずの体で言った。

「仕方あるまい。今回はこれで我慢するか」

 やれやれ、とばかりに首を振る男に、ネイラは形勢が逆転した事を知った。

「ちょっと待て。勝手に決めるな。この時期、私は忙しいんだ。今、町を離れるつもりはないぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る